認知的不協和の脳活動を記録 −米国科学雑誌に論文を発表−
玉川大学脳科学研究所の出馬圭世研究員と松元健二准教授(グローバルCOEプログラム研究協力者)らは、「認知的不協和」として知られる、認知的な葛藤により食べ物の好みが変化することを、脳機能イメージング法(fMRI)を用い、世界で初めて実証しました。本研究成果は、米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)オンライン版に2010年12月6日(米国東部時間)に掲載されました。
本研究では、自分の好きな食べ物をあきらめた場合に、その食べ物に対する好みが変化するかどうかを、脳機能イメージング法(fMRI)を使って検討しました。その結果、自分の過去の行動は、質問紙における好みだけでなく、報酬や好みに関連する脳部位の活動も変化させることを明らかにしました。また「認知的不協和」と呼ばれる不快な感情状態が喚起された場合の脳活動の様子をとらえることにも成功しました。人の好みの変化や、それに基づく購買行動が複雑である理由の一端を解明した成果です。
「認知的不協和」は、イソップ童話にも見ることができる感情状態です。手が届かない高い木の枝にブドウを見つけたキツネが「どうせあのブドウは酸っぱくてまずい」と、ブドウをあきらめて立ち去ってしまう物語があります。この童話は、ブドウをあきらめたという自分の過去の行動を正当化するために、「ブドウはまずい」と好みが変化することを示しています。
心理学において、このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきました。自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられています(図1)。つまり、「好きだから買う」や「嫌いだから買わない」ではなく、「買ったから好き」や「買わなかったから嫌い」というようなことが起こり得ることを示しています。しかし、これまでの心理学の研究においては、好みの変化は質問紙などの自己報告法に基づくものであり、自分の過去の行動が本当に好みに影響しているのか、それともそう思い込もうとして嫌いだと報告しているだけで、実際の好みは実は変化していないのかはわかっていませんでした。また、「好きなものを選ぶ」のような価値に基づく意思決定過程の研究は多くなされている一方で、「選んだから好き」というような過去の行動の好みへの影響の脳内メカニズムはほとんどわかっていませんでした。
本研究は、過去に自分のとった行動が実際の好みに影響を与えることを明らかにすると同時に、この認知的不協和による好みの変化に帯状回前部や前頭前野背外側部という脳部位が重要な役割を果たしていることを明らかにしました。人の好みの変化やそれに基づく購買行動が複雑である理由の一端を解明したこの研究成果は、個人の経済行動と社会の経済変動との整合性の理解につながると期待されます。
Neural correlates of cognitive dissonance and choice-induced preference change
PNAS 2010 107 (51) 22014-22019
(認知的不協和と選択による好みの変化の神経基盤)
出馬圭世*(玉川大学脳科学研究所)研究グループ責任者
松元まどか(玉川大学脳科学研究所)
村山 航(ミュンヘン大学)
鮫島和行(玉川大学脳科学研究所)
定藤規弘(生理学研究所)
松元健二(玉川大学脳科学研究所)
<図1>認知的不協和と「キツネとぶどう」
お腹が空いたキツネはぶどうが食べたくて仕方がない。しかし、取れずにぶどうをあきらめる。好きなのにあきらめるという矛盾が“認知的不協和”と呼ばれる不快な感情状態を喚起し、それを低減するために好みを変化させる。
大学生男女20名の実験参加者は、最初に160種類の食べ物(コンビニエンスストアなどで売られている商品)に対する好みを一つずつ回答し、その際の脳活動を磁気共鳴画像撮影装置(fMRI)により測定した(図2上;好み課題1)。次に、自分が好きだと回答した食べ物二つのうちから好きな方を選ぶように指示された(図2中;選択課題)。最後に、参加者は最初と同じ160個の食べ物をもう一度提示され、再び好みを回答した。その際に、選択課題において参加者がそれを選んだか選ばなかったかも提示した(図2下;好み課題2)。
選択課題において、参加者は好きなもの二つのうちから一つを選ぶため、自分の好きな食べ物の一つをあきらめなければならないことになる。そのような経験の前(好み課題1)と後(好み課題2)で、その食べ物に対する脳活動がどう変化するかをfMRIにより測定した。好み課題2においては、自分の好みと過去の行動との矛盾(認知的不協和)を知覚させるために、参加者の過去の行動も、食べ物と同時に提示した。
<図2>実験に用いた課題の模式図
参加者はfMRI内において以下の三つの課題を行った。
■好み課題1
参加者は一つずつ提示される食べ物について、好みを8点尺度で回答。
■選択課題
好み課題1における好みの評定値が同程度に高い二つの食べ物から好きな方を選択(自己選択試行)。また、いくつかの試行においては比較条件として、参加者には選択権がなく二つの食べ物からコンピューターがランダムに一つを選ぶコンピューター選択試行も用意した。
■好み課題2
好み課題1と同様に一つ一つの食べ物の好みを再び回答。また、好み課題2では選択課題中にその食べ物が自分(またはコンピューター)によって選択されたか否かも同時に提示。
選択課題においては、例えばドーナツもプリンも好きだが、一方を選択しなければいけないためドーナツをあきらめる。この場合、好み課題2において「好きなものをあきらめた(選ばなかった)」ということを知覚し「認知的不協和」が喚起される。それが好みに与える影響をfMRIにより測定した。
参加者が好きな食べ物をあきらめた後は、その食べ物に対する好みの評定値が減少することが確認された。さらに、この自己報告の結果だけでなく、「線条体」(図3)と呼ばれる脳部位の活動も、好みの評定値に伴って減少することが明らかとなった。線条体は様々な報酬や快な刺激に対して活動することが知られており、その活動の程度は様々な刺激に対する主観的な好みを反映している。つまり、この結果は好きな食べ物をあきらめるという行為は、表面的な自己報告による好みの評定値だけではなく、実際の好みを変化させるということを示唆している。また、コンピューターによる選択の場合や、嫌いな食べ物をあきらめるという場合(認知的不協和が喚起されない場合)などの比較条件では同様の変化は見られなかった。
また、好み課題2において、好きな食べ物を自分が選ばなかったという矛盾(認知的不協和)を知覚した場合には、帯状回前部や前頭前野背外側部(図3)の活動が高まることが示された。帯状回前部や前頭前野背外側部という脳部位は赤色で書かれた「青」という文字を読む場合などに起こる知覚上の競合・葛藤の監視、及びその解決に関連することが過去の研究から示されている。つまり本研究の結果は、このような知覚的葛藤だけでなく、認知的不協和というより高次の認知的葛藤においてもこれらの脳部位が重要な役割を果たしていることを示している。
この研究は、過去に自分のとった行動が実際の好みに影響を与えることを明らかにすると同時に、帯状回前部や前頭前野背外側部という脳部位が、この認知的不協和による好みの変化に重要な役割を果たしていることを明らかにした。この成果は、人の好みの変化や、それに基づく購買行動が複雑である理由の一端を解明し、個人の経済行動と社会の経済変動との整合性の理解につながると期待される。
<図3> 関連脳部位
線条体(図中の赤色部分)は様々な報酬や快な刺激に対して活動することが知られており、その活動の程度は様々な刺激に対する主観的な好みを反映している。本研究では、自分が好きなのに選択しなかった食べ物に対してこの線条体の活動が減少することが示された。
また「自分が好きなのに選択しなかった」というような過去の行動と好みとの矛盾が大きければ大きいほど(つまり“認知的不協和”が大きいほど)、帯状回前部や前頭前野背外側部(図中の青色部分)の活動が高まることが示された。
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