玉川学園・玉川大学
ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.
はじめまして。練馬区の平田です。実は勤務先の保育園で稲を育てる事になったのですが、稲づくりは初めてなので水を毎日朝夕あげる以外に何をしたらいいのかわかりません。現在は20〜25センチ程度に伸びています。今後の育て方として肥料はあげる方がよいのでしょうか?もしあげるなら何をどの程度あげればよいのでしょうか?また、子供と共に出来る害虫対策があればお教え頂きたいと思います。お忙しいところ申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
ゲンボー先生
平田先生、メールをありがとうございます。水は毎朝あげる必要はありません。そのかわり常に3〜4センチ水がかぶっている状態を保ってください。これは穂が出てお米が籾の中にできあがるころまでです。
そのうち水に藻がでたり、雑草がはえてきますから、ていねいに取り除いてください。稲はバケツやプランターなどで育てているのですか?でしたら風通しの良い、日当たりの良いところに置いてあげてください。
梅雨時は水が増えすぎないように注意してください。雨にあててもかまいませんが、続くようでしたら軒下にいれてください。
肥料は化成肥料をあげてください。量は状態によって異なりますがバケツ程度でしたらほんの一握りです。やりすぎに注意してください。やりすぎると根がやられて枯れてしまいます。手を掛ければかけただけしっかり育ちます。勢いのある稲は見ればすぐに分かります。色が濃くてピンと葉がのびています。
害虫対策は風通しの良いところに置くこと、虫が付いたら手で取ること・・とりきれないほどついたら、市販の殺虫剤をごく少量風上から遠巻きにかけてください。もちろん風下に人間がいてはいけません。(ホームセンターのようなところでは農薬を売っています、本格的にやりたいときはそこで事情を話せば適切な農薬を教えてくれます。そうでなければアースみたいなものでもかまいません)
子供とできること・・・・・・・・ですか・・・・・昔の農民は焚き火をたいてその煙で虫をおいました・・・そういうことができますか?杉の青葉がいいのですが・・周りに家があったら苦情がきそうですね・・笑・・練馬区のどのあたりですか?虫以外でしたら、実りの季節にスズメがきますから「かかし」作りなどはいかがでしょう?これなどは子供が喜びそうですね。困ったことがおきたら、いつでもメールをください。
ゲンボー先生
1)ミルキークイーンは病気に強いですか?
2)コンバスとコンバインは同じですか?
3)いもち病にかかった稲は食べられますか?
よろしくお願いします。
ゲンボー先生
鞍手町立室木小学校 5年生のみなさんメールをありがとう。
1.ミルキークイーンは病気に強いですか?
ミルキークイーンはコシヒカリが突然変異を起こしてできたお米です。ですから見た目も性質もコシヒカリによく似ています。つまり、風に弱く倒れやすい、いもち病に弱い、寒さには強い、などです。ですから特別病気に強いということはありません。ミルキークイーンはアミロースという成分が少なく、「もちもち感」が強いため「おにぎり」にむいているというお米です。ということで、コンビニのおにぎりにもミルキークイーンが使われはじめています。
2.コンバスとコンバインは同じですか?
コンバス?という機械は知りません。先生の勉強不足かなあ・・・たぶん違うでしょう・・ふつうコンバスといったら「コントラバス」という楽器のことだと思うのですが・・・間違っていたらごめんね・・
3.いもち病にかかった稲は食べられますか?
いもち病には「葉いもち」と「穂いもち」があり,どちらもカビの仲間が原因でおこります.感染力が強いためいもち病にかかったお米は,すぐに抜かれたり,焼かれたりします.ふつう「もみ」の中に米ができる前におきますので,お米が実ることはまずありません.
お米ができている状態でいもち病にかかった場合・・食べようと思えば食べられると思います.人間にとって毒ではないからです.しかし,まずいだろうなあ・・・
ゲンボー先生
ゲンボー先生
ちなみさん。メールをありがとう。
「亀の尾」「朝日」「赤毛」「坊主」「あらき」「酒田」「のげなし」「最上」(もがみ)「かるこ」などが知られています。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
百香さん。メールをありがとう。
お稲はだいたい150日かかって実りますが、成長は100日くらいで止まります。ふつうのお米で80センチ〜1メートルくらいですから。日数で割ってみてください。そうすると一日の平均が出ます。
しかし、人間と同じように、ある時期に成長が活発になります。ちょうど6月の終わり頃から7月の終わり頃でしょうか・・ですから、時期によって違うことを知っておいてください。のびるときには一日で1センチくらいになることもあります。
ゲンボー先生
1.お米料理の種類は、日本食が多いと聞きますが、本当ですか?
