玉川学園・玉川大学
ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.
中学一年生のきえです。突然ですが、きらら397というお米の由来がわかりません。社会の先生にきいてもわからなかったのでおしえてください。
ゲンボー先生
メールをありがとう.
北海道では昼も涼しいために「おいしいお米」を作ることがなかなかできませんでした.しかし,昭和55年に北海道立上川農業試験場で,味のよいシマヒカリ(コシヒカリの親せき)と耐寒品種(たいかんひんしゅ=寒さに強い品種)の「キタアケ」とを交配(こうはい=かけあわせること)して寒さに強く味のよい「きらら397」という品種が作られました.今ではこの「きらら397」が耐寒品種の代表選手です. 名前の「きらら397」は,作った人や売る人たちがみんなで考えました.「きらら」というひびきが雪国らしいこと,397は品種の系統番号を表しています・・面白いですね. ゲンボー先生
その理由は
・私達もバケツと花壇でお米作りをしたのですが、農薬を使わなくても十分に収穫できました。
・農薬を使うと、地球全体に悪い影響がおよぼされる。
・農薬を使わなくても、手で虫をはらったりすれば良いと思う。
そのほかに農薬の悪いところがありましたら説明を加えていくつか教えていただけないでしょうか。お願いします。
ゲンボー先生
伊林さん・八児さんこんにちは.メールをありがとう.
農薬は毒ですから,とうぜん動植物にとって良いものではありません.君たちが考えたことにプラスすると
・人間の体に悪い.
・人間に害を与えない動植物も殺してしまう・・などです.
そのために,害虫を食べる虫や,その害虫だけを病気にする菌,あるいは害虫が卵を産めなくする遺伝子を持った害虫を作って増やすなどの研究が進みました.
しかし,世界の大部分では農業をするのに「農薬」を使っているのが現状です.世界中で農薬を使わなくなると農業の収穫量はものすごく減って,何億人もが飢え死にすると言われています.初めに書いたように農薬は毒薬ですが,使い方によって人間を救う薬でもあるのです.
そこで,最近は毒性を低くしたり,できるだけ少ない量で効果的に使うという研究がすすみ,実際にそういう農薬を使ったり,方法を取り入れる農家も増えてきました.しかし,そうしたことをしているのはどちらかといえば日本やヨーロッパ,あるいはアメリカのような先進国で,世界の大部分では「たくさん収穫すること」だけを優先して,大量の農薬を使っているところが多いと言われています.
難しいですね・・・どうすればいいんでしょう?君たちの意見を聞かせてください.
ゲンボー先生
ゲンボー先生
伶奈さん.メールをありがとう.
お米には「うるち」と「もち」があります.「もち米」と「うるち米」の違いはその成分です.ちょっと難しいけど「うるち米」のでんぷん成分がアミロース20%アミロペクチン80%なのに,もち米はネバネバのもとであるアミロペクチンが100%です.これは私たち日本人が食べているジャポニカだけではなく,細長いインディカ米も同じです.(つまりインディカ米にももち米があるんだね・・)
どちらも「うるち米」とほとんど同じ時期に「もち米」もつくられていました.そうなると7千年前ということになります.
モチ米はうるち米に比べておなかの持ちがいいということがあります.そのために主食として食べるところもありました.また保存がしやすいので「ちまき」や「おこわ」のように味付けをしたりする料理に使われました.ところができる量が少ないのです.昔の人はおいしさより,たくさんとれる方をえらびました.
しかし,今でもビルマや中国の雲南地方ではコチ米を主食としている所もあります.
ところで,臼でついて「おもち」を作るのは日本だけということをしっていましたか?お正月に食べるおもちは日本だけのものだったのです.おもしろいねえ.
もう一つ,お正月にかざる「しめ縄」はもち米のワラがいいそうです.もち米は茎が細くてしなやかだからです.
ゲンボー先生
どうしてでしょうか?お母さんのお手伝いで、お米を研いでいてふと疑問に思いました。教えて下さい。
佐賀県鹿島市明倫小学校 5年 亜由美
ゲンボー先生
亜由美さん。メールをありがとう。
お米と水の対比関係・・何を見ましたか?
