玉川学園・玉川大学
ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.
日本全国のお米の生産地と種類、品種改良されたお米の種類を教えてください。学校の授業で調べるようにと先生に言われましたが、わからないので、教えてください。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
彩ちゃん メールをありがとう
先生のホームページの中に「お米の種類を教えてください」というのがあります.「みんなの広場」です.まずそれを見てください.そこに主なお米の品種が書いてあります.
ところで,産地といってもお米は日本全国で作られています.しかも「あきたこまち」といっても,それはお米の種類の名前ですから,最初に作られたところは秋田県でも,今では全国で作られているのです.
同じように,コシヒカリは越(こし=新潟,富山,福井県の古い国名)の光.ヒノヒカリは,日(ひ=日向=ひゅうが=宮崎県の古い国名),「むつほまれ」は陸奥(むつ=青森県の古い国名)「あきたこまち」は(秋田美人)「つがるロマン」も津軽(つがる=青森県の津軽半島)「はなえちぜん」は(越前=えちぜん=福井県の古い国名).ですが,これらは他の県でも作られているのです.
彩ちゃんに,いい事を教えましょう.
平成九年度の生産量のベストス3です.
1位 日本晴(にっぽんばれ)36%
2位 コシヒカリ 31%
3位 キヌヒカリ 25%
です.日本晴は日本全国で作られていましたが,コシヒカリの出現で関東地方では少なくなりました.ところがいまでも大阪や京都などでは「日本晴のほうが美味しい」ということで,さかんに作られています.地域によって好みが変わるということのあらわれです.コシヒカリは君も知ってのとおり全国的に食べられていますね.キヌヒカリはコシヒカリにちかく,しかも病気に強いために農家の人が好んで作る品種です.
最後に品種改良ですが,日本のお米は古代から品種改良が繰り返されてきました.
始めてお米が伝わった縄文時代前期(6000年前)は,ヒエやアワなどの他の穀類といっしょに作られていました.やがて縄文時代後期(3000年前)になると,北九州に水田の技術が伝わります.さらに弥生時代になると水田の技術は全国に広まり,本格的なお米の栽培が始まりました.この当時の水田には白いお米のほかに赤いお米,黒いお米などごちゃまぜに作られていたと考えられています.
奈良時代になるといよいよ,お米の品種が分かれました.それから江戸時代までは農民が経験的に,病気に強い種類,寒さに強い種類と選別(せんべつ=わけていくこと)をくり返しながら,多くの品種が作られてきました.中山久蔵という人が江戸時代の終わり頃に苦労の末,北海道の寒さにも耐える品種を作った話しは有名です.先生のページの「石狩平野の米作り」にその話しがのせてあります.
さて,昭和の時代になってからは,科学的に品種の改良がおこなわれるようになりました.とはいっても,小さな小さなお米の花に,他の品種の花粉を何万もつけていくという,気の遠くなるような地道な仕事です.この方法は今でも行われていますが,自家受粉(じかじゅふん=自分のメシベに自分オシベの花粉をつけて種を作ること)する稲は,花が開いてすぐにオシベを切り取らなければなりません.開花が進んでから他の品種の花粉をつけても意味がないのです.なぜならさきに自家受粉してしまえば,他のものは受けつけないからです.
しかも稲はある日のある時間にいっせいに咲くという面白い性質を持っています.これは,メシベに他の品種の花粉をつける作業をするうえではとても厄介な事です.そこでたくさんの人が小さなハサミをもって,一斉に開いた稲の花が自家受粉する前に,おしべを切り取っていくのです.(あ〜〜あ〜大変)そうしてから,耳かきのほわほわみたいな道具で,他の品種の花粉をつけるのです.では,そうすれば,みんなうまくいくかというとそうではなく,ほとんどが失敗なのです.親のいいところばかりとりだそうといっても,そううまくいく訳ではないのです.逆にダメなところばかりを受け継いでしまう事もあるのです.
農業試験センターではこうしたことをくり返しながら,少しでも良い品種の開発に向けて努力しています.コシヒカリもそうして,農林1号と農林22号という品種をかけあわせてつくられました.もちろん他の品種も全てそうして作られています.
今では,これ以外に遺伝子の組かえや,放射線をあてて突然変異をおこすなどの方法で新しい品種を作ろうとしています.稲の細胞にある遺伝子の中で良い性質を持つものを取出して,他の細胞に植え付けたり,放射線で遺伝子を破壊して他の性質にかえてしまうということですね.