2.ほんとうだとしたら、もともと、渡来人により、伝えられたお米料理が、日本食の方が多いというのはなぜですか。
以上です。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
知香さん。メールをありがとう。
1.お米料理はお米を作っている国ならたくさんあります。日本だけではありません。多分ですが、中国のほうが多いと思いますよ・・数えたことがないけれど・・・・先生はインドネシアやタイに行ったことがありますが、いろんな種類のお米料理がありました。料理の数が多いとか少ないと言うことより、その国独自の料理を大切に考えていきたいですね。料理はその国の歴史や文化でもあるのですから。
2.お米そのものが中国からきたものですし、朝鮮とも行き来が多かったのですから渡来人がもたらしたお米料理は多いでしょうね。お赤飯を食べる風習も中国やタイ、ラオスの山間民族からもたらされたものです。ちまきは中国から、おかゆは朝鮮かな???
それらが、長い時間をかけて日本人にあったかたちに進化してきたのです。ですから本当は渡来人が持ってきた料理だけど、今は日本料理になっているものの数は多いと思いますよ。そんなのを調べたらおもしろいですね。
またメールをください。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
柴崎さん。メールをありがとう。
効率よく作るために農家の人はいろいろな工夫をしていますよ・・・
・田植え:昔は苗代という苗を育てる場所を田んぼに作って、育った苗をそこから抜いて、手で田植えをしました。君たちが住んでいる北海道では苗代に油紙をかぶせて寒さから守ったりもしました。大変だったのです・・・今は、温室の中で「苗箱」で苗は育てられます。苗箱で育った苗は田植機にセットされ、簡単で効率的な田植えができるようになりました。
次に、雑草とりとか害虫から稲を守る方法ですが、以前は草取り機とか手で取っていましたが、今では薬で雑草が生えないようにしてしまいます。でもこれはちょっと問題になっています。害虫や病気にはその直前に(そろそろ害虫が出てくるなあ・・とか、病気が出てくるかなあ・・)というタイミングを見てうまくまくと、少ない量の農薬で効果があがります。農家の人はこうしたことを経験的に知っていますが、今ではインターネットとかJAの情報でいち早く薬をまくタイミングをはかっています。
稲刈りだって、昔は腰をかがめて鎌で刈っていましたが、今はコンバインで刈っちゃうでしょ・・江別あたりでは大きな機械で刈り取っていますね。これも効率的な方法と言えます。
さあ、ここから先は実際にどうなっているか、実際に見たり聞いたりしてください。そうするともっとくわしく分かるようになります。がんばってね・・・
ゲンボー先生
小学1年生の娘と初めてプランターで稲を育てています。父の面子もあり夜な夜なこのHPで学習しております。(実は子供より私がはまっています)黒土に化成肥料を混ぜて日当たりの良い場所に置いています。水だけはこまめにチェックし枯らさないようにしています。(子供の仕事にさせてます)稲はすくすく伸び既に60cmになりそうな勢いですが近所の田んぼを見ると育ちすぎのような感じもしますが大丈夫でしょうか?これからの時期注意する事は有りますか?
ゲンボー先生
森竹様
メールをありがとうございます。
お父さんが「はまる」・・いいですね〜・・・・頑張ってください。お嬢ちゃんにも良い経験になるでしょうね。メールを読ませていただいた限り問題はないと思います。「育ちすぎ」ですが、稲は植える時期によってそれぞれ成長が異なりますので気にすることはありません。大変に結構なのではないでしょうか。
プランターはどこに置いてありますか?家の中ですか外ですか?
