玉川学園・玉川大学
ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.
稲1本分にどのくらいの米がついているのですか?どうかよろしくお願いします。わたしは小学5年生で,現在この質問をインターネットで調べています。(平成12年4月)
ゲンボー先生
涼人君メールを有難う.さっそく質問に答えます
稲は普通15の節(せつ=ふしのこと)があります.下から数えて10番目くらいは節と節の間が数ミリしかなく,この部分はすべて土の中にあります.
皆さんが見ている稲は残りの5つの節の部分だと思ってください.(残りの5つの節と節の間は20センチくらいあいています.ですから土のうえに出ている部分は1メートルくらいになります)
田植えをする時には2番目から4番目くらいの節は,苗の植えかえのために新しい株(かぶ)は出てきません(ということは植えかえをしなければ,そこからも株が出てきます)
残りの5番目から10番目くらいから新しい株が出てきます. (このことを「分げつ=ぶんげつ」といいます)
ふつう田植えの時は苗を2〜3本まとめて植えます.機械ですと4〜6本です.なぜこのようなことをするのかというと,互いに狭いところで成長するために弱い株の成長がおとろえ,強い株だけがのびていきます.強い株からできるお米は大きく形もそろっているからです.
こうして元々の一株から5つくらいの株が出てきます.一つの株に一つの穂(ほ)がつきます,一つの穂には80〜90粒(りゅう=つぶ)のお米がつきます.
計算してみましょう.
最初に3つの株を植えました,それぞれの株から5本ずつ新しい株が「分げつ」しました.これで15本の株になりました,穂も15ですね.それに80をかけてみましょう.答えは1200粒のお米ができたということになりますね.
注.今では「分けつ」という呼び方が広まっていますが,正式には「分げつ」といいます.
一所懸命(いっしょけんめい)が一生懸命(いっしょうけんめい)になっちゃたのと同じです.
これでいいですか?難しかったら,この説明を,保護者の方か先生に読んでもらってください.
ゲンボー先生より
1.どうしてコシヒカリとか秋田こまちなどお米に名前がついたのですか?
2.米作りの歴史を教えて下さい?(昔からいままで作り方がどういうふうにかわってきたか、教えて下さい?)
(平成12年4月)
ゲンボー先生
亜希子さん,メールをありがとう.さっそく質問に答えましょう.
1.お米の名前は色々なつけられかたをしています.
江戸時代に「赤毛(あかげ)」「坊主(ぼうず)」という品種がありましたが,これは見た目からつけられました.どちらも寒さに強い品種で赤毛は籾(もみ)に赤っぽい毛がはえていました.坊主は毛がありません.面白いでしょう.
現代のはなしですが,愛知の農業試験場で作られた「日本晴(にっぽんばれ)」という品種は今でも,近畿地方で好まれるおいしいお米ですが,名前は「日本晴れ」のようにさわやかだから.という願いからつけられました.
一時期「農林○号」というふうに,番号でつけられたこともありましたが,今ではそうした名前の付け方をしていません.今ではお米の名前は「どうやったら売れるかなあ」「覚えやすい名前はなんだろうう」ということで,つけられています.
ところで,国の試験場で作られた品種はカタカナで,県の試験場で作られた品種はひらがなや漢字が使われます.有名な品種の「コシヒカリ」は国の試験場で作られたということが分かります.コシヒカリの名前は「越=こし(新潟地方のこと)」の光という意味です.新潟にあった国の試験場生まれだからです.ですから「秋田小町」は県の試験場だということも分かりますね.
2.この質問はおおざっぱで,また各々の時代によって違うので.答えるのが大変です.まとをしぼって質問し直してください.たとえば「稲の植え方」「機械の使われかた」「田んぼの形」「水の利用法」「肥料」などです.
ゲンボー先生より