玉川学園・玉川大学
ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.
こんにちは日本で一番最初の米作りはどのように行われていたんですか?教えてください.
ゲンボー先生
佑太君 メールをありがとう.
日本で初めてお米を作った人々は今から約6千年前の縄文時代前期の人々です・・が,しかし,どのようにしてお米を作っていたかはまだ分かっていません.プラントオパールという稲の葉っぱに含まれる独特の細胞が見つかっているだけだからです.
おそらく稲は「焼き畑」という山を切り開き木を焼きはらったあとに,ソバやヒエやアワなどとともにまかれて作ったのだと思われます.
今から3千年前くらいの縄文時代後期になりますと,九州で水田が作られ始めます.やがて縄文時代の晩期になると東日本にまで水田の技術が広がってきました.こうして水田を作るようになってからは弥生時代と呼ぶようになりました.つまり弥生時代は南から徐々になってきたということですね.これが今から約2千5百年前〜2千年前の出来事です.
水田が焼き畑より優れているのは,水を使うことによって養分は常に水が運んでくる,ということと,稲が根から出す老廃物(ろうはいぶつ=身体に不必要なぶっしつ)を水が流してしまうことから,毎年同じ場所で稲が作れると言うことなのです.そうでなければ数年で作れなくなってしまうのです.
ところで,その水田作りが大変だったのです.はじめの頃の水田は沼を利用したり,川のそばに作りました.すぐ水が得られるからです.それでも田んぼを水平にするための農具はありませんでしたから,一つの田んぼはタタミ1畳くらいのとても小さな狭いものでした.
やがて「スキ」(スコップのようなもの)や「クワ」が発明されると,水田は広くなりました.そのころの水田は田んぼの内側を木の板で囲っていました.そうして畦(あぜ=田んぼと田んぼのさかい.)を保護しました.
やがて,スキやクワの刃に鉄が使われるようになると,開墾はすすみ,川から遠く離れたところにも水路がひかれて広い面積で水田が作られていきました.このころには村が統一されてクニができ,大きな力を持った支配者があらわれました.これが古墳時代で古墳という大きなお墓はそうした支配者が埋葬されている場所です.
面白いのは古い時代の古墳は,遺骸とともに埋納されている遺品に武器が多いのに比べ,後期の古墳にはクワやスキなどの農具が納められているこということです.
それは,戦によって統一されたクニが,安定した後に指導者によって開拓されていったことを表しています.
このように,稲作の技術は人々の努力や技術の進歩によって少しずつ進歩していました.
これらのことは先生のページの「みんなの広場」の「米作りの歴史」に出ています.また初期の弥生時代の水田のページ「中里遺跡」も参考にしてください.
分からないことがあったらまたメールをください.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
佑太 君
弥生時代は「田んぼ」でお米を作るようになったためにそれ以前の縄文時代とは生活もずいぶんと変わりました.
それまでの農業は(米作りも含みます)主に畑で行っていたために,川のある低い土地よりも少し高い場所である「台地」の上に村がありました.
しかし,田んぼは水を必要なので,弥生時代になると川が流れる低い土地に村が移っていきました.
田んぼでお米が作られるようになると,沢山できた人できない人,沢山できた村できない村,と貧富の差や力の差が生まれてきました.身分に差ができて「王さま」のように村を支配する人も現れました.反対に「どれい」とよばれて売り買いされる人も出てきました.
さらに,村同士の戦いも行われるようになり,小さな村が徐々に大きなクニに成長していきました.このころの遺跡は戦いに備えるために,以前のように台地の上にうつり「環濠」(かんごう=村の周りをとりまく「ほり」のこと)を作って守りました.こうした村のことを「環濠集落」(かんごうしゅうらく=環濠で周りを囲った村のこと)といいます.これが弥生時代の中期頃のことです.
やがて成長した国ごとの王は,自分の力を見せつけるために大きなお墓を作らせました,これが古墳です.富山県にも沢山古墳がありますね・・・あれはそうした国の代々の王のお墓なのです.この時代を古墳時代と言います.
