花菖蒲は、育成された地域によって、江戸、伊勢、肥後という大きく3つの群(group)に分類されており、育成者の想い、地域の特性を活かして品種改良が行われてきたので、それぞれの群(系)が独自の形状 や花色 を持っています。これらの花菖蒲は、日本各地に自生する野生のノハナショウブを基にして育成されたことは、古文書や植物形態学的な知見から明らかにされています。
それでは、どこの、何を使って 育成されたのか? については 諸説があり、主に言い伝えなどによって受け継がれてきました。
本学では、約30年間の研究によって、全国に自生する野生種のノハナショウブの収集(自生地当局および地元の方々許可済)、栽培品種の3系統の花菖蒲の栽培品種の収集(いずれも江戸時代に育成されたとされている、最初に育成された品種の「古花」に限る)を収集して、研究を重ねてきました。
研究のための準備段階として、ノハナショウブや栽培品種を、混ざらないように鉢植えとし、同じ場所、同じ土壌条件で栽培し、これらの株の開花株などに花の形態や花色に年次変化がないか、科学的には環境変異がないかなどの確認を行いました。
具体的には、本学・町田市の同じ場所で、同じ条件下で栽培して30年間かけて、これらの株を野生種あるいは品種が持つ、「固有の特徴(標準個体)」として保存してきました。
同時に、最新の科学的な知見を用いた研究を行い、まず、形態学、生理学的な知見の整理を行いながら、分類を試みました。同時に分子生物学的な研究へと進みました。
科学には、様々な手法がありますので、いずれに偏ることのないように、例えば分子生物学的な研究の中にも、形態的な要素、歴史、花色などの特徴を取り入れました。
特に分子生物学的な研究の手法は日進月歩なので、酵素から分子に至るまでほぼその時々の最新の分析の中で、最も適した解析法を用いて行いました。
種子親を用いた手法も取り入れるなど、用いる株にも工夫を重ね、繰り返し実験を行って、どの方法で行っても再現性があること を突き止めていきました。
この度、科学的な知見の基、国際園芸学会や園芸学会などの大きな組織に発表、認められたものを公表することにしました。以下に2023年5月現在で、明らかになっている科学的な最新の情報を網羅しました。
なお、本ホームページの引用は、全て本学・広報課の許可を得てください。また、「研究用」として30年間にわたり、維持・管理して研究をしたので、研究上、再現性(誰が行っても同じデータが出ることが必要ですので本学が所有する株の譲渡や交換はできません。
また、以下の図表や文章の無断掲載は、研究倫理に基づきできません。引用は可能ですが、出典先の記述が必要ですので、その際にも本学・広報課の許可を得てください。
最初に花菖蒲園にあるような栽培品種の「花菖蒲」を作ったのは、江戸時代の松平左金吾(自らを「菖翁」と自称)です。
全国各地から収集した、野生のノハナショウブの種子を江戸で播種して育成したので、現在ではこれらの品種群を総称して現在では「江戸系花菖蒲」と呼んでいます。
研究としては、「どの地方の野生のノハナショウブを使って、栽培種の江戸系花菖蒲を作ったか」を明らかにする必要があります。
この研究に必要な植物は、全国各地に自生する野生のノハナショウブと、江戸系花菖蒲の品種の中で、「菖翁花」と呼ばれる、松平左金吾が育成した品種になります(田淵、2016)。
伊勢系の花菖蒲の起源については、江戸時代の中期から後期にかけて伊勢地方の紀州藩士・吉井定五郎によって、現在の三重県・松阪周辺で育成されたと言われています。
しかし、冨野(1967)によれば、その由来は参勤交代、あるいは伊勢神宮にお参りの際、江戸系花菖蒲を持ち帰って育成したとし、 ノハナショウブのような小さな花が伊勢系品種群のように大きくなることはあり得ない、江戸系品種にも伊勢系に似た垂れ咲きの品種があることをあげて、江戸系花菖蒲が伊勢系品種群の起源であることを主張しています(冨野、1967)。
その一方で、昭和初期に育種を多く手がけた平尾(1981)は、多くの品種改良をしていく中で遺伝的な変異や、交配によってどのような形質が生まれるのかに興味を持ち、その経験から江戸系品種と肥後系品種とは遺伝的に全く異なることを指摘していました。
本学では、この点につき、形態的、生理学的、生態学的および分子生物学的な研究を行った結果、伊勢系花菖蒲の起源は、「三重県・斎宮」に自生するノハナショウブから育成されたことを明らかにしました(小林・田淵、2020)。
研究に用いた品種は、伊勢系花菖蒲の栽培品種と、野生のノハナショウブ
平尾(1981)は、昭和初期に非常に多くの品種改良をした人物として歴史的に後世に大きな影響を与えましたが(田淵、2016 )、自身が交配を重ねていくうちに 得られた実生苗を見て、江戸系品種や肥後系品種とは異なる遺伝的な仕組みについて気づき、記述に残している点で非常に優れた遺伝学者的な素養を持った育種家ともいえるでしょう。本学の研究成果は、平尾(1981)の説と一致する内容でした。
肥後系花菖蒲は、江戸時代の天保年間に肥後藩主・細川斉護が、江戸系花菖蒲の品種を育成した、松平左金吾(菖翁)に品種の譲渡を懇願したことに始まります。
門外不出を約束して譲渡された記述がありますので、肥後系花菖蒲の品種群は、野生のノハナショウブが由来ではなく、江戸系品種のうちの「菖翁花」が由来であることになります。本学の研究において、菖翁花の何という品種が、どのような品種に改良されていったかについて、分子生物学的に明らかにしました(田淵ら、2023)。
本研究に用いた品種は、いずれも栽培品種で 、 江戸系品種としては松平左金吾 (菖翁)育成の 「 菖翁花 」 25 品種) 、肥後系品種は、菖翁花を基にして肥後・ 熊本城 下で花の組織『満月会』に栽培を委ねた品種群 「 満月会品種 」 と 、明治時 代に、元 満月会会員であった西田信常氏が育成した「 西田氏育成の品種」 を用 いました。
その結果は、ほぼ予想の通りでしたが、特に以下のことが分子生物学的に明らかになりました (田淵ら、2023)。
山形県・長井地方には、「長井」と呼ばれる品種群があります。ホームページでは長井(例外)と表記している品種群です。これらは、栽培種ですが、野生のノハナショウブのような形態、花色で、生態的にも多くの種子を結実させますし、開花期も同じです。
これらの品種群は、長井市「あやめ公園」に保存されていますが、明治時代に金田勝見氏により杉林跡に近隣の「あやめ」を植え付けたことが由来であると記載されています。
しかし、江戸系花菖蒲を持ってきて植えたとする説や、伊達家由来の人物が参勤交代の折に江戸系花菖蒲の品種を持ち帰って植えたとする説もあります。その際、地域に自生していた野生のノハナショウブと交雑してできた、とする説もあるようです。
そこで、本学では、この点についても分子生物学的に調べてみました。
研究に用いたものは、長井市周辺に自生する野生のノハナショウブと、長井「あやめ公園」の品種名のついたものです。
その結果、予測通り、地元に自生する野生のノハナショウブ同士を交配して(おそらく自然交配と考えられる)育成され、品種名が付与されたことが明らかになりました。
本学の研究結果から、江戸系花菖蒲、伊勢系花菖蒲、肥後系花菖蒲、および長井の品種群の由来は、以下のようにまとめることができます。今後は、これらの栽培品種の株をいかに永年的に維持・保存していくか、育成の基になった野生のノハナショウブの保全が大きな課題となるでしょう。