玉川学園・玉川大学
ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.
ゲンボー先生お米の,料理の,種類でーす(^^)お願いしまーす。石井瑞希より
ゲンボー先生
よっしゃ!世界のお米料理全部だと大変なので,代表的なのを教えます.
スペイン「パエリヤ」
イタリア「リゾット」「ドリア」
イラン「バターライス」
インド「カレーライス」※正式にはカレーライスと言う食べ物はありません.インド料理全てがカレーと言っても良いのですが,日本人が知っているかレーとはこれまた違うものんです.本屋さんで調べてみて下さい.
インドネシア「ナシゴレン」
中国「ちまき」
韓国「ビビンバ」
パエリヤはスペインのバレンシア地方の代表料理です.パエリヤ鍋と言う取っ手のついた平たい鍋に,お米,とり肉,ムール貝,はまぐり,エビ,ピーマンをいれてトリのスープで煮ます.その時にオリーブ油とサフランを入れるのがポイントです.サフランは花の雄しべですが,黄色の美しい色がつくのです.
出来上がったパエリヤにはレモンを絞って食べます.おいし〜〜〜〜イ
リゾットはオリーブ油でお米を炒め,好きな具を入れて作るおかゆのようなものです.ただしお米にしんが少し残っているのがポイントです.では先生の好きなやつの作り方を説明しましょう.炒めたお米にスープとマッシュルームとたまねぎのみじん切りを入れます.ブルーチーズと言う青かびのチーズを少し入れます.これで水気がとぶまで優しくかき混ぜて,はい出来上がり.
ドリアはブルーチーズのかわりにエビやとり肉を入れます.その上にホワイトソースをかけて,さらにチーズをかけてオーブンで焼きます.こんがりこげたらできあがり.やけどしないように食べてね.
ナシゴレンはインドネシア風のチャーハンで,ナンプラーというお魚から作ったおしょうゆで味付けをするのがコツです.カルダモンとかクローブといったスパイスを少々入れて下さい.(ほんのちょっと)
きりがないので,このくらいにします.
日本のようにご飯が主食で白いまま食べる国は主にアジアの国で,お米の出来ないヨーロッパなどではおかずや,料理の一部としてつかわれているのです.
もっと知りたいことがあったら,またメールをください.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとう
初めて稲が伝わってきた時には,稲は「じかまき」といって種モミごと畑や田んぼにまかれました.稲はこれでも育つのですが,鳥に食べられてしまったり,他の雑草のかげになって成長がおそくなったりしました.
そこで,ある程度まで育てて雑草のないじょうたいの田んぼに植えることにしました.これが苗による田植えです.
この技術がいつごろ伝わったか良く分かっていませんが,おそらく古墳時代(4〜5世紀)ごろには行われていたのではないかと言われています.こうすることによって.稲は雑草にもまけず,種のときに鳥に食べられることもなく,互いにはなれているので栄養のとりっこもおきませんね.
昔の人は田植えの時に田んぼにヒモをはって,きれいに苗を植えていきました.今は田植機で同じ間かくで植えられていますね.
しかし,さいきんでは「うまいお米」の作り方の一つに「不耕起栽培」(ふこうきさいばい)というのがでてきました.これは前の年に植えた切り株(きりかぶ)のところに種もみをまくと言う方法です.そしてほったらかしておきます.
雑草はのびるし,虫もつきますが「強い稲」が残るんだそうです.で,このお米がうまいと言うことです.トマトや他の作物でも同じようなことが行われはじめました.とれる量はへっても高く売れるからいいんだそうです.時代や社会が変わると稲の育て方まで変わってくるのです.面白いですね.
ゲンボー先生
今、私たちは米の歴史について調べています。ゲンボー先生のホームページ(?)をついさっき見てこのメールを送ることにしました!!
質問します!!
世界で初めてお米を作った人は、インドのアッサム人だとかいてありましたが、そのインドのアッサム人たちが、お米を作るきっかけになったこととは何だったのでしょうか?教えてください!!
ゲンボー先生
紗希さんと彩さん,メールを有り難う.
あまりにも古いことで文字に残っているわけも無いので「分からない」というのが答えです.しかし予想することは出来ます.
それまで人間は狩をしたり漁をしたり,野草を食べたり,木の実を貯蔵したりしながら生活してきました.自然の中に溶け込んで生活していた昔の人たちは,「何が食べられて」「何が食べられないか」また,いつ取ればいいのか.どうやって食べればいいのかということはかなり知っていたはずです.
