TOP > 研究テーマ02「花菖蒲」 > 02-2. 文化財としての価値 - あやめ文化の特徴
あやめの語源は何だろう?ショウブとの関係からみてみよう!
ハナショウブの語源はなんだろう?
稲作文化との結びつき
アヤメの語源については、さまざまなホームページを見ても大変な混乱をきたしているようです。最初に登場するのは「万葉集」ですが、ここでいう「あやめぐさ」は花にふれた歌は一つもないので、現在のアヤメではなくて、端午の節句に菖蒲湯として用いる「サトイモ科のショウブ」なのです。
アヤメの語源として、いくつかの説があります。
【参考文献】
植物と行事. 湯浅浩史. 2004. 朝日選書. 花菖蒲. 2006. 日本花菖蒲協会.
水田の畦道や、その脇にひっそりと風に揺れて咲いているノハナショウブを見ていると、稲作との関係が浮かんできそうです。農耕民族の日本人はこのノハナショウブを、いったどのような目で見ていたのでしょうか?
稲作は、縄文時代に大陸からと渡来して全国に普及しました。その際にまず行わなければならないことがありました。そうです。水田を作ることから始めなくてはならなかったのです。水田は水が引きやすい山と山の間に流れる小川沿い、平野であれば川に沿った地域に開墾して作っていきました。
そのような沢地にはノハナショウブが先住植物として自生していたのです。開墾にあたってはノハナショウブは邪魔な存在であったわけですが、今も昔もこれらを捨てることはなく、そっと、畦道に移すか、脇にひとめとめにして植えておいたのです。
クイズ まだ30箇所程度ですが、私の聞き取り調査によれば、稲作農家の方々の全員がまず口にすることがあります。それは何でしょうか?
1.「よくやってきたねえ」
2.「あなた、何しに来たの?」
3.「まず、あがれ、飲め」
4.「作業の邪魔だ、よげろ」
5.「誰だ、お前」
答え 2番
ノハナショウブを1株、ちょっと分けて欲しいことをお願いすると、「あの紫のか、あれならそこらに生えている」、「いらないからもってけ」。これはほぼ全国的な定番であったのです。ちなみに4と5の人は一人もいませんでした。
ただし、注意!稲作農家の方にとって、水田は「自分の庭」であり「命の源」です。決して、畦の上を勝手に歩かないこと。許可されても、畦を崩す歩き方を絶対にせず、農家の方を先頭にして従い、ノハナショウブは「農家の方自らに採集していただき、自分でグッズを持参してきて、掘り取らないこと」。
掘り取った場合、必ず穴に土を入れておくこと。最低限の礼儀です!これができない人は、ノハナショウブを採集してはいけません。
当然、花を研究する資格もありません。
当初、ノハナショウブの開花期を待って田おこしや水張り、あるいは田植えをしていたかもしれない、あるいは外花被の黄色い部分(アイの部分)を夕餉時間の指標にし、夕方になると一瞬の間、黄色い部分が輝くのを確認までして出かけた私には、まったくもって拍子抜けではありましたが…
ただし!灯台元暗しとはこのことで、朝一番に起きてふと玄関先に出ると目の前の自家用の畑の中に、無造作に植えられているノハナショウブ、これこそが色変わりであったり、形が変わった変異系統であったりするのでした。お聞きすれば、水田を開墾するにあたり、非常に珍しいきれいな色や形をしたノハナショウブがあれば、自宅の庭に植えておいて鑑賞したのだそうです。このようにして、庭先にノハナショウブの変異系統が集められていき、自然に交配を繰り返していった結果、栽培種に近いような色、形を有する系統が出来上がっていったものと考えられます。
もう少し、聞き取り調査が必要ですが、自宅の水田にノハナショウブが自生している稲作農家さんは区画整備の影響もあって、ほとんどないといっていいでしょう。
自宅前に無造作に植えられていたノハナショウブをはじめとするアヤメの仲間
私たちから見れば、貴重な遺伝資源の宝庫です。右は花色変異の白花(非常に貴重)ですが、普通に庭先に植えられていました。
このような変異系統が、江戸に集められて多彩な栽培品種が育成されていったのでしょう。