このように,お米というひとつの作物が世の中を大きく変えたのです.日本の経済はそれからのち「明治時代」までお米が経済の中心になりました.戦国時代に大名が戦ったのも,江戸幕府が厳しい決まりを作ったのも,お米をどれだけ沢山自分たちのものにするかということがもとになっています.
日本の歴史は「お米の歴史」といってもおかしくはないのです.その始まりが弥生時代というわけです.
ゲンボー先生
(有機農業で育てたいんですけど)教えてください.
ゲンボー先生
佑太 君
赤米は原始的なお米ですから,普通に作れば失敗せずに作ることができます.プランターやバケツで作るときには特に水の管理に気をつけてください.
お米は生長して花が咲いて穂ができるまではお水を絶やしてはいけません.
反対に穂が成長してなかにお米ができてくると,今度はお水をやりすぎるとくさってしまいます.
これは元々お米が育っていた地方(インドのアッサム地方)の気候が雨季(雨が沢山降る季節)と乾季(雨が降らずに乾燥する地域)のあるモンスーン気候だったためです.日本でお米ができるのもこのモンスーン気候だからなのです.梅雨が雨期で真夏が乾季というわけですね.(しかし日本には秋にもう一度雨期がやってきます.ここがちょっと違うね)
有機栽培は,土がちゃんとしていれば肥料をあげなくてもできますから心配ありません.良い土を見つけることです.水の管理をしっかりしてちゃんと育てれば強くなりますから,虫や病気にも強くて農薬も必要ありません.
そうそう,これはどんな植物でもおなじですが,くっつけすぎて栽培すると強く育ちません,苗だと3〜4本,籾だと2〜3粒を30センチ間隔で植えてください.苗の場合は3センチくらい土の中に入れて植え直してください.
ゲンボー先生
お米について、教えて欲しいのですけど、、、どうして、おなじお米なのに、いろいろ味が、ちがうのは、なんでですか?
教えてくださいお願いします。京都の山科に住んでいる、ナッキーより
ゲンボー先生
ナッキーちゃん,メールをありがとう.
君はミカンが好きですか?ミカンにも甘いのやすっぱいの,かおりが良いのやそうでないの・・と様々なように,お米も「品種」や「できた場所」「できた年度」「炊き方」によって様々に変化します.
(品種について)現在日本人に最も好まれているのは「コシヒカリ」ですが,同じコシヒカリでも作られる場所によって味が変わります.地域によって気候や水や土が異なるからです.そのために各県の農業試験場では自分たちの土地にあったコシヒカリの品種改良がさかんに行われています,〜ヒカリという名前のお米がそれです.
(場所について)水がきれいで,昼と夜の温度差が大きいところですとおいしくなると言われています.しかし,上に書いたように品種の改良が進んで,暑いところでもおいしいお米が作られるようになりました.
(年度について)どんな植物にも「当たり年」というのがあって,お米の生育によくあった天候の年にはおいしいお米ができます.反対に日照りや多雨,または低温度(冷害)などによって,とれだかも少なく味も良くないという年もあります.平成5年は冷夏で日本中のお米のとれだかがさがり,外国から緊急にお米を輸入をしました.
(炊き方)どんなに高いお米でもこれで失敗するとおいしくなりません.反対に安いお米でもうまく炊くとおいしくなります.昔からお米をうまく炊く方法が日本人の「こだわり」の一つとされてきました.「始めトロトロ中パッパ・・」とか「おばあちゃんの炊き方」とか・・それはそれは沢山あります.ふたは絶対にとっちゃいけないといいますが,そうでもないようです.大切なのは水加減と火加減であとはいろいろ試してみると面白いと思います.
ゲンボー先生
あすか 区立用賀小学校
ゲンボー先生
それは「コシヒカリ」や「ササニシキ」のことですね.お米は熱帯の作物と思われがちですが,実は原産地のアッサムはヒマラヤ山脈に近いため昼と夜の温度差が激しく,寒さにも強い遺伝子を持っていました.そのために比較的温度が低い東北地方でも沢山のお米が作られるようになりました.
おいしいお米は昼と夜の温度差がはげしかったり,水がきれいなところでできるといわれています.東北地方や新潟県はそうした地域が多く,おいしいお米が作られます.