ちなみに、魚沼産コシヒカリは日中は暑くて夜涼しい環境が生み出した、と言われています。この環境を人工的に作り出すのも面白いかもしれませんが、初めてとのことなのであまり手を加えないほうが良いかもしれませんね。
この時期に注意することと言えば「雑草」と「虫」ですね。藻が出てくることもありますからこまめに取り除いてください。
虫は多いようでしたら、殺虫剤をまく。そうでなければ手で取ってください。すくすくと健康的に育っている様子なので、虫はつかないかもしれませんが、チェックだけは怠らないでください。
ゲンボー先生
今度、大好きなお米の事で統計グラフを作りたいと思うのですが何の統計を取ったらいいのか悩んでます。
教えてください!お願いします。
ゲンボー先生
佳奈ちゃん。メールをありがとう。
お米の取れだかや、値段のうつり変わりは本にも出ているからちっとも面白くないね・・・佳奈ちゃんが調べて作るグラフがいいと先生は思います。
たとえば、佳奈ちゃんの家で一週間にどれだけお米を食べたか、他の主食と比べてみる。または、クラスのみんなにきょう力してもらって、一週間のお米を食べた回数(昼食と夕食・・お昼は給食で同じだから)を比べてみると、朝にパンが多いかどうかとか、夜は何曜日がご飯が多いかなんていういろんなことが分かると思います。この場合は曜日ごとに朝・夕に主食はなんだったかを書き込んでもらえば分かりますね。
あとは、なんだろうなあ?いくつかスーパーなんかを回って「どんなお米が高くて」「どんなお米が安いか」なんて調べるのも面白いかも・・
ゲンボー先生
同じような、お米のことです。こんどは4つあります。
1・・・いまでも、むかしのようなやり方で古代米を食べる事が出来るのか。また、その食べ方など教えてください。
2・・・私たちがやる、水の管理のしかたを教えてください。
3・・・お米を台風から守るためにはどうすればいいか、教えてください。
4・・・むかしは、女の人が、ほとんど米作りをやっていたそうですが、それはなぜ
だったのか教えてください。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
返事をありがとう.
1)今でも同じように食べることはできます.最近はいろんなお米をブレンドして食べやすくしているみたいです.赤米などは普通のご飯と一緒にして炊くとうまくいきます.先生の家も時々やります.
2)水の管理は一番気をつかうことです.君の家に近くに田んぼがあったらみてごらん.水路に水が流れていて,いろんな工夫をして田んぼに水を入れていますよ・・・・水路から直接入れたり,パイプで入れたりとね・・地域や田んぼによって色々な方法があります.実際に見るのが一番です.
3)守りようがありません.風の強い地方では木を植えて風の力を弱めています.倒れたら水につからないように稲をしばります.特にコシヒカリは倒れやすいので大変です.
4)そんなことはありません.女の人も労働をしたということです.女の人が一列に並んで田植をしている絵なんかあるからそう思われるのですが,あれは最初の田んぼだけ・・神様に豊年満作を祈ってやるお祭りのようなもので,現代でもそういう風習が残っているところは日本中にあります.
そのあとは,女も男も子供もみんな大切な労働力ですから,田植えや稲刈りはみんなが協力しあいながらやりました.
ゲンボー先生
陸稲につきやすい害虫やその害虫に効果的な薬はありませんか? あったらぜひ使ってみたいです。去年はも木酢液をまいたのですが、イネツトムシが大量発生してしまいました。
もうひとつ肥料のことも調べています。これから稲が成長するにはどのような肥料を使えばいいのですか?今みんなの意見では、「ハーブを使いたい!!」といっています。
ゲンボー先生
里紗さん、みなさんこんにちは・・メールをありがとう。返事が遅くなってごめんなさい。
イネツトムシは「イチモンジセセリ」という可愛いチョウチョの幼虫です・・・しかし、稲にとっては害虫で農家ではこれが発生すると「スミチオン」という農薬をまきます。メールを読むとすでに大量発生しているとのことですから、早くまかないとダメですね。
まだイモムシのじょうたいなら一般に売られているアースみたいのでも大丈夫です。まくときは風上からまんべんなくまくこと、マスクをする方がいいね、そして風下には人がいないこと・・・・あまり近づくと濃い農薬が葉っぱについてよくありませんよ。
