玉川学園・玉川大学
ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.
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こんにちはぼくは、世界のお米に関する行事について調べています。日本の祭りは、ほとんどお米の収穫祭です。世界のお米を主食にしているところの行事(祭り)を教えてください。saka
ゲンボー先生
メールをありがとう.
日本の歴史は米作りの歴史と言ってもよいほど,人々はお米に関わってきました.日本は今でこそ工業国ですが,明治時代までは農業国でした.その中心がお米で,お米はお金のかわりもしましたので,お米がたくさんとれるところは豊かで,そうでないところはだいたい貧しかったのです.特に江戸時代には農民から年貢としてとったお米で生活していた「武士のための仕組み」ができたので,なおそうなったのです.ですから人々はお米が出来るように祈ったり,無事にしゅうかくができたときにお祭りをしたのです.お祭りの多くが秋に行われるのはそうした理由からです.
さて世界ではお米が主食でないところもあります.小麦やトウモロコシやお芋などですが,そうしたところにもしゅうかくの祭りはあります.地球上のどんなところでも,いつでも, 家族のみんながうえることなく食べられるということは大きな喜びなのです.わかるでしょ?
お米を主食にしているのは主にアジアの人々ですが,今も言ったようにどこにでもしゅうかくのお祭りがあります.日本のお祭りのように,まず「神様」にとれた作物をささげます.それからみんなで踊ったり歌ったり,ごちそうを食べるのです.着ている服や話している言葉や料理は違っていてもこれはどこでもほとんど同じです.
一つ一つお話しするときりがないので,珍しいというか日本と似ている場所の話を簡単にします.中国の雲南省(うんなんしょう)というところの山奥にある村では普通のお米以外に「赤米」という赤いお米を少しだけ作ります.これはしゅうかくのお祭りに使うためです.赤米は何に使うのでしょうか?・・わかりますか・・「お赤飯」なのです.
その村の人々はお祭りやめでたいときにお赤飯を炊いて食べるのです.これが日本のお赤飯のもとです.日本では平安時代ごろからお米に小豆やササゲなどの豆を炊いて赤い色を付けるようになったそうですが,それまではやはり赤米を食べていたそうです.
近ごろ赤米が健康によいということで再び食べられるようになりましたが,それらは神社などでひっそりと作り続けられていた赤米を増やしたとのことです.その神社には本来のお赤飯の伝統が残っていたのでしょうね.
お祭りは夜店が出来てにぎやかで楽しいものです.先生も子供のころは「金魚すくい」や「ハッカパイプ」や「射的」などに「むね」がワクワクしました.
そのおおもとは「お米がたくさんとれたよ〜」「これで今年一年家族が安心して生活できるよ〜」という「生きていられる」喜びだったのですよ・・このことを知った君は他の人とちょっとちがった感じでお祭りに参加できますね.(笑)
ゲンボー先生:ありがとうございました。赤飯のもとが赤米だったなんて、ぼくは全然知りませんでした。ぼくがインターネットでいろいろ調べても、よくわからなかったことをゲンボー先生はどうやって研究したのですか。(謎?)とにかく、これで教室で自慢して話すことができます。うれしいです。ありがとうございました。
ゲンボー先生
卓也君.メールをありがとう.
穂いもち病は薬が出来るまでは稲作の大敵でした.昔の人は病気になった稲はすぐに抜いて焼きました.広がってしまった場合は田んぼごと刈り取って焼きました.焼かないと病気の元が他の田んぼに移ってしまうからです.卓也君はどのようにして稲をそだてていますか?田んぼですか?バケツですか?
様子をもう少しくわしく教えてください.とにかく今病気になっている稲はすぐに抜いてしまい,焼くかビニール袋に入れてゴミに出すかしてください.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
夏美さん.ご返事が遅くなってごめんなさい.先生は調査で旅行に行っていたのです.今ではお米は米俵に入れて運ぶことはありません.米俵に入れているのは珍しくて買う人やもらう人が喜ぶからです.
お米は袋に入れて運びます.刈り取られたお米は乾燥されてモミがついたままで袋に入れて倉庫に保存したり,農協や業者に送ります.業者や農協はモミをとった玄米の状態でお米やさんに送られます.このときも袋に入れてです.