日本の縄文時代でも,沢山の植物遺物が発見されて,彼等が自然を知り尽くし,たくみにそれらを利用していたことが分かっています.たとえばニワトコという植物は実からはお酒が作られます,気や葉っぱは打ち身や骨折の薬です.こんなものも使われていたんですよ.また鳥浜貝塚という遺跡からは,木器の用途によって木の種類が違うことも分かっています.
アッサムの人たちが水辺に生えている稲を見つけて,実が食べられることはかなり昔から知っていたことと思います.その実(種)を水辺にまいておけば,次の年もそこに稲が育つことに気づいたそのときが稲作の始まりというわけです.
やがて,水に流されにくくするために水田が作られ,雑草に負けないために苗を育てて植える,つまり田植えの技術などを次々に考え出していったのです.現在の水田耕作の基本は既にこのときに出来上がっていたといってもよいくらいでした.人間は創造して技術を発展させて進化してきた生き物です.
君たちも,ものを創造できる人になってください.頑張ってくださいね・・・
ゲンボー先生
ゲンボー先生
お米は大きく分けて3種類あります.細長くてパラパラのインディカ米.短く丸っこく粘り気のあるジャポニカ米.アフリカのニジェールだけで作られているグラベリマ米です.
中国から朝鮮,日本にかけての東アジアではジャポニカの栽培が行われました.インドや東南アジア,それにヨーロッパではインディカ米が栽培されました.それはそれらの国の人が長い間かけて選りすぐってきたからなのです.ではなぜそうなったのかというと,その国の食文化と関係があるからなのです.カレーやピラフなどの味付けご飯は,味がうまくからむインディカ米のほうがおいしいと言われています.
主食として味の単純さをもとめた私たちの祖先は,おかずとは別にお椀に盛ってお箸で食べるために,粘り気のあるお米を好みました.粘り気のあるジャポニカ米を食べる地域はおはしの文化圏と同じなのです.
まだ他にも理由はありますが,今言ったことが一番大きいかなと思います.
ゲンボー先生
現在、総合学習で米について勉強しています。コシヒカリにはノゲが無いのですが、赤米、黒米にはノゲがありました。
どうしてですか?米の交配に関係しているのでしょうか。教えてください。
ゲンボー先生
すごいことに気がついたね.・・・お米のモミやノゲ(ノギともいいます)は葉っぱが変化したものなのです.温度や湿度の調節が主な働きですが,品種によって長さもまちまちで,なかにはノゲの無いものもあります.これらはすべてDNAという遺伝子の働きによって決まります.二人が書いているように交配に関係しているわけです.
北海道では昔,赤毛と言うノゲが赤っぽく長い品種が作られていましたが,ある時,寒さに強いノゲのない品種が出来ました.それを「坊主」(ぼうず)といいます.このように交配によってその品種の性質が変わります.古代の古い性質を残している赤米や黒米にはノゲがのこっているのでしょう.
では新しい品種にはノゲがないかと言うとそうでもありません.
お米は長い間の品種改良で暑いところから涼しいところまで,かなり幅の広い温度帯でも栽培される強い植物です.今ではノゲがある無いはあまり関係無くなってきました.
ただし,これから問題になるのは地球の温暖化です.寒いところでも作られるようになったジャポニカ種(日本型のお米)は逆に暑さに弱くなっていたのです.これから急に暑くなると東北や北海道以外では作りにくくなると言う学者もいます.難しい問題ですね・・・・
ゲンボー先生
この前は、ノゲについて教えてくれてありがとうございました。今度は、稲の花がさいて実ができるまでの様子を教えてください。稲の花ってどんなのですか?よろしくお願いします。
ゲンボー先生
メールをありがとう.
稲は一つの田んぼで,ある日あるとき一斉に花が咲きます.このようすは次のホームページで見ることができます.
http://www.ja-akita.or.jp/c_park/10/
穂ができてから,だいたい1週間で穂の上から花が咲き始めますが,一つの花はせいぜい2〜3時間しか開いていません.稲はその短い時間に交配(こうはい=「めしべ」と「おしべ」が半分ずつ持っている遺伝子を一つにします)し,そこから次の子孫の種を作りはじめます.
お米は稲の種です.