また。オルトラン顆粒という薬は根元にまいて稲の中に虫を殺す成分をいれるもので、後からくる虫ににも効き目があります。穂ができる前でしたらこれでもいいかと思います。今の薬は「残留」(ざんりゅう=残って人間に良くないこと)しませんから、うまく使えば稲を害虫から守ることができます。
でもね、手で取れるくらいの数だったら本当は手で取ったほうがいいよ・・・イネツトムシは集団で行動するのでいっぺんに稲についたり移動します。ですから気がついたらあっというまにひろがっているのです。びっくりしたでしょう・・・
そのあとも害虫は発生しますから、しばらく落ち着いたら木酢液をまいてください。また病虫害に負けないように雑草を取ること、肥料をまくこと、水をしっかりとまいてください。
肥料はハーブはあんまり意味がありません。有機肥料(売っている)をうねの間にまくのが効果的ですが、ずいぶん成長しているようでしたら化成肥料をやりすぎないようにまいてあげてください。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
勇哉君。メールをありがとう。この話はおじいちゃんやおばあちゃんに聞いた方が良いかも知れない。
とにかく日本は戦争に勝つために軍隊にお金を使っていたので、国民の生活は大変に苦しくなりました。お米を作る農民も兵隊にとられお米の生産量は減っていきました。そのお米も、まず軍隊に持っていってしまうので一般の人たちはお米が食べられずに、小麦でうどんや「すいとん」を作ったり、トウモロコシの粉でお団子を作ったりしました。サツマイモや里芋、ジャガイモは主食の代わりになりました。そこで、政府は法律を作ってお米は各家庭の人数にあわせて売る「配給制」(はいきゅうせい)にしました。しかし、もともと無いものは無いのでやっと買えてもその量はとても少なかったのです。
戦争に負けてお米はますます足りなくなりました・・・人々は量の少ない配給米に頼らずに「ヤミ米」を買ってお米を食べました。お米はすべて国が買って、それからお米屋さんに渡す仕組みだったのですが、なかには国に売らずに直接買いたい人に売るお米もありました。法律に違反しているのでヤミ米というのです。配給米よりずっと高いのですが人々お米が食べたかったので無理をして買いました。
ある裁判官は家族がヤミ米を食べていても「自分は法律を守る立場の人間だからヤミ米は絶対に食べない」と言って飢え死にしました。これは新聞にも出て大きな問題になりました。
日本人がまともにお米が食べられるようになったのは昭和30年代になってからなんですよ・・
ゲンボー先生
バカ苗病の防ぎ方となおし方を教えてください。
ゲンボー先生
昌美さんメールをありがとう
バカ稲病は他の苗より大きくなって、茎全体が黄色っぽくなる病気です。ほっておくと他の稲にうつってお米が実らなくなります。おもに苗が育っていくときに暑すぎると多く出る病気です。病気の原因は菌ですから種をまく前に消毒をするのが普通です。この病気になった稲を見つけたらすぐに抜いて焼き捨てるのがいちばん効果的です。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
かなえちゃん,メールをありがとう
インディカ米は主にインドや東南アジアで作られていたお米ですが、今ではアメリカやオーストラリアでも多く作られています。形の特徴は細長く、炊いても粘りけが少なくパラパラしています。ですからおにぎりやお寿司にはむいていません。
日本人が多く食べているジャポニカ種は丸っこくって粘りけがあります。日本人には食べにくいお米と言ってもいいでしょう・・ところが最近ではピラフやカレーにはやはりインディカ米があうというので、少しずつお店でも売るところがでてきました。
先生の家でもカレーはインディカ米をつかいます。
インディカ米の炊き方にはコツがあって、ゴミを洗い流す程度で研ぐことはありません。炊飯器なら問題なく炊けますが、鍋で煮てもいいのです。日本ではかき混ぜることはありませんが、インディカ米の場合はかき混ぜても構いません。
バスマティー種やカオホンマリという高級種は炊くと香ばしいにおいがします。じっさいに食べてみるととてもおいしいです。
君のおじいさんやおばあさんが若い頃はまだ日本では100%お米を作ることができませんでした。特に戦争で負けたあとの10年間くらいはお米が無くて大変でした。そこで日本は外国からお米をたくさん輸入したのですが、当時の人にはなじめなくて「まずいお米」というレッテルがインディカ米にはられてしまいました。