遺伝仕組かえでなんとなく恐いのは,植物に動物の遺伝子を組み込む事です.だっていやだよねネズミの遺伝子が入っている野菜やお米なんかちょっと食べる気がしないよね.
他にはクローンといって,遺伝子を操作して同じものを作り出す事です.ふつう動植物はオスの遺伝子とメスの遺伝子の半分ずつが合体して新しい生命となって誕生するのですが(植物も同じ),クローンは半分ではなく丸ごと遺伝子を卵子や種に植えつけて同じものを作ってしまうのです.つまりコピーです.
早い話が彩ちゃんの皮膚からとった彩ちゃんの遺伝子を,そのまま成長させて同じ人をもう一人作っちゃうということです.理論的には何人も何十人もいや何億人だって,彩ちゃんを作る事ができます.
先生だったら7人作って月曜日に働くのは君,火曜日は僕・・という具合にできないかと想像しちゃいますが,この方法は人間に行ってはいけないという決まりがあります.それ以外に牛や豚,それに羊などの家畜では研究がずいぶん進んで,実際にクローン家畜のお肉が売られています.(日本ではまだ?)
科学の進歩には目覚しいものがありますが,節度を忘れると恐い事になりますね.
稲だって今後はこうした技術によって,どんどん新しい品種が生まれて来る事と思いますが,彩ちゃんたちはどう思いますか.みんなで考えてみることが大切だと先生は思います.
ゲンボー先生より
ゲンボー先生
1.自由化が進み,やすくて美味しい米がどんどん外国から入ってきます.
2.米の価格はどんどん下がってやがて国際価格並みの値段になります.今の7分の1程度です.
さて,そうなると日本の米作り農家は次のようになります.
1.狭いところ,老齢化が進んでいるところは「自家米」の生産のみになります.そしてやがて米は作られなくなります.
2.広い面積を持つところでは,耕地整理をおこない共同,もしくはやる気のある代表者が大型機械で効率よくお米を作るでしょう.もちろんこれは国際価格で作られます.(もうはじまっています)
3.狭いところでも,おいしいブランド米作りに徹する.(牛肉の自由化が進んでも,米沢牛とか但馬牛とかブランド牛は前より売れているように)
ということになるでしょう.ただしお米は主食であり,牛のようにその差が激しくありません.今でもオーストラリア産のコシヒカリは美味しいですから,外国との味競争で生き残れるかどうか微妙なところです.
4.もう一つ.日本の会社が外国で安くて美味しいお米を作って輸入する.これは今でも行われています.やがてアメリカ産のコシヒカリやオーストラリア産のササニシキがお米や産で売られるでしょう.
分からない事があったらまたメールをください.
ゲンボー先生
「改正食糧法」のページに行く.平成16年4月1日からお米の流通が大きくかわりました.必見のページです.
質問します。
1.秋田こまちの値段が年々下がっていくのは どうしてですか。
2.お米の 需要が減ったのは どうしてですか。
学校で 模造紙をもらい まとめることになりました。
教えてください。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
伸吾君 メールをありがとう.
1.お米の値段は年々下がっているのではなく,世界の常識の価格に近付いているといった方が正しいと思います.
理由は,先生のページをよく読めば分かります.お米の自由化について
お米の自由化について教えてください
減反について教えてください
米作りの悩みを教えてください
お米作りは「もうかり」ますか?
などの質問に先生が答えています.
2.日本人の食生活が変わったことが一番大きな原因です.伸吾君は毎日3食とも御飯を食べますか?先生の家では朝はだいたいパンです.昼にはうどんやおそば,それにスパゲッティなんかも食べます.夜はご飯ですがときどきそうでないものも食べます.多分伸吾君の家でもそうでしょう・・・
日本でお米が100%自給できるようになった昭和40年代は,ちょうど日本人の食習慣が変わってきた年代でもあるのです.というわけで,農水省は日本人にもっとお米を食べてもらおうというキャンペーンを行っていますが,まずはお米の値段が下がることが条件ですね.でもそれって外国のお米との競争でそうなるわけですから,みんなが盛んに食べるお米は外国のお米になっていくわけなんです.
それで,今度は農薬を減らしたり有機肥料で育てた「日本のお米」が安全と,宣伝しはじめました.当然外国もそういうお米を作ってきます.競争があるとどんどん安く美味しくなりますが,小さな農家ではとてもそれに対応できません.どうすればいいのでしょう?
みんなでこのことも考えて下さい.