はじめは柔らかくて,穂を指でおすと白い液体(えきたい=水のようなぶっしつ)となって出てきてしまいます.稲はどんどんお米をふくらませていき,田んぼの水を抜くころから少しずつ「かたく」なっていきます.
やがて稲全体が黄色くなって刈り入れの頃,お米はかたい種になっています.農家ではさらに刈り取った稲を2週間くらい干します.今では機械で乾燥する農家の方が多いのですが,やはり自然で乾かした方が「おいしい」ということで,天日干し(てんぴぼし=さおにならべて,乾かすこと)をする農家もまだまだあります.
そのようすは先生のホームページにもありますから,見て下さい.
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/rice/nousagyo/kansou.html
ゲンボー先生
この前は、ありがとうございました。今、総合学習でお米について勉強しています。のげや分けつの仕組み、いねの不思議について教えてください。
お願いします。
メールをありがとう.
お友達にも書いたように,「のげ」は葉っぱの形の変わったものです.麦を見たことがありますか?
実からたくさん「のげ」が出ているでしょ?あれの短いやつと思って下さい.
ノゲには温度や湿度を調せつする役割があります.実つまり種はとても大切な部分ですから,稲は自分でできるだけ種にとって良い状態を作ろうとしているのです.
車にあるラジエターと似ていますね.
(ぶんげつ)分けつの説明(ページから)稲は普通15の節(せつ=ふしのこと)があります.下から数えて10番目くらいは節と節の間が数ミリしかなく,この部分はすべて土の中にあります.
皆さんが見ている稲は残りの5つの節の部分だと思ってください.(残りの5つの節と節の間は20センチくらいあいています.ですから土のうえに出ている部分は1メートルくらいになります)
田植えをする時には2番目から4番目くらいの節は,苗の植えかえのために新しい株(かぶ)は出てきません(ということは植えかえをしなければ,そこからも株が出てきます)
残りの5番目から10番目くらいから新しい株が出てきます. (このことを「分げつ=ぶんげつ」といいます)※「分けつ」ということばもありますが,正しくは「分げつ」です)
ふつう田植えの時は苗を2〜3本まとめて植えます.機械ですと4〜6本です.なぜこのようなことをするのかというと,互いに狭いところで成長するために弱い株の成長がおとろえ,強い株だけがのびていきます.強い株からできるお米は大きく形もそろっているからです.
こうして元々の一株から5つくらいの株が出てきます.一つの株に一つの穂(ほ)がつきます,一つの穂には80〜90粒(りゅう=つぶ)のお米がつきます.
稲の不思議
1.誰も教えていないのに,その田んぼで一斉に花が咲く.
2.暑いところから寒いところまで作ることができる(だいたいの理由は分かっていますが・・・)
3.葉っぱに「気孔」がたくさんあって,暑い時にはそこから水分をはき出して身体を冷やしている.(ノゲにもこの仕組みがあります.)
他にもありますが,先生が感じている不思議です・・・
ゲンボー先生
よい田んぼの条件をおしえてくさい。お願いします。
ゲンボー先生
メールをありがとう.
良い田んぼ=お米がたくさんとれる田んぼ/おいしいお米ができる田んぼ.ですね.
お米は土と水と光で作られます.
1.「土」良く耕されて栄養分の多い土がイイ!良く耕すと石や草の根っこもとれるし,害虫も死にます.また,土の中に酸素がたくさん入って悪い菌が増えるのをふせぎます.また代掻き(しろかき=水をはってから,土をかき混ぜて土のつぶつぶを細かくすること)して良く耕すと細かい土が田んぼの底にたまって,水もれをふせぎます.
栄養はふつう「化学肥料」をまきますが,中には「たい肥」(たいひ=葉っぱや鳥のフンなどをまぜたもの)や「れんげ」を育てたりします.君たちは田植え前の田んぼに「れんげ」の花がたくさん咲いているのを見たことがありますか?
れんげの根っこには植物が育つのにとても大切な「チッソ」という成分が多くつきます.これを耕す時にそのまま土の中にすき込むと,天然のチッソ肥料になるというわけです.お百姓さんはとても努力して自分の田んぼの土をよくしようとしています.
2.「水」.汚い水,悪い成分の入っている水では良いお米はできません.まずきれいなお水が必要なのです.お米はもともと水辺の植物でしたから養分は土以外に水からもとっています.それにもう一つ大切なことは,稲にとって不必要な成分(人間でいうとオシッコやウンチ)を根っこからはきだします.水田だとその悪い成分が水で流されてしまうということです.ですから田んぼでは毎年お米を作ることができるのです.このことを連作(れんさく)といいます.