お米は籾(もみ)の状態でも比重が1.13以上あります。この比重を利用して良くない種籾を塩水に浮かせて、そこに沈んだ良い種籾だけを選びます。(塩水は水よりも比重が重いので1.13以下の種籾は浮いてしまうのです)
籾を取り除いたお米は,さらに比重が重いので,水の底に沈んでいるというわけですね・・・ゲンボー先生
父は、潮風が悪いのかもしれないといいます。母は、水がないからかもしれないといいます。私は、土がよくないのかもしれないと思います。どうして八丈島ではお米がとれないのでしょうか。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
美希ちゃん,メールをありがとう.八丈島・・いいなあ・・先生は昔「神津島」に行ったことがありますが八丈島までは行ったことがありません・・・先生も行きたい!
さて,質問の答えですが
1.八丈島は火山灰土層(かざんばいどそう)のため田んぼを作るのがむずかしい.
2.大きな川が無く,沢山の水を必要とする稲作はやりにくい.
というのが「自然の条件」です.火山灰は水はけがよすぎて,田んぼに水をためておくのがむずかしいのです.
では,八丈島ではまったくお米が作られていないのか・・というと,そうでもありません.昔は畑でお米を作っていました.長い間八丈島の人々の主食は里芋でした.しかしお米を食べたいという気持ちは強く,出来る限りの努力をしてお米を作ってきたのです.・・それでもとれる量はとても少なかった.こうしたことが昭和30年代ごろまで続きました.
でも,今は八丈島の農業はずいぶん変わりました,暖かい気候を利用して観葉植物・明日葉・ハイビスカス・球根,などの農産物の栽培(さいばい)がとてもさかんです.それはお米を作るよりもず〜っとお金がもうかるからです.珍しい植物を作って売ったお金でお米を買えばいいからです.
だったら昔から「珍しい植物」をつくっていればよかったのに・・と思うでしょ?
今度は自然の条件ではなく社会的な条件の話です.
まず,日本人の生活の中に観葉植物をかざることや,熱帯の花をかざる・・明日葉やパパイヤのように食べるという習慣(しゅうかん)がひろがったことがあげられます.いくら作っても買ってくれる人がいなければ売れないでしょ・・それともう一つ大切なのは作った農産物を運ぶ方法・・交通がとても便利になったということがあげられます.大量に安く物を運ぶ船や,早く運ぶ飛行機などですね.先生も八丈島から飛行機で運ばれたパパイヤを食べたことがあります.
こうして八丈島の人は無理にお米を作る必要が無くなったのです.・・・でもね,いまでも1ヘクタールくらい田んぼでお米を作っている人がいるのですよ.そのお米が売り物なのか,それとも自家米といって,自分の家で食べるものなのかは先生にも分かりません・・もしきかいがあったら調べてみてください.
分かったら先生にも教えてね・・
ではお父さん,お母さんと一緒に八丈島を楽しんできてください.
ゲンボー先生
ゲンボー先生.質問の答えをありがとうございました。どこでもたくさんお米が作れたら、食べ物に困る人がいなくなるからいいのになあと思いました。
もし、田んぼを見つけたら、写真をとってきます。
では、さようなら。美希
せっかくだから、いくつか教えてください!
Q1.「弥生時代では、どのようにお米を作っていたのですか?」・・・(こまかく教えてくれるとたすかります!)
Q2.「弥生時代に行われていたお米作りの苦労は?」
難しい質問だとは思いますが、どうぞよろしくお願いしま〜す!!!!!!!!!!!!!!
富岡市立小野小学校 5年 ありさ ヨリ!
ゲンボー先生
ありさちゃん
メールをありがとう.弥生時代は「水田」つまり田んぼでお米を作るようになった時代です.それ以前の縄文時代は「畑」でお米を作っていたと言われています.畑と田んぼの違いはわかりますか?
水を引き入れて稲を作るのが「田んぼ」ですね・・・田んぼを作るためには水が必要です.そこではじめのころは沼や池のほとりや川のすぐそばに田んぼは作られました.