ゲンボー先生
「改正食糧法」のページに行く.平成16年4月1日からお米の流通が大きくかわりました.必見のページです.
はじめまして。小学生の息子の宿題で以下のような物がありました。
インターネット上で色々検索してみましたが、宿題に見合うぺーじはありませんでした。何かアドバイスを頂けると幸いです。
「昔と今のお米・炊飯器の違いと、それぞれを美味しく食べるための工夫・秘訣と、それぞれの栄養の違い」
近所のお年寄りやお米屋さんに行って直接、話を聞かせるつもりですが、先生のほうで面白い資料やホームページをご紹介頂けると幸いです。よろしくお願い申し上げます。
ゲンボー先生
日本にはじめてお米が伝わってきたのは今から約6000年前の縄文時代前期といわれています。しかし、当時どのようにお米が栽培されていたのか、また、どのようにして食べたのかはまだ全く分かっていません。
縄文時代後期になると北九州で水田が作られ、やがて、弥生時代になると新しい農機具の出現によって、稲作は急激に広がりを見せました。
この当時のお米の食べ方は「蒸して食べる」で、「こしき」という底に穴のあいた土器を、一回り大きい土器に入れて、沸騰した湯気を穴から入れてお米を蒸していました。それはおそらく玄米を食べていたからだと思われます。ところが、近年富山県の遺跡から「弥生時代のおにぎり」が発見され、白米もあったといわれるようになりました。このおにぎりは三角形で今のものとほとんど同じ形をしています。
三角形の意味は尖った頭の部分に「神様が宿る」ということから作られました。つまり神様にお米をお供えするときの形なのです。この風習は今でも日本の各地に残っています。
日本人が玄米を食べている間、お米は「蒸す調理法」でご飯になりました。その間に「こしき」から現在の蒸し器に変わっていたものと思われます。
さて、平安時代の中期から後期にかけて貴族たちがいわゆる「姫飯」(ひめいい)と呼ばれる白米を食べるようになって、鍋でご飯が炊かれるようになりました。
つばのついたお釜の出現は江戸時代になってからのことです。江戸時代の中期になると白米は町人層に広まり、やがて後期になると玄米から白米食が主流になりました。
台所も「へっつい」と呼ばれるダブルレンジやトリプルレンジになり、ご飯を炊くのと同時におかずや汁物を作れるようになりました。へっついは「竃」と書き、昭和30年代まで農家で使われていました。都会では七輪からガスに変わった時期ですね。
昭和30年12月10日にご飯を炊く画期的な事件がおきました。それが電気釜の出現です。東芝製の電気釜は主婦の労力を大幅に軽減し、34〜5年には全世帯の50%の普及率となります。その後も各社で新製品が開発され、30年の後半にはほぼ100%の普及率となって今日にいたっています。
西田さんのお宅ではどのような器具でご飯を炊いていますか?
さて、ご飯のおいしい炊き方はあまたのホームページにのっていますので、そちらをご覧ください。ただ。ほとんどが「はじめトロトロ中パッパ、赤子が泣いてもふた取るな」で、研ぎ方も、お櫃に入れるのも判でついたように同じです。
これだけお米にこだわり「あ〜じゃなきゃいけない」「こ〜じゃなきゃいけない」という割には、プロセスは単一で単純です。なにか日本人の特質を表しているみたいで面白いですね。
私はボーイスカウトのリーダーもしていて,手早く確実に炊く方法をしっているのです.その方法とはつぎのとおりです.
1.研いだお米を熱湯の中に入れる.(お湯の量は通常と同じ,多すぎたと思ったらスプーンですくって出す.少ないと思ったら,やかんやポットからダボダボそそぐ)
2.はじめに沸騰させる.
3.水気が少なくなったら,菜ばしでつっついておかゆ状のお米に穴をいくつもあける.(その穴から面白いように泡がでてきます)
4.ここでようやくふたをして,中火〜弱火にします.
5.水気がとんだら,火をけしてふたとお釜(鍋)のあいだに布巾を一枚かませて蒸らします.こうすると水滴が落ちなくて具合がいいのです.
どうです,日本のお米の炊き方に挑戦しているみたいで面白いでしょ・・これがうまく炊けるんだなあ,良くいう「カニの穴」を強引に作っちゃうんだからスゴイでしょ.