お米やさんは玄米を精白して「お米」にしてビニール袋に入れて売ります.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
ご心配なく.気分的には嫌でしょうが「穀象虫」は食べても害はありません.ただのタンパク質です(笑)
ゲンボー先生
先生にお返事頂いて安心しました。主人も笑っていました。そんなくだらないこと聞いたのか。と。今度からは、気をつけて、お米を無駄にしないようにします。ますますのご活躍お祈りしております。高田
長坂小学校、5年3組、悠大、5年2組、陸です。米作りをやっている人の気持ちはどうなんですか?手植えの前はどんな植え方をしていたのですか?
メールをありがとう.
どんな作物でもそうですが,農家の人は「病気になりませんように」「虫がつきませんように」そして「良い作物がたくさんできますように」と思っています.良い作物がたくさんとれれば,お金もたくさんはいってきて生活も豊かになるし,食べてくれる人にもよろこんでもらえるからです.
大部分の農家は作物を作ることは,お金もうけのためだけとは考えていません.ものを作る喜びや,人によろこんでもらえると言うことも考えているのですよ.この気持ちは実さいにものを作った人でなくては分かりませんね・・ですから君たちも自分のためだけではなくて「人のため」になることを何かしてみてください.人によろこばれると言うことが自分のよろこびになることが良く分かると思います.
手植えの前ですか?お米作りは機械の前は手植えでした・・あ〜そうか・・田植えじゃなくて,という意味ですか?それなら,種をじかにまいていたのです.しかもそうした時代のお米はいろんな品種が入り交じっていましたから,白いのや赤いのや黒いのや・・と様々な種類のお米が一度にとれました.そうしたお米が種るい別になったのは日本ですと奈良時代のようです.
種をじかにまくより苗にしてからうえた方がよい,ということが分かったのは古墳時代ごろと思われますが正確には分かりません.ある程度大きくなったほうが虫がつきにくいのと寒さから守れるということです.それに規則正しくうえた方が成長も大きさそろうしお米のとれだかが増えるからです.
ゲンボー先生
わからないことがあるので教えてください。
1 縄文時代にお米が日本に来たことを学びました。
どんな人がどんな方法で届けたのですか。
苦労したことなどわかりますか。
当時、海を渡ることは困難だったのではないでしょうか?
2 日本にお米が伝わったのは、世界の中で早いほうですか?
ゲンボー先生
友里さん,優妃さん.メールをありがとう.
1.縄文時代には早くから船が造られていて,大陸や遠くの島から多くの人が日本に渡ってきたと考えられています.中国の華南から日本まで黒潮という海の流れや季節風に乗ると2〜3日で日本に着いてしまうそうです.ビックリでしょ・・
六千年前には中国の華南でお米が栽培されていましたから,そうした人が新しい土地をもとめて日本に来たとしても不思議ではありません.ただしそのころの稲作は,イモやヒエ.キビなどといった雑穀や田の作物の一部として畑で作られていたようなのです.
日本で本格的に水田の技術が伝えられたのは,縄文時代の後期の終わりごろのようです.やがて弥生時代になってその技術は日本中に広まっていきました.
2.アジアの各地にはほぼ同じ頃にお米が伝わったようです.日本が他の国と違うのは北のほうでお米が作られたということです.これは世界一のことです.
ゲンボー先生
○米の種類について調べていますが、調べてもわからないことがあったので教えてください。
1.福岡県に「ニシホマレ」という品種がありました。この名前の由来を教えてください。
ニシホマレは1979年に「南海43号」と「中国45号」という品種をかけ合わせて作られました.作りやすいと言うことと大粒でたくさんとれるということで九州地方で多く栽培されていましたが,味がイマイチということで,ニシホマレから新しく作り出された「柔小町」に変わろうとしています.しかし,お酒作りに必要な糀(こうじ=お米をアルコールにかえる菌を育てるお米)や,大粒なためにお酒のもとになるお米には向いているために各地で利用されています.
先生も調べたのですがニシホマレの名前の由来は正確には分かりませんでした.
ホマレ(誉れ)というのはヒカリやニシキと同じようにお米の名前によく使われる名前ですね.九州(西)で出来た品種なので「西の誉」と言う意味かなあ・・
黒米は普通のお米の3分の1ほどしか収かくできないので,だんだん白米に負けてさいばいされなくなったお米ですが,栄養価が高いのがとくちょうです.特に色のもとであるアントシアニンには「ばいきん」を殺したり,血管を強くするはたらきがあります.黒米を少しだけ白米に入れて炊くとお赤飯のようになります.
