小学生とゲンボー先生のページ3
 
 
玉川学園・玉川大学


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質 問

こんにちは。こちらは、兵庫小学校6年 山田です。
いまから、鎌倉時代の質問をしますのできくいてください。 北条 政子はなぜ源家をうらぎったのですか?

ゲンボー先生

政子は北条時政(ほうじょうときまさ)の娘ですが,頼家(よりいえ)暗殺(あんさつ)のあと父である時政を追放(ついほう)します.また,実朝(さねとも)が暗殺された後「承久の乱」(じょうきゅうのらん)といって,朝廷(ちょうてい)との戦いが始まりますが,その前に動揺(「どうよう」こころが揺れ動くこと=あわてること)する,御家人を前に大演説をしました.その内容はこうです.『あなたたちは頼朝公がこの鎌倉に幕府を開く前は,争いも絶えずいつも不安な生活を送っていたではないか.また,京都に上って貴族達や平氏達の警護(けいご)や仕事をするときには裸足で歩いて行ったではないか.京都に行ったら行ったで東国の野蛮人(やばんじん)と蔑まれて(「さげすまれて」低く見下されること)いたではないか.
今日,土地も守られ安心して生活をおくれたり,身分も高く見られるようになったのはいったい誰のお陰(かげ)なのか.それはすべて頼朝公のお陰ではないか.今こそ,その頼朝公の恩に報(むく)いるべきときがきたのです.
その恩を忘れて去りたいものがあればすぐこの場を去るがよい!』

どうです,山田君.すごく強い女性だと思いませんか?そんな政子と頼朝ですが二人は恋愛結婚という事になっています.きっと亡き夫の遺志をついで「幕府のために」という気持ちがあったのでしょう.
また,「北条氏のため」という事もあったと思います.そんな政子ですから自分の子ども達の暗殺にかかわったり,頼家や実朝を後ろから応援する御家人を滅ぼしたりしています.しかし.ここのところは,平和な現代人には理解のできないところではないでしょうか.
前のページの先生の説明をよく読んで,「御家人に支えられる幕府」という事を理解してください.御家人から見はなされた将軍はもはや将軍ではないのです.
政子という人は幕府を守るために客観的(「きゃっかんてき」冷静にものごとを見ること)にものを考えた人だったと先生は思います.



質 問

こんにちは 僕たちは、福井県坂井郡坂井町兵庫小学校の6 年生 米元です。
源平合戦は、なぜ起こったのですか

ゲンボー先生

「おごる平氏は久しからず」という言葉がありますが,米元君は知っていますか?.平氏は武士でありながら政治の実権(じっけん)を握(にぎ)ると貴族のような暮らしぶりになりました.また,清盛は自分の娘「徳子」を天皇の妃(きさき=奥さん)にして幼い皇子を天皇にしました.そしておじいちゃんの地位を利用して平氏に都合の良い政治をおこないました.これは平安時代の貴族,藤原氏が行った摂関政治(せっかんせいじ)とよく似ていますね.そして「平氏にあらずんば人にあらず」つまり,平氏でなけりゃ人じゃあない.という傲慢(「ごうまん」じぶんかってでおごりたかぶっていること)ぶりでした.
こんな政治ですから他の武士からは良く思われるわけはないですよね・・・関東では平氏である武士達までもが頼朝に味方して「武士の利益を守る政治」を目指したのも無理はないですね.なんてったって頼朝の最大の後ろだてである北条氏(ほうじょうし)や三浦氏,千葉氏,上総氏(かずさし)も同じ平氏なのですから.特に関東地方は開拓されて人が住んだところが多く,領地争いや,自分の利益ばかり考えている役人の政治に困っていました.京都の平氏はそういう一般の武士のことをあまり考えていませんでしたから,頼朝さんに対する期待も大きかったのです.

木曽の義仲(源義仲)や頼朝は兵を挙(あ)げましたが.清盛亡き後(なきあと=亡くなったあと)の平氏にはリーダーシップのとれる人はいませんでした.結果は君も知ってのとおり平氏は滅びました.
ところで,京都を最初に占領した木曽の義仲と頼朝の軍とが源氏どうしで戦ったということを知っていますか?
頼朝軍と平家軍の戦いを「源平の戦い」といいますが,当時の武士はそれほど源氏と平氏にこだわってはいませんでした.頼朝軍という言い方も間違っているかもしれません.「関東武士連合軍」といったほうがあたっているかもしれません.そのトップが頼朝さんだったのです.簡単に言ってしまうと頼朝さんは関東の武士の政治組織を作る代表として戦ったのです.



質 問

こんにちは。ぼくたちは、兵庫小学校六年の坪井です。 鎌倉時代についての質問をします。
徳政令とはなにのことですか?

こんにちは、兵庫小学校6年廣田 , 国京 , 宇野 ,長谷川です。 徳政令とは、どんなものですか?なぜ、できたのですか?