実はこれ私の母親がやっていたんです・・・
息子さんともいろいろ試してみられたらいかでしょう。お米研いで電気釜に入れてスイッチポン、ではお米がどのようにして炊かれるかが分かりません。先生が「お魚の絵を描いてごらん」と言うと、パックに入った四角い切り身を描く子がいるそうですがそれと同じです。面白いけど笑えない事象ですね・・・
でも折角ですから一つだけ教えましょう。「しっかり研がない」方がおいしいと思います。お寿司屋さんや料亭で聞いてきて、実際に我が家でも実感していることです。(掌でゴシゴシやらずに、3〜4回水を取り替えるぐらい)
なぜだと思いますか?考えてみてください。宿題です。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
泰則君 何度もメールをありがとう。農家1戸あたりのお米つくりにかかる費用は、それぞれの農家によって違います。なぜかというと
1.水田の面積が違う
2.機械の台数や種類が違う
また、1戸あたりのもうかる金額も
1.できた量が違う
2.お米の種類や品質が違う
からです。
ですから、1戸あたりの金額は先生にも書けないのです。ですが、どのようなことにお金がかかるのか、どのようにしてお米が買われるのかの仕組みはわかるので説明しましょう。
泰則君も知っているようにお米は水田で作られます。農家の人は田植えが始まる(ちょうど今ごろ)までに、
1.田起こしをします。これは、田んぼの土をたがやして、中に空気を入れることと悪い虫を殺してしまうためです。これには機械が必要です、普通は耕運機(こううんき)という、2輪の小さな機械です。ときどきリヤカーをひいているのを見たことがあるでしょう。文字通り耕したり運んだりする機械です。広いところですとトラクターを使います。
2.田植えの前に「苗」を育てます。以前は苗代(なわしろ)といって田んぼのすみっこに、特別の場所を作ってそこに種籾(たねもみ)をまいて、15〜20センチぐらいまで育てました。これを片手で握るくらいに束ねておいて、それを人間の手で植えました。
今では「田植え機」で苗を植えます。種籾はキーボードの2〜3倍くらいの浅い箱にまきます。これをいくつも用意しておきます。そして田植えの時期になったらそれを田植え機にセットして田植えをします。
先生のホームページのリンク集に「ゴロベエ」さんのページがあるからそれを見るとよ〜〜くわかります。
ところで、これはごく普通の農家の話で、山形県の庄内平野や北海道の石狩平野、それに秋田県の八郎潟といった、1戸あたりの水田の面積が広いところでは、大型機械を使います。また、栃木県の鹿沼にある農業公社ではヘリコプターで種をまいていました。
3.夏になると雑草が生えてきますから、除草剤をまきます。最近ではこの薬がよくないということでアイガモをかって草を食べさせるところもあります。草もなくなるし鴨も育って売れるので一石二鳥です・・(鴨がカワイソウ・・・)
4.その間にも水の管理や、肥料をやったりとお金も手間もかかります。
5.秋になって刈り取りが始まります。稲刈り機の登場ですね。これも広い土地だとコンバインという大型の機械で刈り取ります。刈り取った稲は籾がついたまま保存されます。各農家で保存する場合もあれば、地区単位でカントリーエレベーターという温度と湿度を保った場所で保管されることもあります。また、温度管理をした倉庫の場合もあります。このような場合はみんなでお金を出し合って保管します。
6.いよいよお米を売るときがきました。今までお米は政府が決まった金額で買い上げていましたが、今では国の検査を受けたあとに「自主流通米」といって、一般の問屋か商社というお米を専門に扱う業者に売られてから、消費者に届くことのほうが多くなりました。
お米の価格は東京と大阪にある自主流通米価格形成センターという取引場で等級と価格が決められます.
2000年産のお米で高いものは18500円(60キロ)、安いものは13000円(60キロ)くらいです。
日本の平均耕地面積は1.2ヘクタールです。お米は10アールで500キロくらいとれます。単純に計算すると農家1戸で約6000キロ収穫されますから、60キロの平均価格15000円とすると。150万円くらいで売れるということです。これから
機械のお金
燃料費
農薬のお金
肥料のお金
をひきますから、お米を作っているだけではとても収入が間に合いません。そこで一般の農家は兼業農家といって、会社に勤めながら休みの日に農業するところがほとんどなのです。
日本で純粋に農業の収入だけで生活できる人はわずかしかいません。全農家のわずか15%です。これはとても情けない話なのです。アメリカでもフランスでも農民はとても豊かです。
日本もどうすれば豊かな農業ができるようになるのでしょう。お米の失敗のように政府が買い上げること以外に考えてみてください。(お米の失敗は、先生のホームページの「お米の自由化」や「減反」の説明を読んでください。)
ゲンボー先生
ゲンボー先生
駿介君 メールをありがとう.