赤米も黒米と同じように古代米の1種です.赤い色にはカテキンというばい菌を殺したり,ガンをおさえるはたらきのある物しつが含まれています.この赤米がお赤飯のルーツです.
害虫が来たとき、農薬を使わない農家の人たちはどうやっているのですか?
農薬をまったく使わずにお米を作るのはとても大変です.お米にはばい菌いがいにも虫がついたりカビが生えたりするからです.
1.まず,土作りをしっかりやります.
田植え前にしっかりと土を耕し「さんそ」をたっぷり含ませたり,太陽の光をあててばい菌やカビ菌,それに虫を殺します.
2.栄養をしっかりやります.
田植え前と田植え後に肥料をあげますが,これも化学肥料ではなくて自然の肥料をあげます.自然の肥料は葉っぱをくさらせたりニワトリのフンを混ぜたりした「有機肥料」(ゆうきひりょう)のことです.
3.田んぼの環境を良くすることに気を使います.
田の草取りは農民にとっての重労働です.今では除草剤(じょそうざい)という薬を使うのが当たり前なのですが,これも手で取ります.
水の管理も大切です.必要なときには水をたっぷりあげて,穂が出て色づく頃には水を抜いてあげなくてはなりません.
1〜3のようにていねいに稲を育てると虫や病気に強くなります.しかし,それでも病気になることがあります.その場合,病気の稲を見つけたらすぐに抜いて焼き捨てます.特にコワイのが「いもち病」で,農薬の無かった昔は,いもち病の田んぼはすべて抜いて焼きはらいました.そうしないとばい菌が他の田んぼの稲にうつってしまうからです.
現在の日本では「農薬」が悪者あつかいされていますが,使いすぎがいけないので,まったく使わないとなると手間もかかるし値段も高くなるし,とれる量も減ってしまうのです.今世界では一日に1万人とも言われる人々がご飯を食べられずに「飢え死に」しています.その多くは君たちと同じ子供です.世界中で農薬を使わなくなったらその何十倍も死者が増えると言われています.
ですから,私たちは農薬を使わなかった昔に戻るのではなく,どうやって農薬の害を無くしながら生産を増やすかと言うことを考えていかなくてはならないのです.君たちも良いアイデアを出してください.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとう
誰でもお餅が中国や朝鮮にもあると思っているようですが、実は「無い」のです。
韓国には「うるち米」(私たちが普通に食べているお米)で作ったトックというお餅がありますが、日本のお餅のように弾力性や粘りがありません。もち米をペッタンペッタンついて作る「お餅」は日本独自のものなのです・・トックはスープに入れて食べますからお雑煮に似ていますね・・・ トックについては日本のお餅とどちらが古いのかは調べていないので分かりません。
中国で春節(しゅんせつ=お正月のこと)に食べるのは、餃子や大根餅などで、餅といっても小麦粉を原料にしたものが主です。
さて、日本人がお餅をお正月に食べるようになったのは平安時代頃からといわれていますが、お餅の歴史はそれよりも古かったと考えられています。
日本では節句にお餅を食べる風習が古くからあります、1月1日は元旦でお雑煮、3月3日は菱餅や桜餅、5月5日は柏餅などです。そうそうお正月には鏡餅をお供えしてあとで食べますね、鏡餅(かがみもち)の歴史は古く、もともと年玉(としだま)という丸い形のお餅を重ねたもので、本来は年霊(としだま)といい、それがお年玉の言葉のもとなのだそうです。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
お米の作り方ですが,国や地方によって様々な違いがあります.日本でも平野と山間部では田んぼの形が違いますね.段々になっている田んぼを「棚田」(たなだ)と言いますが大きな機械は使えません.したがって手仕事が多くなります.フィリピンやインドネシアにも棚田がたくさんあって,こうしたところでは水牛や人間の手仕事で稲作が行われています.面白いところではタイのチャオプラヤ川河口付近の稲作があります.