畑だと何回も作るうちに,悪い成分が土の中にたまって稲が育たなくなってしまうのです.このことを連作障害(れんさくしょうがい)といいます.
もう一つ,寒い地域では(北海道のような)わざと浅くて長い水路で水を流してきます.なぜなら,そうすると水が暖まる(あたたまる)からです.いったん暖まった水はなかなか冷たくなりません.つまり夜でも外気より暖かく,稲が寒さから守られるというわけですね・・・
3.「光」.緑色をしている植物は「光合成」(こうごうせい)といって,緑の成分(葉緑素=ようりょくそ)と空気の中にある炭酸ガス(二酸化炭素=にさんかたんそ)と太陽の光で,デンプンを作ります.
デンプンは植物の身体を作る大切な物資です.昼間にたっぷり太陽の光を浴びて,夜は涼しいところで(寒いのはダメ)休むと.おいしいお米ができるのです.この話はなんだか人間に似ているね・・・(笑)
なんとなく見てしまう「田んぼ」ですが,お百姓さんは努力をしてそうした条件をつくり出しているのですよ. (お天気以外は)
ゲンボー先生
ください!:なぜ、日本は米の輸入自由化に反対なんですか?(碧南町の学校より)
ゲンボー先生
メールをありがとう.でもこの次からは名前と学校名を書いてね.
アメリカがお米を売りたい理由
1.アメリカも米の生産国で,中国や日本から渡った人々が日本人の食べるジャポニカ種を大量に作っているから,これを輸出したい.
2.アメリカのお米は日本よリず−っと安く,日本の消費者がたくさん買ってくれると思った.
日本が輸入したくない理由
1.日本の主食であるお米は100%日本で作りたい.
2.安いお米が一時に入ってくると,日本のお米が売れなくなる.農家が困る.
3,日本は長い間,お米は政府が決まった値段で買い上げる農産物で,農家はお米を作ることによって安定した収入を得ていた.こういう国の基本方針は今でも形を変えて残っていて,それを守りたい.
法りつのことウルグアイラウンドなど,詳しくは先生のホームページ出ています(みんなの広場の「お米の法律や自由化について」です)
ゲンボー先生
「改正食糧法」のページに行く.平成16年4月1日からお米の流通が大きくかわりました.必見のページです.
質問があります。
北海道など寒い地域などでは、米は育ちにくいのでは、ありませんか。なぜ、寒い地域でも育つのか教えてください。
おねがいします。
ゲンボー先生
莉華子さん メールをありがとう.
もともと稲には寒いところでも育つと言う性質がありました.それは稲の原産地であるアッサム地方の気候に関係しています.アッサムは昼は暑いのですが夜には涼しくなり,時に寒くなることもあります.
稲は南から日本にやってきたため「暑い国の作物」と思われがちですが,実はちょっと違うのです.
弥生時代になると,水田の技術が取り入れられて,北海道をのぞく日本の各地でお米が作られるようになりました.最近の研究では関東地方よりも先に東北地方で作られていたことも分かってきました.それは稲作の技術が船で伝わったことを示しています.
さて,北海道はさすがに寒く,長い間稲作は行われませんでした.明治時代になって開拓が始まると政府は稲作をあきらめて大規模な畑作を行おうと言う方針を立てました.そこでヨーロッパやアメリカの農業技術を取り入れようと,大形機械を輸入したり外国人教師を呼びました.「少年よ大志を抱け」といったクラーク博士もその一人です(知っているかい?)
ところが一般の人々は,ジャガイモやトウモロコシよりも.お金になるお米を作りたがりました.
函館の近くに中山久蔵(なかやまきゅうぞう)という人がいて,この人がまず寒さについ品種を作りました. 久蔵は寒さで稲がやられないように田んぼにお湯を流しがら,品種の改良に取り組みました.そうしてようやくできたのが「ぼうず」という寒さに強い稲の品種です.「ぼうず」はたちまちのうちに,人々に広まり函館の近くで稲作が始まりました.
しかし,それより北にはなかなか広まりませんでした.特に石狩川が流れる石狩平野などは広い上に水も豊富で「稲作」には向いているはずなのに,できませんでした.その理由は土がよくなかったのです.