やがて,「くわ」や「すき」などの農機具が中国や朝鮮から伝えられるようになると,川から少し離れたところでも「水路」を作って水を引き込むようになりました.当時の田んぼは今とちがってとてもせまく,たたみ一畳分とかその半分なんていう小さなものがおおかったようです. また,あぜ道をまもるために板をはりました.
やがて,弥生時代の後期になると田んぼはひろくなり,お米のとれる量が増えていきました.
お米の作り方は今とほとんど変わりません.電気やエンジンの力で動く機械はもちろんありませんが,「すき」「くわ」「3本ぐわ」などでたがやす方法はそれ以後ズーッと変わることなく,昭和30年代まで続きました.
お米作りの苦労は・・ 木を切り倒し岩や石ころをぬいて田んぼを作ること.底に水を引くための水路を作ることでしょうね.それに,日照りや洪水などの心配もありました. 害虫や病気,それに田んぼの草取りなどは今と変わりません.
日本のお米作りの基本はすでに弥生時代にできあがってしまいました.あとは道具が鉄になったり,江戸時代に「千歯こき」や「とうみ」などの脱穀機(だっこくき=稲穂とお米を取りわけること)が加わったていどです.現代はそれらが電気やエンジンで動くようになったということですね・・
ゲンボー先生
ゲンボー先生
七央ちゃん.メールをありがとう.説明が難しいので保護者の方に説明してもらってください.
お米は大きく分けて政府米と自主流通米に分かれます。その中で政府米は東京、大阪、愛知など9都府県に10ヶ所ある政府米倉庫に保管されています。この倉庫以外にも政府と契約した農協など民間の倉庫9,000ヶ所に分散して保管されています。この政府米は災害用備蓄米として保管されているもので、阪神大震災のときにはいち早くこのお米が災害地に送られました。また、今年のような不作の年には、10年前の米パニックのような騒動にならないように政府は民間に売却しています。一方自主流通米は各地区の農協の倉庫に保管され問屋さんに売却されるまでそこに置かれます。又、問屋さんも各自の倉庫に保管し、お米屋さんに売却するまで保管します。
また、政府の倉庫、農協の倉庫は昔の常温保管倉庫から、お米の品質を保つため冷蔵保管倉庫に改修されているところが多くなり、いつでもおいしいお米が食べられるようにしっかり管理しています。ちなみに冷蔵倉庫は室温15℃、湿度14%を基準としています。15℃というのは虫が発生しない温度、14%とはお米が乾燥しすぎないための湿度です。
ゲンボー先生
ゲンボー先生
友博君.メールをありがとう.
「飯ごう」は昔,兵隊さんがご飯を炊いたり,みそ汁を作ったりするときに使った炊飯具(すいはんぐ=ご飯を炊く道具)です.戦争は良くないことですが「飯ごう」は便利だったので,平和になってからも人々に使われ続けてきました.
アウトドアスポーツが盛んになった今日ではコッフェルとかダッチオーブンなどの便利な道具が広く使われるようになりましたが,それでも「飯ごう」の人気は根強く,今でもたくさん作られ多くの人に愛用されています.
さて,その飯ごうでおいしく食べる方法と言うことですが,一番のコツはなんと言っても「みんなで仲良く作る」ということです.お焦げがあっても多少シンがあっても,みんなでワイワイ言いながら作るご飯はおいしいものです.
それでは,2番目からのコツを教えましょう・・・
2.飯ごうには「中ぶた」がありますね・・それはお皿になりますが,同時に2合の升にもなります.中ぶたにお米を入れてすりきるとちょうど2合になります.1合だとうまく炊けないので2合以上で炊きましょう.
3.次にお米を研ぎます.水はお米すれすれくらいで数回ていねいに研ぐ方が,多い水の量よりもうまく研げます.力を入れすぎるとお米が割れるので注意してください.水が透きとおってきたらOKです.
4.飯ごう本体をよく見ると,中に短い線が2本あるのが見えるはずです.下の線がお米2合の時の水の線です.上の線は4合の時の線です.軟らかめのご飯が好きな人は線より数ミリ上に,固めが好きな人は数ミリ下に水を入れてください.
