中学生とゲンボー先生3 玉川学園・玉川大学
ゲンボー先生
豪族というのは,その地域の有力者です.有力者というのは経済的,軍事的に強い人です.この時代に経済的に強いということは「広い土地」を持っていて,農業の生産力(例えばお米)が高いと言うことなのです.ですから「豪族」はいつの時代にもいます.
古墳を発掘すると面白いことがわかります.古い古墳は被葬者(ひそうしゃ=お墓にほうむられている人)の副葬品(ふくそうひん=被葬者と共に埋められている品物)に刀や弓矢などの武器が多いのに比べ,新しいものにはクワやスキなどの農具が多いのです.ここからわかるのは弥生時代の後期から古墳時代のはじめにかけては,ムラ同士の戦争があってより大きなクニができた.しかし世の中が安定すると原野を開拓し水を引き田畑を広げていったということです.これらの先頭にいたのが豪族というわけです.大和朝廷は近畿地方の豪族が支えていました.やがて彼等は貴族と呼ばれるようになります.
平安時代の終わり頃から鎌倉時代にかけて新しい豪族達の多くは「武士」になりました.こうした人たちが幕府を支えていたのですね.
江戸時代になって身分が決められてしまうと,武士になった豪族以外は純粋に庄屋とか名主と呼ばれる農民になりました.
つまり,基本的に農業をしていて高い生産力を持っている人々が(つまり広い農地と多くの農民を支配している人々)その力とその時代に合わせて貴族になったり武士になったりしていったわけということなのです.
ゲンボー先生
武士はどこで武器を手に入れたのですか?
ゲンボー先生
ユリカさん、メールをありがとう。
鎌倉時代には産業や経済が発達して、多くの日用品が専門の技術者によって作られました。刀や弓も同じように技術者によって作られ、それを商人が売っていたのです。つまり武士は、武具を商人から買っていたと言うことになります。
北条時政はなぜ、将軍になれなかったのですか?
ゲンボー先生
純さん.メールをありがとう。
北条氏は将軍の御家人です。もし北条氏が将軍になったら他の御家人がいうことを聞かなくなります。それに「自分も将軍になれるのだ」ということになって戦国時代のようになってしまいます。
誰でも選挙で選ばれれば総理大臣になれる現代人には理解できないことかもしれませんが、将軍のような高いくらいにつくものは「血筋」がよくなくてはならなかったのです。
源氏はもともと天皇の子孫です。北条氏だって平氏の流れをくみますから祖先は源氏と同じように天皇です。しかし、頼朝は直系というわけでこちらのほうが家柄が良かったのです。北条氏は名を捨てて、実を取りました。頼朝・頼家・実朝と源氏が三代で滅びてしまうと、力のない源氏を京都から連れてきてそれを将軍にし、自らはナンバー2として実権をにぎる・・・鎌倉時代のほとんどは北条氏が中心となって政治を行っていました。
後の人がそれに「執権政治」と呼び名をつけたのです。
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