しかし,最近では九州など暖かい地方でもコシヒカリ系のおいしいお米が作られるようになりました.これからは東北や新潟県以外のお米でも東京の人に好まれて食べられる時が来ると思います.
それに,もともと近畿地方ではコシヒカリより「日本晴」とよばれるお米が好まれていて,なにも東北や新潟のお米にこだわらないところもあります.地域によって好みがちがうということですね.
ゲンボー先生
学校の勉強で調べたいことがあります.
1 農薬をまくには、どうするのですか?どんな工夫をしていますか?何月ごろ?
2 水の管理は、どうしていますか?どんな工夫をしていますか?何月ごろ?
3 種もみをえらぶのは、どうするのですか?
以上のことをおしえてください
ゲンボー先生
1.農薬は除草といって,稲以外の植物が育たないようにすることや,病気や虫から稲を守るためにまきます.
はじめは「種籾」をまく前に「除草剤」(じょそうざい)をまきます.
次に,穂が出る前に病気や虫から稲を守るために,病気と除虫の薬を混ぜたものをまきます.
次に1回目の除草剤でも生えて来ちゃった雑草を枯らすためにもう一度除草剤をまきます.
そして最後にもう一度,病気と除虫のために薬をまくのです.
2.稲は穂ができるまでは水を多くします.穂ができてお米が成熟していくときには水を少なくします.これは原産地のアッサムの気候条件がその様だったからなのだといわれています.ですから田植えの時期から穂が育つまでは,川や池やダムからとる水の量を増やします.水利権と言って昔からその地域ごとの水の量が決められているのです.
水の少ない地方では田んぼごとに量が決められているくらいです.
水門を大きく分けていつもより多い水を用水に流します.今度は用水からいくつも水路が分かれて田んぼにやってきます.上流の方から順番に水がはられていきます.やがてすべての田んぼに水が入ったら,いつでもお水を入れられるように流しっぱなしになっています.今度田んぼへ行ったら税その様子を見てくださいね.
3.種籾は前の年に収穫したお米を残して使うのが普通で,苗代にまく前に水につけておきます.そうすると発芽がそろうからです.今では田植機にセットするための箱に土を入れて機械で均等にまきます.
新しい品種のお米を作るときには種苗店とよばれるお店や農協(今はJA )から買います.
ゲンボー先生
日本の代表的なお米の特徴を調べています。甘味が多いとか、ねばねばしているとか調べたいので教えてください
ゲンボー先生
晴子さん,メールをありがとう.
日本代表的なお米は現在ではコシヒカリです.コシヒカリは食感に弾力性があって甘みも強いといわれています.
ねばねばしているのはアミロペクチンというでんぷんの成分が多いためで,ジャポニカという日本で作られているすべてのお米に共通の特徴になっていますが,なかでもコシヒカリはその度合いが強いといわれています.
一方,お寿司に向いているといわれているササニシキはコシヒカリよりアミロペクチンの割合が少し低くなっています.食べたときに口の中でベタベタするお寿司は嫌われるからです.
東南アジアや欧米で好まれるインディカ米はアミロースという成分が多く,パサパサした食感になりますがチャーハンやカレー,あるいはパエリヤなどにはあっていますね.国や地域によって好みは大きく変わります.
ゲンボー先生
こんにちは。今度、5年生でお米を作ることになりました。どんな種もみがいいのか教えて下さい。
また、種籾の見分け方(何を基準に選らんだらいいのか)も教えて下さい。
ゲンボー先生
美緒さん.メールをありがとう.
種籾は前の年に収穫したお米を残して使うのが普通で,苗代にまく前に水につけておきます.そうすると発芽がそろうからです.ですから種籾を選ぶというより,種籾をうまく発芽させることの方が大切なのです.君たちが使う種籾はおそらくJAや種やさんから買うものでしょう?それならどれでも大丈夫ですよ?うまく発芽させてください.
お米は作りやすい作物の一つですが,管理が悪いとすぐにだめになります.一番大切なのはお水の管理です.