チャオプラヤ川は雨期になると水かさが増して洪水になります.洪水といっても日本のようにドバッと流れてくるのではなく,何日もかけてジワジワ水かさが増してきます.気がついたら道路が水の下...なんてことになるわけで,人々が移動するのにもこの季節は船になるというわけです.面白いねえ・・さて,稲作ですが,水かさが増すと稲が水の下になってダメになっちゃう・・と誰もが思いますね.ところが大丈夫なのです・このあたりには独特の「浮き稲」という稲があって,水かさが増すと茎も伸びるのです・・不思議・・つまりいくら水かさが増しても葉っぱと穂が水の上にでている・・
稲刈りは船の上からするんだよ・・引っこ抜くと3メートルくらいになるそうで,場合によっては4〜5メートルにもなります.スゴイね〜見てみたいね・・
米料理はこれまた沢山あるよ・・先生のページより「エスニック料理」のページで調べた方が良いと思います。
しかし、せっかくだから一つだけ・・ベトナム料理に「お米の粉」をといって、うすくのばしたライスペーパーにお魚や海老、お肉や野菜を入れてまいた料理があります。春巻きの揚げてないみたいなものと思ってください。
これをニュクマムというお魚で作ったお醤油をつけて食べるのです。ベトナム料理は日本人の口に合うものが多く、先生はこれが大好きです。
ゲンボー先生
ゲンボウ先生の質問コーナーで、「ご飯は、小麦に比べると栄養が優れている」ということを読みました。多くの国で小麦が食べられている中で、日本人は、なぜ米を選んだのですか。教えてください。
ゲンボー先生
メールをありがとう。
日本はモンスーン気候に属しています。モンスーンはインドの東から東南アジア、中国の華中、韓国、そして日本の東北地方までの気候で、雨がふる「雨期」と降らない「乾季」に分かれます。日本で言うと梅雨と秋雨が雨期ということですね。この気候がお米作りに適していたのです。
小麦はお米に比べて乾燥(かんそう)した涼しいところで作りやすい作物です。ですから同じアジアでも中国の華北や北朝鮮はもともと麦の文化でした。
中華料理で「餃子」「シュウマイ」「饅頭」など小麦を使った料理は「北京料理」、お米を使った料理は「広東料理」「四川料理」など南の地方なのはそういうわけからです。
品種改良のことで、おしべを切り取って受粉するということ、ゲンボウ先生のコーナーで読みました。あんなに小さな花から切り取る作業にびっくりです。
1 品種改良での苦労などは他にありますか?
2 ひとつの品種ができあがるまで何年くらいかかるのですか。
今では、植物の細胞にある遺伝子(いでんし)を組み替える技術が発達したために、オシベを切る作業はほとんど行われていません。
一つの品種を作りには実験を繰り返し、実際に何年か作って「できる量」「おいしさ」「病気についよいか」「作りやすさ」などを調べて、「これは商品になる」と判断されたら、種を取るためにだいきぼに作ります。そうして種もみの準備ができたら売り出されるわけです。
つまり最低でも3〜4年かかるということですね。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
世界中でお米を作っている国はとても沢山あります.しかし,主食としてたくさんの量を作っている国は限られた地域に集まっています.国の数は最後に数えてください.
まず,東アジアの日本・韓国・北朝鮮・台湾・中国・
東南アジアのフィリピン・ベトナム・ラオス.カンボジア・タイ・マレーシア・ミヤンマー・インドネシア.ブルネイ
西アジアの.バングラディシュ・インド東部・スリランカ
以上の地域は「モンスーン気候」という雨が降る時期と降らない時期がハッキリしている国です.日本の梅雨(つゆ)や秋雨(あきさめ)は雨期にあたります.
ここから先は主食ではないけれど比較的(ひかくてき=他と比べて)多くお米を作っている国です.
中近東は小麦から作るパンが主食ですが,川があるところではお米も作られています.しかし,量は多くありません.イランのカスピ海沿岸.イラクのチグリス川.ユーフラティス川流域です.トルコでも黒海の近くで少しですが作られています.
ヨーロッパではイタリアのポー川流域が有名です.そういえばイタリア料理にはリゾットがあるなあ・・パエリアのあるスペインでも少しですが作っています.
あとはアフリカのニジェール川(ナイジェリア連邦共和国やニジェール共和国)流域では「グラベリマ種」という特別なお米が作られています.このお米は私たちが食べているジャポニカ種や世界の大部分で食べられているインディカ種と異なる別系統のお米です.
アフリカ諸国では日本を初めとする援助の一つとして「米作り」の技術指導が進んでいます.