5.炊くときは「焚き火」ですか?それだったらマキを十分に用意してください.ブロックや大きな石を利用して網にのせるか,横棒を渡して炊くのがいいと思います.火加減ですが,飯ごうが炎にくるまれる感じで炊く方がうまくいきます.「始めチョロチョロ中パッパ」といいますが,それにこだわることはありません.
6.しばらくして,棒で「飯ごう」をさわると「ぐつぐつ」煮えている感じが伝わってくると思います.途中でフタが持ちあがったら石をおくなどして中の圧力を保ってください.しばらくして「ぐつぐつ感」が無くなったら,火から下ろしましょう.
7.「赤子泣いてもフタとるな」と言われますが,失敗するよりましなのでフタを開けて中を調べてみましょう.
このときに水が残っていたらもう一度火にかけます.焦げたにおいがするのにシンがあるようでしたら,お湯を少し入れて蒸らしてください.あまりシンがあるようでしたら,お湯を入れたあともう一度火にかけますが,このときはひっくり返してください.
8.うまく炊けていると「カニの穴」と言われる小さな穴がいくつもあいています.これが最高の炊きあがりですから,これを目指して頑張ってください.そうしたらしばらく蒸しましょう.また「カニの穴」がなくても十分に蒸らしてくださいね.
※ひっくり返したり,底を棒でたたくのはあまり意味がないので必要ありません.底がボコボコになっちゃうので良くありません.
それでは楽しく作って楽しく食べてくださいね.
そうそう,ボーイスカウトでは飯ごうに水で溶いたクレンザーを塗って火にかけます.そうするとススがかんたんに洗えてあとがすごく楽です.
ゲンボー先生
こんにちは。実は、学校の中庭で、ご飯をたくことになるかもしれず、かまどの組み方を知りたいのですが、教えていただけますか。お手数ですが、分かりやすく教えて頂けると、とてもうれしいです。どうぞ宜しくお願いします。
ゲンボー先生
友博君,頑張ってね・・・
かまどの形はいろいろありますが、学校の庭でやるのはブロックをつかうのが一番かんたんかな・・・(ブロックがあればだけど・・)ブロックをコの字におきます。一辺が2コで上下2段ぐらいあるといいんだけど・・そのばあい風下を空けておきます。つまり空いている方から空気が入りやすくするためですね。
次にコの字の真ん中に横棒が渡るように、両脇のブロックの穴にたての棒を差し込みます。(横棒を支えるたての棒ですよ)そのときにさらに地面にも10センチ以上差し込みます。しっかり差し込まないとたおれてしまいますよ。
棒は上の方に枝が少し残っていると、横棒がおけますね・・そういう棒をみんなで探してくるのです。
そしてそのたての支えの棒の枝の出っ張りに横棒をおくのです。
その横棒に飯ごうのとってを入れればいいのです。あとはまきで下から炊く・・このとき火から飯ごうが離れていていてはいけないんだよ・・
ブロックがないときは大きめの石でもかまいませんが・・校庭にそんなのあるかなあ・・・
棒を使わないでやる方法としては、バーべーキュー用の網をおく方法があります。これが一番簡単です。その場合も大きめの石やブロックでしっかりと固定して、その上に網をのせるのがコツです。
まきをくべる必要から、網とまきの間は最低でも20センチは空けてくださいね。
もう一つの方法は、庭に大きめのだ円形の穴を掘って、その中にまきを入れて、地面に網をおいて炊く方法です。この場合のコツは穴を大きめに、深めに掘ることです。そうしないと十分に空気が入らず火が消えてしまいます。
さあ、君たちならどうやって炊きますか?