普通に作れば失敗せずに作ることができます.プランターやバケツで作るときには特に水の管理に気をつけてください.
お米は生長して花が咲いて穂ができるまではお水を絶やしてはいけません.夏休み中にほったらかしておくと必ず枯れてしまいます,学校でやる米作りの失敗の第1はこれです.
反対に穂が成長してなかにお米ができてくると,今度はお水をやりすぎるとくさってしまいます.
これは元々お米が育っていた地方(インドのアッサム地方)の気候が雨季(雨が沢山降る季節)と乾季(雨が降らずに乾燥する地域)のあるモンスーン気候だったためです.日本でお米ができるのもこのモンスーン気候だからなのです.梅雨が雨期で真夏が乾季というわけですね.(しかし日本には秋にもう一度雨期がやってきます.ここがちょっと違うね)
頑張ってください.
ゲンボー先生より
ゲンボー先生
お米作りの大敵のうち「雑草」「病気」「害虫」は農薬をまいて稲を守ります.除草剤と殺虫剤はそれぞれ2回ずつ,合計4回も田んぼにまきます.
昔の農薬に比べて毒性は低くなったといっても,まだまだ人間や動物にとっては悪い影響を与えます.そこで,農薬を使わなかったり,量を減らしてお米を作る人が出てきました.また,そうした農薬米を食べたいという人も現れました.それで最近では「無農薬米」「低農薬米」「有機米」が作られるようになったのです.
無農薬でお米を育てるには大変な労力を必要とします.まず「草とり」ですが,田んぼの中に入って稲の列の間を行ったり来たりしながら草を抜かなくてはなりません,これを最低で2回行わなければなりません.「稲熱病」(いもちびょう)や「紋枯病」(もんがれびょう)などはほっておくと,自分の家の田んぼどころか,そのあたり一帯の田んぼがだめになってしまいます.
虫も沢山いて,葉っぱや米を食べてしまうものから,茎の中に入って稲をだめにしてしまうもの,また,虫から病気がうつったりとこれまた大変なことです.
無農薬米を作るには最低でもこれだけのことをしなくてはなりません.また虫や病気に強くするために土を良く耕したり,水の管理にも気を使います.ですから無農薬米は普通のお米より高いのです.
それでも買う人が増えています.それは病気になりたくない,健康にすごしたいと思う人が多くなってきたからで,これからも無農薬米は増えていくでしょう.
ゲンボー先生
1なぜ東北地方で多く取れるのですか
2米を育てるのにどんなところを気をつけていますか
3米を作るのにどんな所がいいですか
ゲンボー先生
千佳さん.メールをありがとう.
1.東北地方は亜寒帯に属し他の地域よりも気温が低いために,冬場に裏作としての作物を作ることができませんでした.(今はビニール栽培で作れます)
そのため,江戸時代からお米の単作地方(たんさくちほう=1年間で1種類の作物しか作らないこと) として,広い面積でお米が作られてきました.昭和時代になってからはお米の値段が政府によって決められたために,もっとも安定した作物としてお米が作られてきました.それで東北地方は「米どころ」と呼ばれるほどにお米の生産が大きくなったのです.
2.お米は作りやすい作物の一つですが,お水の管理には気をつかいます.田植えから穂ができるまでは水が沢山必要です.穂ができてお米が育っていくときには水をやりすぎるとだめになります.
虫や病気の発生にも気を使います.そのために農薬をまきます.
3.水のきれいなところ,昼と夜の温度差があるところが良いといわれていますが,最近では品種の改良が進みどこでもおいしいお米が作られるようになりました.
これでいいですか・もっと知りたいことがあったらまたメールをください.
ゲンボー先生
農家で作られたお米はどこにはこばれてゆくのですか?おしえてください。
ゲンボー先生(この内容は平成16年4月1日に食糧法が改正される前のものです.新しい仕組みはこの説明の最後からリンクしています)
有美さん,メールをありがとう.
農家で作ったお米はいくつかのほうほうで消費者(しょうひしゃ=食べる人)のところに届きます.ルートは一つではなくいくつかあるということです.しかもとてもややこしいので先生はかんたんにして説明します.