あまりに寒いために,暖かい地方ではごく自然に行われる枯れ葉や枯れ草の分解がすすまず,よい土にならず,泥炭(でいたん)という,植物の形が残っているような土になってしまうのです.ちなみにこの泥炭は英語ではピートと言い,スコットランド(イギリス)ではウィスキーを作る時の燃料になっています.パッと燃えずにブスブス燃えるのがいいのだそうです.
そんな土ではとてもお米は作れませんね.・・・しかし,人々はあきらめませんでした.よい土を遠くの丘や山から運んだのです.運ぶと簡単に言いますがトラックの無い時代ですよ・・馬にソリをひかせたり人の力で運んだのだからそれは大変な重労働でした.こうして他から土を運んでくることを「客土」といいます.
やがて,いいことに気がつきました,北海道も5000年前は暖かい時期があったのです.ですから深く土を掘り返せばその土が出てきます.しかしこれも大変な重労働ですね.
そこで人々は世界銀行からお金を借りて,水路を掘り,水でとかしたよい土をパイプで吸い上げて客土しました.新篠津(しんしのづ)というところではそうやって泥炭の原野が水田に変わりました.
いいですか野口さん,お米はまけばできるというものではありません.どんな土地にも最初から田畑があったわけでもないのです.それは誰かがいつか作ったものなのです.水も勝手に流れてくるわけではありません,水路も誰かが作ったものです,
日本の農業は自然との戦いで得てきたものだということを分かって下さいね.君の家の近くにある田畑もそうして出来ているのですよ.
北海道で稲作が行われるには,こうした数多くの人々の想像をこえた努力があったのです.
ゲンボー先生
鹿島市立中野東小5年 黎と未樹
ゲンボー先生
メールをありがとう,
昔と言うのがいつの事か分かりませんが,昭和30年ごろから「耕運機」(こううんき)というエンジンで動く機械が農家で使われるようになって,農業の機械科が始まりました.それ以前は牛や馬,それに人の手で田畑が作られ管理されていたのです.牛や馬の前は人力だけです.
日本にお米が入ってきたのは今から約6000年前の縄文時代前期です.このころのお米がどうやって作られていたのかは,まだ分かりませんが,たぶんヒエやアワと同じように畑で作られていたと思います.やがて縄文時代後期(3000年前)になると北九州で「水田」が作られるようになりました.このころの水田は川や沼のそばに作られ,大きさもたたみ1枚ていどのおおきさでした.なぜかと言うと,広い土地を平にする技術や道具がなかったからです.
稲作の技術は弥生時代(2000年前)に花開きました.水路が作られ川や沼から離れたところにも水田が作られました.また水田には板囲いがされ,面積もどんどん広くなっていきました.
やがて古墳時代になると(1800年前)木の農具の先に鉄の刃をつけるようになり,開墾(かいこん=野原や森林を耕して田畑にすること)がどんどん進みました.
ここまでを整理すると
縄文時代(石器や木器で耕した)
弥生時代(新しいかたちの木器で耕した)
古墳時代(その木器に鉄の刃がついた)
平安時代(馬や牛が使われはじめた)
鎌倉時代/室町時代(馬や牛で耕すことが広がった)
江戸時代〜昭和30年代(馬や牛が使われた)
※馬や牛が使われても人力の部分は多く残っていたのですよ・・・
昭和30年代〜昭和40年代(耕運機や稲刈り機などの機械が広がった)
今日(耕運機以外に田植機,稲刈り機,トラクター,コンバインなどが使われるようになった)
というわけです.
ところが,今でも棚田(たなだ)という段々の田んぼは機械が入りませんから人力で田んぼが作られています.しかし,無農薬,有機肥料ブームで棚田の米が美味しいということになり,高値で売れているそうです.おもしろいね.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとう.同じものが二つきているけど両方とも君のかな?ところでメールにはちゃんと名前を書きましょう.これはエチケットです.
植物のほとんどは「光合成」(こうごうせい)といって,太陽の光と葉緑素(ようりょくそ=緑色のぶぶん)によって,「でんぷん」が作られます.お米はデンプンとタンパク質からできていますから,十分な光があたらないとおいしくならないのです.
もともとインドのアッサムと言うところが原産のお米は,昼は暑くて夜は涼しい気候を好みます.ですからそういう条件をかねそなえたところほど「米どころ」といわれているのです.
新潟の魚沼はまさにそういうところです.知っていますか?
