中学生とゲンボー先生8 玉川学園・玉川大学
こんにちは. 鹿児島養護学校中学部二年小野公平です. 昨日、とうとう僕の研究が鹿児島養護学校ホームページに載りました。 まだ、鹿児島の鎌倉時代は、できていないので準備中になっていますが、完成したら載せようと思います。 ぜひ、見てください。
ゲンボー先生
小野公平君
見た,見た,見ましたよ!!!!
嬉しいなあ!
先生の最も望んでいるかたちで小野君の学習が進んでいることがとても嬉しいです.
今回,行っている「学習」のひとつのポイントが『いつでも』『どこでも』『誰でも』だからです.
遠く離れた(遠くでもないか・・・)鹿児島に住む小野君がこうしてこの学習に参加してくれたことが,ひとつの証でもあるからです.
君もいっているとおりコンピュータは便利な機械です.この機械を利用して君の知識を深め,広い世界へ飛び出していってください.
「鹿児島の鎌倉時代」とても楽しみにしています.頑張って下さいね.
もうすぐ冬休み、僕はとても楽しみにしています。
今日は、黎明館へ鹿児島の鎌倉時代についての資料を見に行きました。僕は、今まで島津氏の祖先は島津の
人だと思っていたのですが、黎明館に行ってみたら、鎌倉の人が祖先だったと分かり、とても驚きました。
それから、黎明館で今度、自由研究に載せたい資料のことを聞いてみたのですが、黎明館の資料は複製で本物は東京大学に置いてあり、東京大学に問い合わせてみないと載せていいかは分からないということでした。
許可がおりればいいなあと思います。
ゲンボー先生
小野公平君
面白いね.武士の領地はその人の「はたらき」によって決められたとことが良く分かる例だと思います. もともとあった土地も「開拓した土地」と「奪った土地」や「名目上の領地」があったりしました. これらの土地を幕府から認めてもらい,他の武士から侵略された時は助けてもらうシステムが御家人制度の根本です.
こうして支配地を幕府(将軍)に認められることを「本領安堵」といいました.
また,戦のはたらき具合によって,奪った敵の土地を分け与えられることもありましたから,御家人はできるだけ目立ちながら,勇敢に戦ったわけです.「弓馬の道」「名乗り」「一番乗り」などが大切だったことが良く分かりますね.
参考「武士と荘園」のページ(荘園のこと御家人制度のことが分かります)
さて,島津氏の御先祖様はどうして鹿児島を支配したのか????先生も知りたいなあ.
わかったら教えて下さい.
資料のことですが,中身のことを調べて,君の言葉でまとめるのなら著作権の侵害にはなりません.絵とか資料をそのまま撮影したりコピーするのは許可がいります.
それによって,東京大学に問い合わせてみたらいいと思います.
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