では、頑張ってください。
ゲンボー先生
友博君からのメール
ご報告が遅くなってしまいましたが、先生にいろいろ教えていただいたおかげで、無事、美味しいご飯を食べることができました。当日は、天気にも恵まれ、みんなも準備万端。朝から、かまどを組み始め、火をおこそうとしましたが、なかなか上手くいきません。穴の掘り方が今ひとつだったようで、空気が上手く入るように穴を広げたら、やっと火がつきました。ぼくは、飯ごうでご飯で炊くグループでしたが、飯ごうのふたを開けたとき、とても美味しそうに炊けていたので嬉しかったです。他にも、竹ずつや、缶を使ってご飯を炊いたグループもありました。炊き方によって味が違うか、どうか比べるために、それぞれ、分け合って食べましたが、どれも美味しくできていました。でも、やっぱり自分たちで炊いたのが、美味しかったです。クラスのみんなと協力して、いろんなことが体験できて、本当に楽しかったです。
ゲンボー先生、お忙しいところ、いろいろと教えてくださり、本当にありがとうございました。また、いつかお便りできたらと思います。どうぞ、お元気でお過ごしください。
鈴木君。よかったね・・先生も食べたかったなあ・・・(笑)自分たちで作ったものは格別の味がします。今度はお家の料理にもチャレンジしてごらん。みんな喜ぶよ・・!
写真があったらホームページにのせますよ・・・いいですか・・
ゲンボー先生
ゲンボー先生
健太君.メールをありがとう.
「水うるち」とは水田で作られる稲です.「うるち米」は普段私たちが食べているお米のこと・・ちなみに,「もち米」はおもちやお菓子の原料になるおこめです.もち米にも水田で作られるものと,畑で作られるものがあります.
一方,「陸うるち」とは畑で作られる「うるち米」のことです.お米の量産が叫ばれた昭和30年代後半までは水の引けない畑でもたくさん「陸うるち」の栽培が行われていました.君の住んでいる鵜野森付近にもありました.
うるち米ももち米も水田で作ったものを「水稲」(すいとう),はたけでつくったものを「陸稲」(りくとう)といいます.この言葉は覚えてください.しかし,減反をすすめている今日ではその数は急激に減り,現在ではあまり見かけることもなくなりました.ですが,茨城県ではおせんべい用やお茶漬け専用,あるいは水気の少ないお米が重宝がられる料理用などに多く作られています.茨城の場合は「もち米」がおおいようです.
詳しくは先生のページで「みんなの広場」から「お米の品種について」「陸稲と水稲の違いを教えてください」で調べてください.
ゲンボー先生
私たちの学校では不耕起栽培について学んでいます。不耕起栽培についてもっといろんなことを学びたいと思いますので詳しく教えていただけませんか?
ゲンボー先生
亜里沙さん.メールをありがとう.
これまで,種をまく前や苗を植える前には,畑や田んぼをたがやすということは誰もうたがわない農業のじょうしきでした.
その理由は
1.耕すことによって土がやわらかくなって根がはりやすくなる.
2.空気が入って悪いカビや菌(きん),害虫が死ぬ.
3.いっしょに肥料や土をよくする薬をまぜると作物が良く育つ・・
などでした.さらに・・
4.植物は不要なものや自分の体に良くないものは根を通して土にためる・・と言われていました.だから耕す・・・
ところが,前の年に作った作物の株の部分に種をまいたり,苗を植えるという「考えもつかなかった」ことをやった人たちがいたのです.すると,おどろいたことに,前の年と同じかそれ以上に作物ができたということが現実におきました.
最初のうちは半信半疑(はんしんはんぎ=半分信じて半分うたがうこと・・え〜ほんとかなあ・・という感じ)だった人もやってみるとそのとおりなのでビックリしました.
1.耕す必要がないので,機械のねんりょうや労力などにお金がかからない.
2.畑の表面が硬かったり草が生えている状態なので風で土が飛ばされない.(これは北米・南米など,畑の面積が広いところでは大きな問題でした.日本では北海道などがそうです)
3.作物のとれる量がかわらないか,それ以上とれる.
と,いいことずくめだったのです・・・
なぜそうなるのかというと・・・
1.前の年に根がはっていたところに,今年の根がはりやすい.
2.これを続けると土の中に細かい空気のトンネルがたくさんできて,理想的な土の状たいになる・・のだそうです・・
ということが分かりました.そのため広い面積が必要で機械化が進んでいる,大豆やトウモロコシ,稲などの栽培で不耕起栽培が広がってきました.