ゲンボー先生
大牟田市市立平原小学校5年 香奈愛
質問タ―イム
1、夢つくしの作りを教えてください。
2、どうしたらおいしいお米ができるか教えてください。
3、お米を作るのに大変なことは、なんですか。
4、お米を作るのに,工夫していることはなんですか。
ゲンボー先生
メールをありがとう.
1. 「夢つくし」は福岡県で品種の改良によって作られたお米です.超ブランド米の「コシヒカリ」と,コシヒカリのおいしい部分と強さをもった「キヌヒカリ」をかけ合わせて作られました.
ところがコシヒカリはおいしいのですが,茎が弱くて倒れやすいという欠点をもっています.
2.お米は昼に太陽の光をたくさん浴びて,夜に涼しくなるとおいしくなるのです.それは,初めてのお米の栽培がインドのアッサムと言うところだったことに理由があります.アッサムはインドにありながら高地のために夜には涼しくなるのです.お米は南から日本にやってきたため「暖かい地域」の作物と思われがちですが,実は寒さにも強い性質を持っていました.北海道でもお米が作られるようになったのは,品種の改良でこの性質を引き出せたからなのです.あとはきれいな水とよく耕された土,肥料と草取りを薬にたよらないということでしょうか.どんな作物も人が手をかけてあげればあげるほどおいしくなるのですよ.
3.土地を耕す.田植えをする.肥料をあげる.水の管をちゃんとする.雑草をとる.病気をふせぐ.稲刈りをする.これらを昔はすべて「人の手」で行っていました.今は機械ができて便利になりましたが,その機械も人が動かすのですからけっこう重労働なのです.もう一つ,作ったお米が「いくらで売れるか」ということも,ありますね.お米の値段は「等級」とブランドで決まるために「おいしいお米」を作らなくてはならないのです.
4.いろんな工夫があるよ.例えばアイガモを放して田んぼの虫や雑草を食べさせたりするのは有名だよね.先生の住んでいる場所(川崎市)の近くの田んぼでは,春に「れんげ」をまいています.
れんげの花はきれいだよね.しかしあれは勝手にはえているのでもなければ,観賞用に植えているわけでもありません.れんげの根っこには植物を育てるのに必要な「チッソ」という物質を集める性質があるのです.
田植え前に田んぼを耕す時に,れんげも一緒に「すきこむ」と養分のある土ができます.いまではほとんどの農家が人口の肥料をまいていますが,中にはそうした農家の人もいます.
あとは,鳥に食べられないように網をはったり,キラキラ光るテープをはったり.ドカーンと音の出る機械をおいたり.
寒いところでは水路を長く浅くして水の温度をあげたり.水の少ないところでは「ため池」を作ったり.水路を作ったり.それぞれの地域には必ずその地域なりの工夫があります.君たちが住む大牟田市にも必ず「なにか」があるよ.おとなりの柳川は筑後川の下流ですが,かつて「クリーク」(水路)が発達して,面積当たりの収穫量が日本一でした.一昔前は「佐賀段階.新佐賀段階」といえば,たくさんお米を作る第一の方法と日本中に知れわたったところです.今は水路が少なくなってしまいましたがそれは「なぜ?」でしょう.
大牟田の事もしらべてみようね.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとう.日本は昭和30年代の後半まで「米不足」の国でした.江戸時代以前は,お米は保存も効くしおいしいので「お金」のかわりにもなりました.ですからお米はとても大切にされたのです.先生の子供の頃は「お百姓さんが大変な努力をして作ったお米は,ひと粒も残さずに食べなさい」といわれました.ですから今でも,おかずは残してもご飯は残しません.
先生は「最後のひと粒に神様がいる」と教わりました.
また,「盛られたご飯のどれかひと粒が神様だ」という伝わり方もあるようです.7つの神様とは多分「七福神」のことでしょう.どの話にしても「お米を大切にしなさい」ということから生まれたものだと思います.
君は好き嫌いなく,ご飯をちゃんと食べていますか?
ゲンボー先生
私たちはアイガモを使った米作りをしてきましたが,今年がんばってくれたアイガモは来年は、また働いてくれることはできるでしょうか。また、ひなをかえすことはできるのでしょうか。
私たちは今年は去年よりもたくさん収穫できました。かものおかげです。
ゲンボー先生です.メールをありがとう.