平成5年に米不足になったときもタイなどから緊急にお米御輸入しましたが、このときも「まずい」といわれてしまいました。そりゃそうだよね、日本米と同じように食べようと思ったらパラパラだから無理があるよね・・・
そのときタイでは日本が大変だというのでタイでは高級なお米を日本に回していたのです。ところが日本人がまずいまずいというものですから、タイの人はきずついてイヤな思いをしたそうです。
その国にはその国独特のお米があり、そのお米にあった料理が生まれました。お寿司が日本米でなくてはまずいように、ピラフやカレーやパエリヤはやっぱりインディカ米の方がおいしいのです。かなえちゃんも機会があったらぜひインディカ米料理を食べてみてください。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
インドネシアの稲作期限は大変に古くおそらく紀元前5〜6千年前に始まったと考えられています。ジャバニカとかジャワニカと呼ばれている独特の品種です。ジャワニカはアッサムを起源とした稲が伝播していく途中で東南アジアの気候に適した品種に変わったと言われていますが、現在稲作の起源がアッサム単独ではなく揚子江下流域説も浮上してきていますので、何とも言えません。
ちなみに、現在のインドネシアではジャワニカ種の栽培はほとんどなされていないとのことです。
ご存じのとおりインドネシアの気候は温暖且つ多雨のため2期作どころか3期作も可能です。しかし、本格的な灌漑が始まったのはオランダ統治の頃からで、彼らはプランテーション作物栽培のために主な河川に農業用ダムや水路を建設しました。このときのインフラが今も役立っているというわけです。
日本統治の頃は稲作と言うより、重油やゴム、それにボーキサイトの確保に力を入れていました。地域によっては田植えや二期作の指導も行われていたようですが、稲作の指導は戦中よりむしろ戦後のほうが活発に行われています。田植えによる効率的な栽培や、農薬、灌漑、機械化等々ですね・・・・
インドネシアの農村はどこか日本に似ています。青田にそよぐ風・・耕して天まで届く棚田・・・日本の原風景のようでした・・・違うのはヤシの木だけ・・学生時代の印象は今も懐かしさとともに残っています。紘子さんはどうしてインドネシアの農業に興味を持たれたのですか?
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとう。返事が遅くなってごめんね・・・今日も台風がきたけど、日本は自然災害の多い国です。大雨が降ったり、日照りになったり、時には火山灰が降ってきます。自然の力は大きくてとても人間の力だけではどうにもならないのですが、それでも農民は少しでも被害を少なくしようと努力してきました。たとえば大雨の時に洪水にならないように川に堤防を築いたり、水路がつまらないように泥をとったり雑草を刈ったり、場合によっては曲がっている水路をまっすぐにしたり・・です。
雨の少ない地方では「ため池」を作りました、香川県には今でも江戸時代に作られた16300のため池が使われています。
また強い風が吹いても倒れにくい稲の品種改良も行われてきました。コシヒカリはおいしいお米ですが倒れやすい・・それを改良したのが「ヒノヒカリ」です。また、北海道など寒いところに適したお米も大変な努力の末に作られました。
日本は米の国と言われていますけど、1500年以上も前から人々のたえまない努力の上に成り立っていることを忘れないでください。
鳥対策も昔から行われてきましたよ・・・かかし・・・鳴子・・・・今では「防鳥ネット」・・・爆発音を出して追っ払うというのもあるね・・・せっかく実ったお米をどんどん食べちゃうからね・・鳥が・・・
米に対する自然の恵みですか・・ずいぶん難しいことをききますね・・(笑)
なんと言っても水田が持つ「保水力」でしょうね・・・水田は人が作った日本最大のダムですからね・・・それから、見た目の美しさもありますね・・青々した田んぼを風が渡っていくときなんかきれいですね・・・他には自然の生き物がすむことでしょうか・・ただしこれは農薬を使っていない田んぼに限ります。先生が子供の頃は田んぼは遊び場でした。カエル、ザリガニ、水路にはメダカ、ドジョウ、タニシ、シジミ・・・タガメやミズカマキリもいたなあ・・・ゲンゴロウも・・・そういうものをとって遊んでいたんです・・・
ゲンボー先生
ゲンボー先生
健介君、メールをありがとう。
もち米かあ・・・いいですね・・・どのくらいとれたのかな?