しかし,ほんとうにいいことずくめかと言えば,そうでもありません.よくないこともあって,そのためにしなくてはならないこともあるのです.
1.土がかたくなり水はけが悪くなるので,「うね」と「うね」の間に排水溝(はいすいこう)を作る必要があります.ですから,粘土質などの水はけの悪い土地では不耕起栽培はできません.
2.作物のとれたあとに残った雑草は,トラクターでたがやして土の中にすきこんでしまえば,そのまま肥料になっていました.ところが不耕起栽培ではその作業をしないために,雑草を農薬で枯らさなければなりません.
3.おなじ作物を何年も同じ場所で作ると「連作障害」(れんさくしょうがい)といって,病気になったり,とれる量もへってしまいます.そこで何年か植えた後に他の作物にかえたり,畑を田んぼにかえたり,田んぼを畑にかえたりしなくてはりません.
ざっと書きましたが,このように不耕起栽培は歴史が浅いために問題も多く残っています.しかし,これまでもそうだったように人間の知恵でそれを乗りこえることでしょう.君たちが大人になるころは,畑も田んぼも今よりも広くなり(互いにくっつけてしまうということ)少ない人数で大型機械を利用した農業になると考えられています.不耕起栽培はそうした農業にもてきしているため,こんごさらに盛んになっていくことでしょう.
わからないことがあったらまたメールをください.
ゲンボー先生
私のテーマは「米の歴史について」 にしたいのですが うまくまとめられないので先生が書いてくれたのをお手本にしたいと思うのでお米の歴史をくわしくしたのをまとめたやつを書いてください。いそがいしのにすみませんが よろしくお願いします。
ゲンボー先生
亜利沙さん。メールをありがとう。君は元気がいいねえ・・・
お米の歴史は長くて複雑です・・簡単には説明できません・・が・・・あらすじだけ書きましょう。これを参考にさらに自分でくわしく調べてみましょう
稲は7千年ほど前にインドのアッサムと言うところで栽培され、それがビルマやタイをとおって中国に渡り、さらに6千年前に日本に来たという説。
アッサムだけではなく中国の長江下流でも同時に栽培が始まり、それが日本に伝わったという二つの説があります。
いずれにしても、日本には中国の福建省あたりから伝わったようです。これまでは弥生時代に初めてお米が伝わったと言われていましたが。縄文時代の後半には稲が栽培されいたこがわかってきました。それどころか6千年前には伝わっていたかもしれないのです。このことについては先生のページをよく見てください。「みんなの広場の「お米の歴史について」いくつかでています。
さて、本格的に水田での稲作栽培が始まったのは古墳時代ですが、このころになるとお米の品種が分けられてきたようです。さらに、奈良時代になるとお米は税のたいせつな品物になり、各地で開拓が始まり日本のあちこちに水田が広がっていきました。
このことについても、庄内平野や讃岐平野のことについて先生が説明していますからそちらを読んでください。
大切なのは、今私たちが見ている田んぼの多くは、昔の人が苦労をして森や林をきりひらき、遠くの川から水を引いたり、ため池を作って水をえていたということです。
亜利沙ちゃんの黒松小学校は仙台にあるのかな?君の家の近くにある田んぼはいつできたのだろう?そこに引かれている水はどこからきているのだろう?そしてそれはいつ?だれが作ったんだろう?そういうことを調べるととても面白いことがわかるのです。がんばって調べてごらん・・わかったら先生にも教えてください。
ゲンボー先生
・いつから使われるようになったのか
・作り方と材料、使用する道具
・どのくらいお米が入るのか
教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。
ゲンボー先生
小松さん。メールをありがとう。
米俵の歴史は古く、おそらく飛鳥時代ごろからあったと思われます。稲の保存はモミのついた状態で風通しの良い涼しいところが良かったので、縄文時代から(もちろん弥生時代も・・)高倉式の倉庫に保管されていました。
このときには俵に入れる必要はありませんね・・俵は通風もいいので保管するのにも向いていますが、運ぶときに便利です。
