TOP > 研究テーマ02「花菖蒲」 > 02-1.「花菖蒲」とは? - 分類図鑑・江戸系品種群
池のほとりや水田の畦道に植えて、群生している美しさを楽しみます。
花被片の枚数は3枚(三英花―外花被が大きく発達し野生のノハナショウブをそのまま大きくしたような花型のもの)、6枚(六英花−外花被と同様に内花被も大きく発達し、6枚の花被構成となっているもの)、八重咲き(外、内花被のほかに雄ずいが花被化して10枚程度の花被からなるもの)が基本であるが、爪咲き(外花被が完全に開かないで内側に巻き込んで、あたかも竜の爪を思わせるように咲くもの)、玉咲き(外花被が完全に開かず、ふっくらと丸く抱え込むように開花するもの)、奇数花(通常は花被は3枚構成であるが、4、5枚になるもの)、のような奇花咲が見られます。
花菖蒲園に植えて、丘の上などから見下ろして美しさを演出するように、花被が横から見て水平に広がる平咲きが多いのが特徴です。
花色は、紫、青紫、紅紫、白、ピンク、などの他、色の配置が「単色、吹っかけ、覆輪」などの変化に富んでいます。
江戸時代になると寛文11年(1671)、尾張の徳川藩主、徳川光友公が屋敷内に、花菖蒲を作った記録があります。意外に知られていないのですが、徳川家康、秀忠、家光の3代将軍ともに非常に花好きであったことです。このことは、江戸に次々に花が集まっていく要因になりました。
水野元勝が著作したわが国最初の園芸書である、『花壇綱目』には花菖蒲が記載され、「花紫白浅黄薄色しほり飛入り(斑入り)あり、咲比5月」という解説や、その栽培方法、「白せんよ花菖蒲」、「紫せんよ花菖蒲」などの品種名と思われる記載があります。
元禄8年(1695)には、上駒込染井村の植木屋・伊藤伊兵衛三之丞の著した『花壇地錦抄』に花菖蒲が8品種、宝永7年(1710)三之丞の息子政武が著した『増補地錦抄』には、32品種の花菖蒲が記載されるようになりました。
花菖蒲は江戸時代の前期、特に元禄時代には品種数も増えていったことがわかります。
天明9年(1789)には『花形帳』(園芸植物の花形目録とも呼ぶべき書物)には、29品種の花菖蒲が記載されています。文政5年には、老中の松平定信(寛政の改革で有名)が自ら花菖蒲園を作り、45品種を『衆芳園草木画譜』をあらわしています。
このようにして、江戸時代に入ると花菖蒲は確実に人々の間で栽培されるようになって行きました。そのような流れの中で、江戸の旗本、松平左金吾定(菖翁)は60年以上にわたり花菖蒲の品種育成に着手、改良に取り組みました。「宇宙(おおぞら)」はその代表作で、品格を非常に重視しました。名著「花菖培養録」(かしょうばいようろく)、「花菖蒲花銘」、「菖花譜」花菖蒲には300品種が登録されていたようです。
そしてこれらの品種が後に堀切の花菖蒲園に広まり、江戸系の花菖蒲は大きく発展するに至ったと考えられています。
また、同じ時期に堀切村の百姓伊左衛門(小高園という花菖蒲園を作る)、「武蔵園」も作られ、江戸は花菖蒲園のメッカとして栄えるようになりました。
今でも、明治神宮御苑の花菖蒲園(林苑)などでは、当時の品種そのままに今日も保存されています。
二三の鏡 |
れんかく |
綾瀬川 |
伊豆の海 |
磯千鳥 |
浦安の舞 |
雲の上 |
栄紫 |
沖の波 |
宮のみどり |
宮の白菊 |
山頭花 |
紫衣の誉 |
時雨西行 |
秀紫 |
神代の昔 |
吹上浜 |
青岳城 |
千歳 |
相生 |
町娘 |
東鹿の子 |
藤砂 |
堀切の夢 |
夢の里 |