もち米で作る料理の代表は「おこわ」です。この季節だと「ぎんなん」や「きのこ」、それに鳥肉なんかを入れて、出汁(だし)といっしょに炊くとおいしいよ・・・お赤飯ももち米で炊くごはんですが、100%もち米でつくるより半分くらい普通のお米を入れた方が食べやすくなります。
次に「おもち」ですがこれは、臼と杵か・・それとも「餅つき器」がいりますね・・・でもそれができないと「あられ」や「おせんべい」ができない。
あられ」と「おかき」の作り方(先生のおばあちゃんの作り方)
「おもち」ができたら、四角く平べったく形を整えて、固くなるまで風通しの良い日陰で乾かします。大きさは50センチ四方、厚さは1.5〜2センチくらいかな・・・ある程度固くなったら、まず縦長に10等分に切り分けます。帯のようになりますね・・それを今度は横に切っていきます。厚さは3〜4ミリ。そうすると5センチ×1.5センチ×2ミリくらいの「長方形」のおもちができます。これをさらに乾燥させます。割れたり、そったりしますが気にしない・・・
それを網で焼いておしょうゆをつけたら「あられ」になります。それを油で揚げれば「揚げおかき」になります。塩をふったり、おしょうゆをさっとかけて食べるとおいしいよ。
おせんべいはもち米と普通のお米(うるち米と言います)をまぜて、おもちを作ります。円や四角など食べたい大きさやかたちにに作って、それを乾燥させます。薄めに作った方が焼きやすいよ・・・4〜5ミリかな・・・
少し柔らかさが残っているところで焼きます。本当は押さえながら焼くのですが、君たちにはちょっと危ないから、そのまま焼いてみようか。おしょうゆ味や、好みによってお砂糖を混ぜたり、いろいろ試してみてください。
焼いている最中にあんまりそってしまうようでしたら、太さ4〜5センチ、長さ20センチくらいにきつく丸めた新聞紙の先に布をまいたものでおさえてください。そうするとプロに一歩近づいたことになります。
もち米を少し炊いたご飯でおにぎりを作ると、さめてモチモチ感のある美味しいおにぎりになるよ・・・いろいろ試してごらん。頑張ってね・・
ゲンボー先生
こんにちは。今私達はお米について調べています。突然ですが、レッドライスはどうやってあかくなるんですか?
次に、アメリカがお米を売りたい理由で、「アメリカも米の生産国で、中国や日本からわたった人々が日本人が食べるジャポニカ種を大量に作るから、これを輸入したい。」とかいてあったのですが、そのジャポニカ種っていうものは、人体に影響は、ないのですか?
次に、輸入のお米は国産米と同じく農薬を使っているようですが、その農薬は何という名前、効果があり、その農薬は日本と同じものなのですか?
最後に、外国のお米の作り方はそれぞれ違うのですか?
お返事ください。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
葉菜子さん、メールをありがとう。
レッドライスの赤はポリフェノールという成分です.野生に近いお米にはこの成分がたくさんのこっていて赤や紫や黒などがあります.
ジャポニカ種というのは、ふだん私たちが食べている日本のお米のことです。ですから害はありません。農薬のことが問題になっていますが、日本の農家の半分程度しか使っていません。それどころかこれから最もお米を日本に輸出すると言われているオーストラリアでは、できるだけ農薬を使わないようにしています。簡単に外国のモノだから危ないというわけではありまん。
農薬の名前は国によって異なりますが、日本の場合は大きく分けて3種類あります。
一つは雑草をとりのぞく「除草剤」・・・これの毒性が高いのです。
もう一つは、カビや菌を押さえる「消毒剤」
虫が発生したときに使う「殺虫剤」です。
これらは世界中同じです。
お米の作り方は国によって違います。
アメリカ合衆国では「大農法」で作ります。広い田んぼにヘリコプターや飛行機で種まきをします。収穫もコンバインという大型奇怪でします。田んぼを耕すのも大きなトラクターです。
オーストラリア南部では、羊を飼う牧草畑とお米を作る田んぼをローテーションしながら作っています。こうすれば土地が豊かになって良いお米がとれるというわけです。
こうしたところでは田植えではなく、直接種をまいてお米を育てています。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
持田さん七海さん。メールをありがとう.
