あいぞうし
藍草紙
Aizoushi
新花(肥後花容) | 【花容】垂れ咲き 【英数】三英 【花色】濃青紫色 【開花時期】6月中旬 2022年は6月19日に開花 |
分類 | : | 昭和に入って肥後系と伊勢系の交配によって育成された新花(品種)で、花の形態から育成者が見た分類は「肥後花容」です。平咲きですが、中心部から下垂する三英花です。 |
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外花被 | : | 形状は円形で(7×7cm)、周縁部はフリル状で波打っています。花被片全体の花色は濃い藍紫色です。花被片全体に細かい縮緬状構造が見られ、周縁部ではその程度がより顕著です。アイの黄色の部分から先端部に向けて3本の細い白筋があります。 |
内花被 | : | 軸方向に直立し(7×5cm)、先端部に向かうにしたがって広がり、さじ状になります。花被片色は赤紫色で基部は白色です。先端部に向かって白色の筋が発達します。 |
花柱枝 | : | 花柱枝の色は白色です。青紫色の外花被片の間に存在するので非常によく目立ちます。先端部は2裂開して爪状のずい弁が発達します。ずい弁は水平方向に発達し、外花被片と同様の青紫色で、先端部には細かいくも手状構造が見られます。 |
備考 | : | 1967年(昭和42年)に平尾秀一氏により育成されました。外花被片の花色は濃い藍色、内花被片は赤紫色ですが、全体的には非常に濃い藍色(紺色)に見える三英花で目立ちます。平尾氏は青色の花菖蒲品種の育成にも尽力し、いくつかの品種が現存しいます(→青岳城、伊豆の海を参照)。 花径は15cm〜18cm程度、花茎長は50〜60cmで比較的短いです。 花菖蒲は江戸時代後期に育成され、その後、江戸を中心に肥後、伊勢地方で独自に発達しましたが、第二次世界大戦によってその多くが喪失しました。昭和に入って各地に逸脱していた花菖蒲の品種が一か所に集められ、それらの中から「昭和の時代の人々の心の訴えるような品種」が数多く育成されました。平尾秀一氏は、鉢花として鑑賞するばかりでなく、花菖蒲園にも向くように栽培しやすい環境耐性を持つ品種を数多く育成した人物の一人です。光田義男氏、伊藤東一氏、冨野耕治氏とともに、昭和の戦後復興の象徴となるような花菖蒲の品種を多く育成しました(→花の品種改良の日本史参照)。 本品種「藍草紙」は、そのような時代背景の中で、一か所に集められた多くの品種群の中から、紺色の肥後系品種と藍紫色の伊勢系品種を交配して育成されました。このように昭和になって肥後系古花と伊勢系古花の交配によって育成された新花ですので(由来は不明です)、江戸時代に肥後(今の熊本県)で育成された「肥後系」品種ではありません。よって、歴史的には「肥後系」とは言えません。そこで、ここでは育成者の平尾氏が「花の姿=花容」で肥後系としているので、新花(肥後花容)と表記しました。ただし、この品種の花の形態を見る限りでは3英花で、外花被片は垂れ咲き、表面に皺があり、ずい弁の先端部が蜘手になっているので、科学的には花容の観点から見ると「伊勢花容」の特性が非常に強い品種です。育成者が肥後系にした理由は不明です。 平尾氏の育成した品種は、令和の現在も多くの花菖蒲園などで栽培されており、観賞することができます。その理由の一つとして、平尾氏は戦後の混乱期において、一般の人、特に花菖蒲を初めて見る人にも好まれるような花容、花色、葉色を持つ品種を育成したこと、管理する花菖蒲園の立場からは、長年同じ場所(花菖蒲園など)で維持する上で、病害虫に強く、かつ株分けして増殖しやすい繁殖力の強い品種、栽培・管理がしやすい品種を育成したことなどがあげられるでしょう。 花菖蒲は種子を播種すると、次世代の株は形質が分離して同じ個体を得ることができません。仮に開花後に形成された種子を播種すると、その種子からできた次世代の株は、花容や花色などの形質が分離して、親株と同じ個体を得ることができません。したがって、株分けによって、同じ品種を維持・保存を行っています(栄養繁殖)。株分けしやすい、増殖力の強い品種は、開花後に脇から株が上がってきて翌年開花する株になります。 |
文献 | : | 田淵俊人.2016.花の品種改良の日本史(柴田道夫監修).昭和のハナショウブ−戦時下における衰退と戦後のハナショウブブーム.p. 255−256.悠書館,東京. |