アフリカの気候は場所によってモンスーン気候ににているところや,大きな川があるので条件さえ整えればお米を作ることが可能なのです.世界の人口がどんどん増えて食料が足りなくなるとき,小麦よりはるかに栄養価の高いお米作りがアフリカにひろまれば,人類はずいぶん救われることでしょう.
さて,最後に「輸出を目的にお米を作っている国」を紹介しましょう.
アメリカ合衆国とオーストラリアです.どちらも輸出することを目的に作っています・アメリカ南部のアーカンソー州やルイジアナ州,テキサス州では主に細長くてパラパラしているインディカ種が,西部のカリフォルニア州では日本人好みの丸っこくて粘りけのあるジャポニカ種が作られています.
最近ジャポニカ種をたくさん作り始めたのがオーストラリアで,主にニューサウスウエールズ州で作られています.生産量はまだそれほど多くないのですが主食ではないので,ほとんどが輸出されるというわけです.ですから,輸出量は世界第9位です.
しかもオーストラリアの米作りは輪作(りんさく)と言って1年目には牧草をまいて羊をかい,2年目には大豆を作って,ようやく3年目に稲作を行っています.
羊のフンはそのまま肥料になります.また大豆の根には植物を育てるのに必要なチッソを作る「バクテリア」と言う目に見えない菌のようなものがついています.
ですからオーストラリアでは化学肥料は使いません.稲も丈夫に育つため農薬も少量ですみます.だから安全でおいしいのです.しかも前に書いたように自分たちの主食ではないので,輸出先が希望するお米を作ることができます.
やがて日本がお米を自由に輸入するようになれば.「オーストラリア産コシヒカリ」が店先に並ぶことになります.それは安くておいしいお米のはずです.
世界のお米をのことをちょっと調べただけでもこれだけのことが出てきます.はる香さんもどこか国を決めて調べてごらんなさい.面白いことがたくさん分かると思いますよ.
ゲンボー先生
げんぼう先生こんにちは。私達の小学校では、「総合的な学習」の中で米作りをしてきました。そしてこの間脱穀をした時に、もみを受けたボウルのまわりに、シッカロールのようなとても粒子の細かい白い粉がついているのを見つけました。友達がその粉を腕にこすりつけたら「痛いっ!」と言っていました。それを顕微鏡で見てみると、茶色い鋭いとげでした。それが何なのか、学校の図書室やインターネットを使って調べましたが全くわかりませんでした。
げんぼう先生ならご存知かと思いメールを送らせていただきました。わたしたちの見つけた白い粉が一体何で、どんな働きがあるのか教えて下さい。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
夏帆さん.メールをありがとう.
籾を受けたボールについていたのですね?実物を見ないとハッキリしたことは言えませんが,多分それは籾の周りに生えている小さな「うぶげ」でしょう?モミを虫眼鏡で見てごらん・・イッパイ生えているから.で,ほんとうの名前は「ノゲ」です.
これは葉っぱの変化したもので,モミの周りにあって温度調節をするものなんです.暑いときは熱を出して,寒いときは中を保護します.つまり人間で言うと「服」にあたるものですね.
他には,稲科の植物には葉っぱの周りに「プラントオパール」というガラス質の細胞があります.もしかしたらそれも混じっているかもしれません.いずれにしても,君たちの柔らかいヒフにはささるだろうなあ・・(笑)
でも,面白いことに気づいたね.そういう「なぜ?」は勉強をする上でとても大切なことです.これからも,「あたりまえ」のことと「なっとく」しないで,「なぜ?」「どうして?」という気持ちを大切にしてくださいね.
ゲンボー先生
総合学習で、「お米のおいしい炊き方」について調べます。水の量・炊く時間など、一番おいしく炊ける方法を教えて下さい。
ゲンボー先生
メールをありがとう.
昔からご飯の炊き方はいろいろあって,みなそれぞれに「自分が一番」と思っています.(笑)
良く言われるのは「はじめトロトロ中パッパ,赤子泣いてもふたとるな」です・・しかし,炊きあがりがふっくらしていればそれにこだわることはありません.
今はほとんどの家で電気やガスの「自動炊飯器」でしょ?あれにはお米の量にたいして最も適切な水の量が示してあります.しかし「かためがすき」とか「やわかいのが好き」とか好みもあるし,お米の状態によっても「ビミョー」にかわってきます.