アイガモ農業をやっている農家では「お米」を作ること以外に「アイガモ」を育てて,それをうってお金をもうけています.つまり「一石二鳥」というやつです.でも君たちは,せっかく大きくなったアイガモを食べちゃうのは「かわいそう」だとおもうでしょ・・
残念ながらカモは大きくなると,稲の穂をえさにして食べちゃうので田んぼで飼うことはできなくなります.だから,多くの農家ではカモの処分に困っています.これまではご近所さんとか知り合いに分けていたらしいのですが,最近になってレストランと契約したり,肉屋におろすということが行われるようになったそうです.(この部分,訂正・更新をしました.04.01.16)
コガモはメスとオスのカモがいれば卵を産んで育てるから大丈夫.と,いいたいところだけど兄妹どうしはだめです.なぜダメなのかと言うと兄妹や親子だと「遺伝」(いでん=親子で受けついでいく細胞内の情報)的に弱くなったり,病気になったり,異常な子供がうまれてしまうからです.学校で飼っていたカモが兄妹だったら,オスかメスかどちらかの大人のアイガモを他から連れてこなくてはなりませんね.
難しいのは,大きくなったアイガモを冬の間もちゃんと育ててあげることです,学校の飼育小屋に入れっぱなしにして,寒かったり,エサもろくにあげないで動物を死なせてしまってはかわいそうですね.
育てたものの責任として,愛情を持ってちゃんと面倒をみてあげましょう.人間の都合だけで命あるものをあつかってはいけません.君たちが本当に愛情を持って育てれば,来年もそのアイガモちゃんはみんなのアイドルになります.
そのアイガモのおかげでお米もたくさんとれたんでしょ.それはそれで素晴らしいことです.で,次にしなくてはならないのは,みんなでかわいがってあげることだと思います.
※そのアイガモちゃんの写真でもあったら見せて欲しいなあ・・・
ゲンボー先生
来年もがんばってほしいと思います。
ゲンボー先生
メールをありがとう.
「ゆうき米」の「ゆうき」は有機と書きます.有機米は有機肥料(ゆうきひりょう)を使って育てたお米のことです.
肥料には「葉っぱを醗酵」(はっこう=目に見えない小さな生物(菌=きん,といいます)の力によって,いいものにかえること.たとえば牛乳からヨーグルトやチーズを作るなどのように)させた肥料や,ニワトリのウンチを発酵させた肥料などの,自然にあるものから作られたものと,工場で薬をまぜて作った人工(じんこう=人が機械などを使って作ること)のものがあります.
有機肥料は自然にあるものを肥料にするので,「人の身体によい」と言われています.
あなたは「れんげ」の花を見たことがありますか?れんげの根っこには植物のからだを作るのにひつような「チッソ」という物しつができます.むかしからお百姓さんはチッソのことはわからなくても,そのことが良いことを知っていて,春にれんげの種をまいているのです.(しかもキレイ!)
田植えの前にれんげごとたがやすと,チッソがたくさんある田んぼになって稲がスクスクそだつのです.
他にも自然のものから作られる肥料はたくさんあります.こうしたもので作っているお米を「有機米」というのです.
ゲンボー先生
それでは、失礼いたします。
ゲンボー先生
大江田君 メールをありがとう
最新の発見で日本にお米が伝わったのは今から約6千年前の縄文時代前期だということが分かりました.この時代は地球全体の温度が上昇し,後氷期の寒冷な早期に比べて植物層も変化し,関東地方の気温が大体現在の沖縄くらいになりました.
インドのアッサム地方に源を発するお米は,熱帯から温帯,場合によっては寒冷地帯にまで適応する優れた特性を持っているために(ここのところはホームページにも再三にわたり書いてあるので参照して下さい),アジア全土に広まりました.
気候の温暖化に伴い日本にも様々な栽培植物が持ち込まれました.「里芋」「山芋」「ヒエ」「アワ」「エゴマ」「ソバ」「ヒョウタン」などです.この中にどうやら「米」も含まれていたようです.
はじめの頃の耕作は「焼き畑」といって,山の斜面を焼き払い,様々な種類の作物をローテーションしながら植えていくという作業方法だったと思われます.焼き畑はアジアの各地に今も残っており,日本でも数十年前まで四国産地で行われていたという記録が残っています.