1.作ったお米は地域ごとのJA(全国農業協同組合中央会=ぜんこくのうぎょうきょうどうくみあいちゅうおうかい)に集められます.さらに県単位で集めて卸業者(おろしぎょうしゃ=お米を売るお店に売る会社)がそれを買います.この時の値段はお米の種類によって「自主流通米価格形成センター」(じしゅりゅうつうまいかかくけいせいせんたー)で決められます.このお米がスーパーやお米屋さん,コンビニなどに運ばれてみんなのところに届きます.こういうルートを通ったお米を「自主流通米」(じしゅりゅうつうまい)といいます.
2.県単位でお米を集めるところまでは同じで,次に政府が買い入れて卸業者に売って小売(こうり=普通のお店で売ること)されるお米があります.これを政府米といいます.このルートがもともとのルートでしたが,お米を売る法律が変わりどんどん1のルートに変わっています.高く売れないお米はこのルートが多いようです.
3.政府米のなかには「いざ」というときのために倉庫にためておく分があります.これを「備蓄米」(びちくまい)といいます.150万トンを目安に倉庫にたくわえておきます.以前は古くなったお米は「古米」(こまい)といわれ,まずくていやがられましたが,最近では保存の方法が良くなり1年たってもおいしく食べられるようになりました.1年間蓄えられた備蓄米はおせんべいや家畜のえさに安く売られる他,海外への援助(えんじょ)に回されたり,一般のお米に混ぜたりして売られます「たくわえくん」という名前のお米がそれです.安くてうまいとの評判です.
4.通信販売などで直接農家がお米を消費者に売るルートもあります.最近ではインターネットで売り買いされるお米も増えました.
5.自家米といって自分の家で食べる分や,親せきに送られるお米もあります.
簡単にしたつもりでもまだややこしい・・その理由は有美ちゃんがもう少し大きくなったら分かるでしょう.その時にまた質問してくださいね.(先生のホームページには書いてあります)
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとうございます.お父さんも大変ですね・・・(笑)
東北地方で米の収穫量が多いのは気候条件と歴史によります.
まず,亜寒帯に属する東北地方は冬の寒さが厳しく裏作が困難であったということが第1点.しかも日本海側は世界有数の豪雪地帯で農業は春から夏にかけてしかできなかったために否応なく単作地帯になったことがあげられます.冬に東北地方の人々による「出稼ぎ」が多かったのはこのためです.
日本の歴史は昭和30年代後半まで「米不足の歴史」でした.しかも米は換金作物であり,長い日本の歴史の中で常に経済の中心でした.これはお父さんもご存じの通りです.
したがって東北地方,特に秋田,山形は藩主や大商人よって干拓,開拓,農業技術の振興と奨励が行われました.新潟もそうですね...
特に庄内平野における本間家の事業は有名です.これは私のホームページの「地域編」にでていますから参考にしてください.
秋田では保温折衷苗代によって田植え時期を早めるなどの工夫も見られました.こうした「米しかできない」「米にしか頼れない」地域で米作りの技術が一番進歩しました.(豪雪地帯ではないですが宮城も同様です)
子供たちは「水」と「土」と「種」さえあればお米はできると思っています.教科書でも今日的なことはとりあげていますが,こうした自然や社会条件を克服してきた「歴史」があって,今日があることを教えていません.学校の先生でもよほどの勉強家でなければ知らないのです.
どの地域にも目の前にある田んぼには歴史があります.一例をあげれば「田んぼ」は水がなければできませんが,その水はどこから来ているのか・・だれが,いつ,その水路を作ったのか・・・ですよね.誰かが作ったから今そこで米作りができるんです.このことがとても大切なことなのに,学習ではその部分が欠落しています.
さて,続きですが,先程も述べたように日本の歴史は米不足の歴史でした.特に戦中戦後の米不足は目を覆うばかりで,政府は戦前から続いていた「食糧管理制度」を徹底して,米の100%自給と100%の政府管理体制を作りあげました.