いろんな説がありますが、一番新しいのは「インディカ米」と「ジャポニカ米」はそれそれ歴史がことなると言うことです。
インディカ米はインドのアッサム地方を起源としています、一方ジャポニカ米は中国の長江下流を起源としています・
それぞれのお米はそれぞれのルートを通って世界に広がっていきました。これが今から7千年前のことです。日本人が食べているお米はジャポニカ種で、今から約6千年前に日本にきたと言われています。当時は縄文時代前期で、農業が始まったらしい時代と言われています。当時の米は畑で作られていたとかんがえられています。やがて縄文時代の終わりごろになると水田の技術が入ってきます。そして弥生時代から古墳時代にかけて水田による稲作が日本中に広がっていきます。
こうして、日本の各地でお米がたくさん作られるようになりました。
ところでお米は保存もきくし、おいしいのでお金の代わりにもなりました。やがてどれだけお米が作られるかによって、強い弱いが分かれるようになってきました。
日本の戦国時代はそうした大名達の土地のうばいあいでしたね・・やがて江戸時代になると藩の大きさはお米の取れ高で決められました。武士が農民を完全に支配して、農民から年貢として集めたお米が武士の給料になったり、藩をまかなうお金になったわけで、日本の歴史はお米の歴史と言ってもいいくらいなのです。
やがて明治になり、お米の代わりにお金で税金を取るようになって、お米は商品になりました。ところで、日本で100%お米が自給できるようになったのは、昭和30年代後半からで、それまでは「米不足」だったのです。だからこそ、お米をめぐっての戦争があったのですね。
その後日本はお米を作りすぎる国になってしまいました。このことがホームページに詳しく書いてありましからそちらをみてくださいね。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとう。植物を作る上で大切な三つの要素(栄養)があります。「チッソ」「リン酸」「カリ」です。
肥料によってはこの三つを混ぜているものもあります。
チッソは空気中にたくさんあるので空気を電気の力で分解してつくります。チッソあげると葉っぱや茎がよく育ちます。
リン酸は大昔のトリの糞が化石化した「リン鉱石」から作ります。これは実を大きく育てる栄養です。
カリは大昔の海水にふくまれている潮水が化石化した岩塩から作られます。これは根っこをそだてる栄養です。
それぞれ不純物をとりのぞき必要な成分だけを取り出して肥料にします。
ゲンボー先生
今スリランカのお米について調べています。スリランカのお米の色、形などの特徴を教えて下さい。また、スリランカのお米を使った料理を教えて下さい。宜しくお願いします。お返事お待ちしています。
ゲンボー先生
みなさん、メールをありがとう
スリランカのお米は細長くて炊きあがりがパラパラしているインディカ米が主ですが、中には日本のお米のように丸っこくて小粒の物もあります。それでもパサパサしています。スリランカの人はご飯を手で食べるのでベタベタしているものよりもこちらのほうがいいみたいですね。インドとよく似ています。
また、日本の赤米のようなレッドライスがあり、これは野生種に近いようです。やや粘りけがあって日本人には向いているようですが、先生はまだ食べたことがありません。
スリランカの料理は基本的にインドと似ています。それは気温が高く発汗作用をよくするためにスパイスを利かせるからです。
「オクラ入りのカレー」「豆のカレー」「野菜のマリネー」「スパイシーチキン」などです。面白いのはモルジブで作られる「カツオ節」をふりかけ調味料に使うことです。やや「くせ」がありますが、日本人にはなつかしい味になります。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
慎祐君。メールをありがとう。
お米と野菜は値段のつけられ方が違うんだよ。野菜はね、とれた時期や量によって変わるし、八百屋さんやスーパーでは朝と夕方でも値段が変わってしまいます。きみは「市場」って知っていますか?市場では全国から集められた野菜を「せり」にかけて売り買いがされています。買うのは八百屋さんやスーパーなどです。
買い手はその野菜が自分のお店でどのくらい売れるかということを判断します。もちろん高ければ売れにくくなるので買う量を減らしたりします。それで、その野菜をいくらで買うか、他の人と競争しながら値段を決めていきます。1000円・・1050円とたがいに値段を付けて、一番高い値段を付けた人に売られます。
つまり、野菜は売りたい量と、買いたい量のつり合いがとれたところで決まるというわけです。このことをむずかしい言葉で「需要と供給」(じゅようときょうきゅう)といいます。
さて、お店に並べた野菜ですが、夕方頃になるとしおれてきたり売れ残ったらこまるので、お店の人は値段を下げます。そうすれば売れやすくなるからです。また近所のお店との競争もありますね・・・今度注意してみてごらん・・お魚も、お肉もみんな同じように値段が変わります。
野菜ではありませんが、テレビだって他のお店との競争で安くしますよね・・・お店をきれいにしたり、値段を下げたり、サービスを良くしたりして買ってもらうわけです。テレビの工場も性能が良くて安いものが売れるわけですから、できるだけ手間をかけずに、しかも性能の良いものを作ろうと努力します。こういう経済の仕組みのことを「資本主義経済」(しほんしゅぎけいざい)といいます。