食糧は「おいしい」「保存が効く」ものが良いことは分かりますね.イモはおいしいが1年間しか保存できません.青森県三内丸山遺跡で栗の栽培が確認されましたが,粉にしてもさほど保存期間は長くありません.それにひきかえ「ソバ」「アワ」「ヒエ」「米」は数年間保存が効くという優れものです.さて,その中でも食感がよく,食味もよくとなるとやはり「米」に軍配が上がりますね.
しかし,焼き畑での米の生産量には限界がありました.ところが,縄文時代後期(3千年前)になると北九州に「水田」の技術が伝わりました.もともと水辺の植物であった「稲」ですから,水田は彼等の生育環境にマッチングしたわけですね.しかも水を使うために「連作」が可能になったのです.
通常,畑作では毎年同じものを作ると「連作障害」をおこします.理由は簡単で「その植物が必要とする養分」が少なくなるのと,根から排出する老廃物が溜まるからです.(植物もウンチしてるんだ・・笑)
水田耕作の技術は新しい農具の伝播により急速に広まりました.それまでただの湿地帯だったところが,食糧生産の場所になっていきました.それとともに人々もそれまでの台地から低地に集落を移していきました.これが縄文時代晩期から弥生時代のできごとです.
弥生時代になると米の生産量は急激にのびて,やがて家々,村々に貧富の格差や力の格差が生じてきました.これには食糧生産,とりわけ米の生産量に大きく関係しています.
魏志倭人伝に「倭国大乱」の記事が出るのもこのころで,小国どうしの淘汰が始まりました.集落は濠を巡らせ,逆木をたて,敵の侵入をふせぎました.この時代の石鏃(せきぞく=やじり)は縄文時代の頃より飛躍的に大型化しました.これは狩猟用としてではなく殺人用に作られたからです.
特に九州地方,近畿地方で争いが多かったようです.
やがて国が出来てその統率者が王となりました.彼等は死後にもその力を誇示するために大きな墓を作りました.これが古墳時代です.面白いのは初期の古墳の副葬品が剣や馬具などの武器が多いのに対して,中期から後期にかけては「すき」「くわ」などの農具が埋納されていることです.
これは軍事的統率者としての王から,開発開拓者としての王に変わっていったことを示しています.つまり「国も落ち着いたことだから,そろそろ米の生産に力を入れんべーか」というわけですな.
多くの労働力を投入して開拓が始まりました.そして,これらの国を統率したのが「大和」というわけです.
このパターンは江戸時代まで続くのです.秀吉が検地したのも升を統一したのもすべて各地の米の出来高を知ることができるためです.天下を統一するためには国ごとの生産量を正確に把握しておく必要があるからです.
江戸幕府はこれによって大名の国替えをして力のバランスをとっていました.
ではなぜ「米」なのか?ということですが,米は食糧として優れているからです.前にも書いたように「おいしい」「保存が効く」ために日本人の主食になりました.しかも歴史的に,昭和30年代後半まで,人口に対しての米の生産量が常に不足していたために,モノとしての価値以外に「お金の代用」としての価値があったのです.(昭和30年頃まで「里芋」を主食にしていたところもありました.お米のとれない山間部が多かったようです)
高校時代の歴史の授業を思い出してください.武士は農民から集めた米(年貢)を商人に売って生活費にしていたでしょ・・つまり,日本人とってお米はお金と同じ意味も持っていたのです.
明治政府が北海道を開拓する際「冷涼な気候に米の栽培は無理」ということで,欧米,特に米国の大農法を取り入れようとしましたね.「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士もそのために札幌農学校にきたのです.
ところが農民はそうした政府の方針を無視して米に執着しました.品種改良や土地の改良,用水の保温など筆舌に尽くしがたい努力の末,世界最北の地での稲作栽培をなし遂げました.(スゴイ!)それも,お米が最高の換金作物だったからなのです.
じゃあ,なんで麦じゃないの?ということですが,麦はもともと乾燥地帯の穀物です,モンスーンである日本には米の栽培が適していたのです.(それでも大変な努力をしているんですよ)
「おまけ」を付け加えましょう.
麦と比較して米の方がカロリーが高いためにより多くの人間を養うことが出来ます.アジアが人口密度の高い地域である理由がここにあります.
ちなみに,日本人が長生きなのは米を中心としたバランスの良い食事をしているからです.新鮮な魚(しかも多種多様),海草,漬け物や納豆などの醗酵食品,大豆蛋白のかたまりお豆腐.肉類,などなどです.まあ,あとはクヨクヨしないことだそうです.勉強をがんばって下さい
ゲンボー先生