他の作物はその年の出来不出来,あるいは社会的状況によって価格が変動しますが「お米」だけは常に一定の価格で買い上げられるために農家は積極的に米作りに励みました.(一方では世界一の高価格米という消費者にとってはありがたくない結果にもなりましたが・・・)
とにかく,その甲斐もあっての農家の生活レベルが大変に向上しました.米の単作地帯である東北地方も政府の後押しで耕地整理や農地の拡大,機械化が進みました.こうして東北地方,特に秋田,山形,新潟,宮城4県の米の生産量が多くなったのです.
これでよろしいでしょうか?あとはお父さんからお子さんに話してあげてください.
ゲンボー先生
お米の、名前の由来と、お米の名前の由来は誰が考えたか、教えてください。
ゲンボー先生
美穂さんメールをありがとう.
お米の名前は国の試験場で作られた品種に「農林22号」とか「農林1号」など,番号が付けられました.
でもそれじゃ味気ないし,売れないということで,みんなに親しみやすく分かりやすい名前をつけようと言うことになりました.
国の試験場でできたお米はカタカナで表されました「コシヒカリ」「ササニシキ」などがそうです.県の試験場でできたお米にはひらがな使われました「あきたこまち」がそうです.
しかし,今ではそうしたことにこだわらずに自由に名前を付けています.
コシヒカリの名前の由来は「越」(こしの国=新潟,富山,福井の古い国名)と「光」をあわせてコシヒカリにしました.ヒノヒカリは「日」(日の国=宮崎県の古い国名)で改良されたコシヒカリです.名前の後ろに〜ヒカリとつけばそれはほとんどコシヒカリの改良種です・この名前が多いのはコシヒカリの味が現代の日本人に好まれていて,各地域の気候にあわせた品種の改良が行われているからです.名前を付けたのは試験場の人たちです.
しかし,今ではみんなで考えた名前が多いようですよ,「どんとこい」とか「どまんなか」とか「森の熊さん」とか「どらぴか」なんて面白いですね.
ゲンボー先生
こんにちは。私は、学校で 社会の時間お米のことを調べ始めた小学5年生です。 私は、お米のことを調べているとちゅう お米の種類によって、値だんや、それぞれの産地がちがうことにきがつきました。そのほかにもお米を、うまく作る方法や水を引くめやすなど、お米について だいじなことがあればおしえてください。
ゲンボー先生
瞳さん.メールをありがとう.
お米の値段が種類と産地によって違うということによく気がついたね.以前は政府がお米の値段を決めていましたが,今では東京と大阪にある 「自主流通米価格形成センター」(じしゅりゅうつうまいかかくけいせいせんたー)で決められます.このお米がスーパーやお米屋さん,コンビニなどに運ばれてみんなのところに届きます.こういうルートを通ったお米を「自主流通米」(じしゅりゅうつうまい)といいます.
米作りにとって大切なことはいくつかあります.
1.まず田んぼを十分に耕す.土の目を細かくすると水が底から抜けていかずに必要以上の水を無駄に使わずにすむ.しかも根がはりやすくお米の生育がよくなります.
2.お米にとって特に水が必要なのは苗から穂ができるまでのあいだです.この間は田んぼの横を流れている用水にはいつも水が流れています.用水の水は川の取水堰(しゅすいぜき)からとられてくるものや,ため池からとるもの,ポンプで地下からくみ上げるものと様々です.
いずれもある時代や時期に農家の人たちが作ったものです.先生の家に近くにも江戸時代に作られた用水やため池があります.君の家の近くにある田んぼの水はどこから来ていますか?いちどさかのぼって調べてみると面白いとおもいますよ・・
3.穂の中にお米ができて葉っぱが黄色くなってくると今度は水を抜かなくてはなりません.これはもともと稲がインドから伝わってきたためなのです.稲はモンスーン気候という雨期と乾季(かんき=雨が降らない乾燥した時期)がある場所で人類に発見され作られてきました.何千年もかけて日本に到達した稲の中にはそういう性質が組み込まれていました.日本にも梅雨という雨期がありますね.雨期に育って乾季に実が熟していく米の性質に合わせて田んぼという狭い範囲の中の自然条件を合わせてやることが大切なのです.
ゲンボー先生