ところが「お米」は農家を守るために、長いあいだ国が値段を決めていました。お米の取れ高が少なく日本の国民が100%食べられる量ではなかったからです。しかし、君のお父さんお母さんが生まれたころ・・(多分)昭和30年代の終わり頃から40年にかけてお米の取れ高が100%をこえるようになりました。それでもお米の値段は国が決め続けていて、やがて世界で一番高いお米になってしまいました。それで、これではいけないといって「作りすぎないように」したり、お米の値段をそれ以上にならないようにしましたが、消費者(しょうひしゃ=買う側の人)や外国から批判されて、国で値段を決めることをやめました。やめましたといっても急にはできないというので、少しずつ、少しずつ変えてきました。
それでいまでも「だいたいの値段」を「価格形成センター」というところで決めています。「味」「量」によって高い安いが決まりますが、ここまで高くしてはいけないとか、ここまで安くしてはいけない、という決まりがあるのです。ですからお米はその幅の中で値段が決まります。
そのお米を買ったお店では競争がありますから、せまい幅の中で値段を上下させています。
しかし、こうした値段のつけかたはそう長くは続かないと先生は思います。外国のお米がたくさん輸入ざれるようになるとそうした仕組みが批判されるようになるからです。つまりお米も他の野菜と同じように需要と供給のバランスや競争によって値段が変わるということで、現在は少しずつそうなりつつあります。
むずかしい言葉があったり、言い方があるので先生や保護者の方に説明してもらってください。
もっと知りたいことがあったらまたメールをくださいね。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
友里さん
弥生時代は日本に水田の技術が入ってきた時代です。それまで日本では一部を除いて畑で細々とお米を作っていました。川や沼の近くに小さな水田を作り、水を引き入れていたのが縄文時代の晩期(ばんき=終わりの時代)から弥生時代の前期です。やがて、畦(あぜ)を板で補強し大きな(といっても八畳ていど)の水田を作るようになりました。それは農機具が発達し、林や森を切り開き水を引く水路を作ることが前の時代よりやりやすくなったからです。
この時代の田植はおそらく種もみをそのまま播(ま)いていたと思われます。お米の種類も白米以外に赤米や黒米など様々なものが混じっていたのではないかと言われています。
稲刈りは穂の部分だけを石包丁で刈り取っていました。保存は「高倉」という高い倉庫にされていました。そうしておくと風通しが良く保存がきくからです。高倉の柱には「ネズミがえし」という板が取り付けられて、ネズミが入らないようにしてありました。
お米の生産が増えてくると貧富の差や、村の強弱があらわれてきました。そのため弥生時代の後期になると九州や中国地方、近畿地方では争いがおき、弱い村は強い村に支配されていきました。そうして出来た大きな村のことを「クニ」といいました。そして争いは更に大きくなり小さな弱いクニは大きくて強いクニに支配されていきました。
現在このことが最もよく分かるのが佐賀県にある吉野ヶ里遺跡です。時間があったらホームページで調べてごらん。関東地方や東北地方ではこの時代の大きな争いのあとは見つかっていません。
大きなクニの王様は大きなお墓を作らせました。ですからこのころの時代を古墳時代と呼びます。やがてそれらの国々も大和(やまと=近畿地方)の国に従うようになり、日本が統一されていったのです。
ところで君の通う苗代小学校っていい名前だね・・お米の勉強にぴったりだ・・笑
ゲンボー先生
「ため池のシステム」のところの図面ですが、ため池や水路の周辺が田んぼと思われます。そこで、
(1)水路から田んぼに流れた水は、その一部はまた水路に戻ってくると考えますがそれでよいでしょうか。
(2)そう考えると、親池から子池、あるいは、子池から孫池にいく水は、直接水路により行く水と田んぼを経由した水があると考えて良いでしょうか。
(3)孫池から海または川に通ずる水路はないのでしょうか。
都会人が考える疑問ですので見当はずれのことを言っているかもしれません。
以上よろしくお願い致します。
ゲンボー先生
中原様,メールをありがとうございます。
1.そのとおりです、田んぼに必要な水が入ったら、余分は水路にもどします。以前はそれぞれの水の持ち分が決まっていて、その時間だけ水を入れることが可能でした。それが線香水です。香川用水が出来てからはそれもなくなりましたが、平成5年の干ばつ時は時計で計時するやりかたが復活しました。
2.それもそのとおりです。水路から離れた田んぼは次の田んぼへの水門(といっても畦の一部)を通って灌水がされました。
3.ため池系統の水は1滴も海に流れることはありません。
私がこのシステムを知ったときは驚きの連続でした・・・・・先人の知恵には素晴らしいモノがあります。
ゲンボー先生
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