こんにちは。兵庫小学校6年 飛田、小椋、向井、加藤、国京です。
Q4 鎌倉幕府が徳政令を出して借金を帳消しにしたのに,なぜ生活が楽にならなかっ たのですか?

ゲンボー先生

どれも関係する質問なのでまとめて答えますね・・・

借金の棒引き(ぼうびき=ただにしてしまうこと)です.つまり武士が金貸しから借りたお金を,もう返さなくてもいいという武士にとってはバラ色の法律.うらがえせば金貸しにとっては最悪の法律(ほうりつ)です.
鎌倉幕府も中頃になると大きな戦もなくなり平和な時代が続きます.武士は戦の準備より生活の向上(こうじょう)に目がいくようになります.『うまいもん食べた〜い』『きれいな服着た〜い』と,思うのはいつの時代もみな同じ・・・・生活費はかさむのに収入(しゅうにゅう)は増えない.それどころか御家人達(ごけにんたち)の家でも子ども,孫,ひ孫とどんどん子供達が増えていきます.武士の収入は土地からあがる年貢(ねんぐ)ですから,当然(とうぜん)その子ども達を食べさせるために土地を分けていきました.つまり一枚のピザを切ってみんなで分けるのと同じです.

そこへ元冦(げんこう)という大戦争がおきたのです.武士達は恩賞(おんしょう)がもらえるものと喜び勇んで九州までいきました.
当時の戦の様子を伝える本には「日本の武士が『やあやあ我こそは』と名乗りをあげているあいだに,どんどん敵が矢を射ってきた.どうも戦い方が違うようだ」などと書いてあります.
つまり,期待に胸ふくらませた日本の武士が,自分の働きぶりを仲間に見てもらおうと名乗りをあげ,一生懸命(いっしょうけんめい)戦おうとしているのですが,元の軍隊は『そんなこと知っちゃあいない』というわけです.

日本の武士の戦いかたは,世界の中では「とても変わって」いました.日本の戦い方は儀式(ぎしき)にのとって相手と自分の身分をしっかり理解してから戦かったのです.それは「なぜ」でしょう.
身分の高い人の首をもっていけばそれだけ「おおきな恩賞」がもらえたからです.恩賞とは領地(農地)のことです.普通は破った相手の土地を取りあげて,それをはたらきに応じて恩賞として分け与えました.

元冦は嵐(あらし)のおかげで日本が勝ったのですが,はたして元から土地が奪(うば)えたでしょうか・・・

そう,恩賞はほとんど無かったのです.準備にお金をかけ大事な家来を失った御家人にはたいへんな出費でした.
竹崎季長(たけざきすえなが)という九州の御家人はわざわざ鎌倉まで出かけて,自分の手柄(てがら)に見合った恩賞を要求(ようきゅう)しました.こうした季長の努力と根性(こんじょう)によって,やっと彼は領地と馬を恩賞として貰(もら)えました.季長の例はとてもまれで,ほとんどの御家人は狭い土地や小さな家,それに捕虜(ほりょ=戦で負けて捕まった人)にした南宋人(なんそうじん)などで,まともな恩賞はもらえなかったのです.
季長の物語は「竹崎季長絵詞」(たけざきすえねがえことば)という絵巻物(えまきもの)になって現在も残っています.教科書に出ている元冦の絵は,この人が描かせた絵の中の一場面です.きっと君達も見たことがあると思います.

ここで,まとめてみます.
(1)御家人は子ども達に土地を分け与えて領地がせまくなってしまった.
(2)平和が続き武士の生活が贅沢になり出費が増えた.
(3)元冦でお金を使ったにもかかわらず,十分な恩賞が貰えなかった.

つまり,幕府を支えている御家人の生活が非常に苦しくなったということです.
そこで,生活に困った武士は自分の土地を質(しち)にいれてお金を借りました.返せればいいのですが返せなければ土地はお金を貸した人に取り上げられてしまいますね.そうなったら幕府を支る人がいなくなってしまうということです.
そこであわてて幕府は徳政令(とくせいれい)という借金を返さなくてもいいという法律を作りました.もっと正確に言うとお金を借りた時に担保(たんぽ=借金がかえせない時にかわりにあげるもの)にした土地をタダで取りかえしてよいという法律を出したのです.
結果はどうなったでしょう.君達がもしお金を貸す側だったらどうですか?「もう二度と御家人にはお金はかさない!!」と思うでしょう・・・・そのとおり,次からは誰も困った御家人にお金を貸す人はいなくなってしまったのです.鎌倉時代の終わりはこうした御家人の生活苦と執権政治(しっけんせいじ)のいきづまり,つまり平氏が滅びたのと同じように,北条氏だけが「いいおもい」をしていたということが原因で滅亡(めつぼう)したといわれているのです.


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