お米が税として運ばれるようになるので、奈良時代には確実にありました。先生が飛鳥時代といったのは、このころになると近畿地方や中国地方、あるいは九州の大豪族が広い領地を治めるようになるからです。広い範囲からお米を集めるにはやはり俵が便利だと思ったからです。
俵はわらで作ります。一度見てごらん。縦のわらと横のわらをうまく編み上げていくんです。
一俵は四斗の量が入ります.およそ60キロです。これは江戸時代に決められた量です。
一戸に運ぶ量としては軽くなく,重すぎない・・・でも重いね・・・
ゲンボー先生
ゲンボー先生
メールをありがとうございます。
1.古代より日本は常に米不足の国でした。
2.そのために政府は米農家を保護し米の生産に力を入れました。
3.その結果昭和30年代後半に米の100%自給が達成されました。
4.その反面、保護がすぎて生産の効率化が遅れました。
5.さらに国際価格の7〜10倍という異常な価格になってしまいました。
6. 米が大量にあまるようになりました。全量政府買い上げだったので、国の予算も圧迫しました。
7. その結果まず消費者が反発しました。
8.生産者(農家)の中にも自由にお米を売りたいという要求が出てきました。
9.そこで、政府は戦前から続いていた食糧管理法を改正しました。しかし、それは政府の赤字を減らすだけの政策で、米農家の将来や消費者のニーズに応えられるものではありませんでした。
10.平成5年の大凶作に伴った外国米の緊急輸入をきっかけに、米輸出国から日本に門戸を開放せよ(お米を輸入せよ)という要求がでてきました。なかでもアメリカは強硬で「日本の消費者のために」という錦の御旗をたてて日本政府に迫りました。
11.日本はついに1993年にガット(関税および貿易に関する一般協定)の場でウルグアイラウンドを受け入れました。(現在ガットはなくなり、WTO=世界貿易機関になりました)
12.日本はミニマムアクセスにもとづいて、初年度が4%、以後毎年0.8%ずつ増加、6年目には8%(約75万t)を輸入することを約束しました。
13.しかしこれだと、将来的に100%の輸入受け入れをしなくてはなりません。 そうなると日本の米農家は大きなダメージを受けることになります。
14.そこで1999年に日本は米に関税をかけて輸入を抑えるという方向に転換しました。関税は徐々に引き下げるという約束をしました。時間かせぎです。
15.その時間かせぎをしている間に大規模農家の育成や、機械化、米の品質向上という、国際化してもたちうちできる体力をつけようとしているのです。
16.小規模農家は有機栽培など大規模農家ではできない「きめの細かい」栽培法で他の米との差別化を行う方向で米作りが行われ始めました。
これでいきさつがわかりましたか?いずれにせよ日本の米農家は国際競争にさらされるのです。それは国内競争でもあるのですよ・・・。農家はそれぞれの置かれた立場によってよりよい米の生産を行わなければなりません。
それは「おいしいお米を安く作る」と「高くても希少価値のあるおいしいお米を作る」このどちらかということです。
農家のメリットは、がんばって成功すれば収入は増えます・・しかし、過疎化と高齢化が進んだ地方では難しいですね・・若い人が希望のもてる農業をおこなえる・・そういう下地はやっと芽が出てきたという状況です。いずれにしても50年、100年先を見越した農業政策を立てる必要があります。このようにせっぱ詰まってからの政策では苦労するのは農民ばかりです。
また、輸入量が多くなるということは、生産国の価格の変動がもろに日本に影響を与えるということになります。アメリカの牛肉が輸入禁止になったために牛丼屋さんで牛肉が使われなくなったり、他の肉もじわりと価格が上がっているのは知っているでしょう・・・お米の場合は主食だけにもっと深刻になります。
万一、輸出国や日本の周辺、あるいは日本そのものが戦争に巻き込まれたらどうなりますか?多くの輸入品がストップされるのです・・もちろんお米も・・・・私たちは国の安全保障ということも考えなくてはなりませんね。
「改正食糧法」のページに行く.平成16年4月1日からお米の流通が大きくかわりました.必見のページです.