中学生とゲンボー先生5
 
 
 
玉川学園・玉川大学


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質 問

玉川学園中学部の前沢です 昨日はお世話になりました。今まで調べてきたことは、まだほかにたくさんありますが、1部分を送っておきます。何かあれば教えてください。

ゲンボー先生

前沢君へ

君の原稿を見ることができました.以下に感想を述べます.
まず,時間がないのによく調べました.頑張ったね!

1.武士の食事と貴族の食事を表にしたのは見やすくてとてもよいと思います.更に,各々の具体的なメニューが加わると分かりやすくなります.その上で貴族の食事が片寄っていたこと,平氏もその貴族の食事に近かったことを述べれば説得力が増します.

2.醤(ひしお)についての説明を加えたほうがよいでしょう.また,この時代に魚醤(ぎょしょう)があったか,調べてみると面白いとおもいます.魚醤はタイ,ベトナムといった東南アジアから日本の東北地方にまで広く分布する,独特の調味料です.秋田県では「しょっつる」といい,冬の鍋に欠かすことができない調味料です.(オイシイよ〜)君も聞いたことはあるでしょう?これ調べると面白いよ.インターネットで検索してみてください.先生も調べてみます.もしこれが鎌倉時代にもあったら食生活の見方がまたひとつ変わります.

3.食材についてはもう少しつっこみが欲しいですね.当時,西日本では二毛作が行われていましたから,いろんな種類の野菜が作られていたと思います.そして,特に米について調べられませんか?この時代は早稲(わせ).中稲(なかて).晩稲(おくて)の3種類があったそうですが,今の我々が食べている短粒(たんりゅう)のジャポニカだけでなく.米の種類の選別が完全に終わらなかったので,長粒(ちょうりゅう)のインディカも少しまじっていたようなのです.※稲が日本に伝わった縄文時代の終りや弥生時代はもっとばらばらでいろんな種類がひとつの田んぼに,ごちゃ混ぜになっていたようです.
さらに,鎌倉時代の武士を含む一般庶民は「玄米」を蒸して食べていました.これを強飯(こわいい)といいます.現在は「おこわ」といっていますね.一方貴族は精米した白米を食べていました.これを「姫飯」(ひめいい)といいます.
姫飯の方が柔らかくて食べやすいのですが,栄養が片寄ります.一方強飯のほうはビタミンBを大量に含む胚芽(はいが)が含まれていたために,とても栄養バランスがよかったのです.
もしかして,平氏には「鳥目」が多かった,なんていう仮設を立ててみるのもすご〜く面白いと思うなあ!(これは1.と関連していますね)

4.農業との関連ですが「お米の学習」の「お米の歴史」に,「鎌倉時代の米作り」を載せました.ここを参考にしてください.特に君には,下地中分や地頭の進出と農業の発展を先生より詳しく調べて欲しいのです. これができたら.君のページには,お米ページからも同時リンクを張りたいと思います.
いよいよ,正念場ですね頑張ってください.


質 問

玉川学園中学部の前沢です
1つ質問があるのですが、鎌倉時代は荘園制であったのに、笛や、ドラを鳴らしたいわゆる共同作業なのですか?教えてください。

ゲンボー先生

前沢君へ

当時の農作業は,水路の建設や開墾といった土木作業や農作業には家畜の力も利用しましたが,田植えや稲刈りなどは全て人手に頼っていたわけです.特に田植えは期間が限られていることもあり,相当な重労働でした.最近では田植え機やコンバインなどという便利な機械がありますが,昭和30年代まではこうした作業はほとんど人力で行われていました.
農村では古くから互いに助けあう制度ができていて,こうしたときに共同作業がおこなわれていたのです.
特に「田植え」「稲刈り」は大切で,苦しいけど,収穫に結びつく嬉しい作業でもあるわけです.ですから,少しでも苦痛を和らげるために鐘や太鼓で拍子をとったり,気を紛らわせたり喜びを表現していたのですね.
こうした農作業に関わる舞楽のことを『田楽』といい,ここから庶民の音楽や芸能が発達したといわれています.
君の質問ですが,そういう訳で荘園制と共同作業の有無はあまり関係ありません.荘園の中にも農村があったわけですから当然いま述べたような農民の共同作業はあったわけです.


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