かんたんにいうと,水稲(すいとう)は田んぼで作られる稲(いね)のことです.陸稲(りくとう=「おかぼ」とも言います)は畑で作られる稲のことです.
もともとイネは水辺に育っていた植物でしたが,畑でも水をあげれば育つ強いせいしつをもっていました.
日本では今から6000年前の縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)に稲が入ってきましたが,どのように作られていたのかはまだ分かっていません.たぶん,畑でムギやヒエやアワといった穀類(こくるい=主食になる植物)といっしょに作られていたと考えられています.
やがて3000年前ぐらい前の縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)になると,北九州では田んぼでお米が作られるようになりました.
やがて2000年前ぐらい前の弥生時代(やよいじだい)になると,田んぼを作る技術(ぎじゅつ)や「くわ」「かま」「すき」などの農機具(のうきぐ=農業に使う道具)が発達して日本の各地で田んぼによる稲作が広がりました.
「水稲」つまり田んぼでお米作る長所(ちょうしょ=よいところ)は
1.水が栄養(えいよう)をはこんでくること.
2.稲にとっていらない成分を水が流してしまうこと.
3.毎年同じ田んぼでお米を作ることができること.
4.お米の量が多くとれること.
があげられます.つまり陸稲だと
1.肥料をあげなければならない.
2.土の中に稲が育つのに必要な成分がなくなる.不要なものが残っている.
3.だから,同じ場所で稲を何回も育てることができない.
4,田んぼで作るよりお米のとれる量が少ない.
のです.
日本でもお米が足りなかった昭和40年代のはじめ頃までは(今から40年前),畑で稲を育てるところもけっこうありました.
ゲンボー先生 より
ゲンボー先生
メールをありがとう.
農薬ができたために.それまで虫に食べられたり,病気になってとれなかった分がとれるようになり,世界の農産物の生産量がとても多くなりました.
今日の農業で農薬と肥料はなくてはならないものになっています.もし世界中で農薬と肥料を使わなくなると,多くの人が飢えて死んでしまうといわれています.
ところが虫や病気のばい菌(かび/バクテリア/ウイルスなど)は,農薬耐抗性(のうやくたいこうせい)といって,何度も同じ薬をつかううちに,農薬がきかない,農薬に殺されないものがうまれてきてしまうのです.
農家の人は,そのために農薬の量を増やしたり,まく回数をふやしたりします.
現在世界中で農薬に使ってもいい薬は80種類ぐらいあって,昔のようにすごく強い薬は使われないようになりました.・・・といっても,全体に量が増えているわけですから,その分土にしみ込んでいる農薬も増えているというわけです.
特に日本で問題になるのがビニールハウスです. ビニール栽培では中の温度が高く,風通しも悪いので植物も病気になりやすいために,たくさんの農薬を必要とします.
日本のビニール栽培の量は,世界のビニールハウスの平均の200倍です.ですから,日本はせまいはんいの中でものすごく農薬による土の汚染(おせん=よごれること)が進んでいる国になってしまいました.
ゴルフ場もきれいな芝生にするために,ものすごく多くの農薬をまいています.
畑でもゴルフ場でも種類の違う農薬をまくと,化学反応といって全く違う性質の毒物が作られることもあります.今,一番問題になっているのがこのことです.
農薬は人の体に悪いえいきょうをあたえます.
日本人のかかる病気の種類が変わってきているのです.60才以上の方の病気で死ぬ原因の一番はガンですが,40〜50才の人の死ぬ原因は,心臓病や腎臓病,それに脳いっ血といった循環器障害(じゅんかんきしょうがい=血を送ったりきれいにしたりする臓器や血管の病気)です.
農薬だけが原因というわけではありませんが,日本人の血管がすこしずつ弱くなっているといわれています.こわいですね.
ではどうすればいいのでしょう・・・それは,私達が少しがまんをすればいいのです.
人々が,ちょっとぐらい虫がくっていても野菜を食べたり.雑草が少しぐらい生えていても気にしないでゴルフをすれば農薬の量をへらすことができます.実際に外国へ行けばそうなっています.
たい肥などの有機肥料を使って,しっかりした土つくりをすれば,虫やばい菌にもまけない強い農作物を作ることができます.私達の大切な食べ物が,これ以上農薬漬けにならないようにみんなで考えることが大切ですね.
ゲンボー先生