先生はボーイスカウトのリーダーをしていますが,適当に炊いています.飯ごうで炊くときは指の第一関節まで水を入れる・・とか鍋や釜で炊くときは手のひらをつけて,手の甲の真ん中までとか決めていますが,炊きあがりはやるたびにかわります(笑)
飯ごうのときはいくつか水加減をかえて「固めが好き」とか,「柔らかめが好き」とか「お焦げが好き」という個々の子どもにあわせて,そのご飯をよそいます・・こうすれば炊きあがりにはこだわらなくてすみます.
釜で炊くときはかたい部分ややわかい部分をわけて食べます.つまり人間の方であわせるのです・・いいでしょ・・
次に先生のお母さんは74歳ですが,いまだに炊飯器は使っていません.ガスで炊くのです.
で,お米が煮えたって水が無くなりそうになる直前に「さいばし」でかき回します・・(おそろしい!)それから,その「さいばし」で10カ所ぐらいぐりぐりやってムリヤリ「かにの穴」を作ります.そうするとそこからアワと蒸気が上がります.で,あとは蒸らしておしまいですが・・これが不思議とうまいのです・
これと似た方法をテレビで見たのですが,どっかの国では先生のお母さんと同じやりかたでしたよ・・
で,先生の答え・・みんなでためしてみよう!いろいろやってみれば分かります.水加減.火加減.研ぎ方.経験をつめば君たちなりの答えが出ます.その時に必ず記録をとっておくこと・・これが一番大切です.
ゲンボー先生
わたしたちは,おにぎりに秘められた日本人の知恵というのを調べています。ゲンボー先生おにぎりに秘められた日本人の知恵について何か知っていませんか?教えてください。
ゲンボー先生
梨沙さん.メールをありがとう.
今から約二千年前の弥生時代の遺跡から真っ黒にこげた「おにぎり」が発見されました.たまたま火事か何かにあっておにぎりが炭になったので残っていたものです.
つまりおにぎりは少なくとも弥生時代にはあったと言うことです.このおにぎりの形は今と同じ三角形ですが,てっぺんがちょっと出っぱっています.これは神様にあげるおにぎりの形なのです.昔の人は神様におにぎりをささげていたのですね・・
しかし,おにぎりは持って歩くお弁当としても大変に便利なため,ふるくから人間さま用にも作られてきました.
はじめの頃は塩おにぎりでしたが,やがて味噌をぬったり梅干しを入れるようになります.鎌倉時代には武士が戦争中に食べていました.塩や味噌を塗るのはご飯がくさらないようにするためです.また梅干しも酸が強いためにご飯がくさりにくくなります.しかも,どちらもおかず入り(つき)ですからウマイ!
江戸時代になると持ちやすくするために海苔でまいたり,漬け物の葉っぱでまくものも現れました.便利ですね・・
やがて現代になってシャケだのタラコ,それにかつぶしや昆布などの海産物がはいるようになりました.先生が子どもの頃はこれです.更に昭和60年代から平成の時代になるとコンビニおにぎりが出現して,ツナマヨとか天ぷら,チャーシューおにぎりなんていうものも現れましたね.こうなると,おにぎりはもう携行食ではありません・・持って食べるお弁当です.
本来おにぎりは長い間持って歩くために「くさりにくく」してあったものですから,その目的もだいぶかわってきました.でも,おいしければイイや(笑)・・君はどんなおにぎりが好きですか??
先生は,シャケ・タラコ・明太子・・それにおかか・・なんて好きだなあ・・そうそうネギ味噌もあった・・
ゲンボー先生
籾スリで機械を使わずにできる方法はありませんか?
ゲンボー先生
メールをありがとう.
少しなら手でやってもとれますが,よく乾燥したお米なら,それほど難しくありません.板と板の間にモミをいれて,円をかくように上の板を動かしてごらん,力かげんがむずかしいですが,慣れると少しずつモミがとれます.
もう一つのやり方は,むしろ(なければ古くなったシーツ)の上にモミ米をおいて,棒でたたく方法です.
何度もやるうちにモミがとれます.お米とモミを分ける方法は,扇風機の前に上から少しずつ落とします.そうすると軽いモミは遠くに飛んでお米が下にたまりますから「ざる」で受けましょう.ただし,これをするときは外でしないとたいへんだよ・・家中モミだらけになっちゃう・・
ゲンボー先生