中学生とゲンボー先生9 玉川学園・玉川大学
鹿児島養護学校 小野公平です
鎌倉時代を調べてきて,今まで知らなかったことが沢山ありました。この自由研究 で鎌倉時代に中心の鎌倉から離れた武士の仕事を具体的に知ることが出来ました。
1.島津荘は平家の人が開墾した土地だったということ。
2.島津氏の祖先が、鎌倉の人だったということです。調べる前は、鹿児島は鎌倉か
ら相当離れているのだから、島津氏の祖先は鹿児島の人だろうと思っていたのです
が、鎌倉 の人だったのでとても驚きました。
3.元寇の頃の島津氏は、幕府を信頼して異国警固や石塁破損個所の修理、寺社への
異国降伏祈願など忙しく働いていたのに、幕府には報償として出す土地がなかった
のだから、武士たちの信頼をなくすのも無理もないなあ、武士にとっては大変な損
害だっただろうなあと思いました。
4.鎌倉時代の豪族の姓が、今も地名として残っている所がありました。いくつかあ
げてみると,「肝属」「山田」「知覧」「揖宿」などです。
5.島津荘は天下一の大荘園といっても,必ずしも農業生産力のみを基盤とするもの
ではなく,“唐物税”なる唐貿易が盛んだったことからその課税も重要な財源と
なって,基盤を支えていったようです。中国からの輸入品によって財源を確保して
いたのも興味深 かったです。
6.島津氏は鎌倉時代以降も実力を発揮して,室町時代,戦国時代,江戸時代,明治
時代と絶えることなく常に鹿児島の支配者であり続けました。源平の時代から続い
ている武士は非常に少なく,とても興味深かったです。今でも丸に十の字の島津氏
の印は良く見かけます.
あとで,図をいれます
文章を今そろえています
完成を待っていてください
勢力図ありがとうございました たすかります
分からないことはまたおたずねします。
ゲンボー先生
小野公平君
「鎌倉時代の鹿児島」原稿を読ませてもらいました.鹿児島に住んでいる小野君ならではの学習成果です. こちらの生徒も知らないことを小野君は知ることが出来ました.それはとても素晴らしいことです. 先生はこうして離れていても色々な勉強をしている人がいることを,多くの中学生に知ってほしいと思っています. 小野君のような学習成果が,様々な地域や学校から集まったら「学校」で,もっと素敵な学習が繰り広げられていくことでしょう. 近い将来きっとそうなると先生は思っています.また,そのために頑張っています.小野君はその一番目を行った生徒です. 自信をもって今度の発表をしてください.ゲンボー先生も応援しています.
「小野君のプレゼンテーション授業」平成11年3月16日午前9時〜10時30分.
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