中学生とゲンボー先生2 玉川学園・玉川大学
こんにちは 玉川学園中学部2年生の内藤です
この前は講習ありがとうございました。一応テーマが決まりましたので送ります 「テーマは鎌倉時代の仏教についてです。」 まずはだれがいつごろどのようにして開いたのか 寺(代表的な)の歴史などです。どうでしょうか?
時間があれば武士がつかっていた武器(大刀.なぎなた.弓など....)なども調べたいと思います ちなみに鎌倉時代は大きな鎧を着て馬に乗っていたので刀は横 (馬に当たらないようにと鎧の下にさせない) 刀の大きいのは馬の上にのって振り回すためだと思います。 鎌倉以降刀が短くなったのは馬など使わずに接近戦が多くなったから。 室内戦などにも使うため短くさやの形まで変わったのだと思います。 がんばっていきたいと思いますよろしくお願いします 9/10/18
ゲンボー先生
内藤 君へ
「仏教」とは面白いテーマを考えたね〜.確かにこの時期には新しい仏教がいくつも生まれたんだ.
それは,「なぜ?」なのか・・・それぞれの宗派の特色とその時代の社会の状況,あるいは身分の差や戦.もしかしたら気候なんかも関係しているかもしれないね・・・それに東西で違うかもしれないよ・・
とにかく,それ以前の仏教と『どこが』違うのかを明らかにしていくと,鎌倉時代が宗教の面からわかってとても興味深い学習になると思います.
武器と戦争についてはもし時間があればの話しですが,この時代の武士がどんな「死生観」(※現世と死後の世界をどう考えるか)を持っていたかに関係させることが出来ると思います.
人の心という難しいテーマですから,やみくもに調べるのではなく,仮定をたてながら筋道を立てて学習してみてください.
途中経過や分からないことがあったらメールをください.
こんにちは!玉川学園中学部の内藤です
テーマが決まりました。
鎌倉時代の仏教についてです東西ではどうちがうか?......鎌倉の寺はあまり派手ではありませんが
京都は多少派手です。そんなことを中心に調べたいと思います。
よろしくお願いいたします。
さようなら〜〜
ゲンボー先生
頑張ってくださいね・・お寺のことだけでなく宗派の特色やどんな階層の人々が信者だったのかを調べてみてください. それには良い資料が必要です.分かりやすい資料を一つだけではなくいくつか探してみてください.ハ
こんにちは。 玉川学園中学部2年生の大原です。
一応テーマが決まりましたので連絡しておきます。
僕は北条氏がどのようにして力を持ったのか、そして承久の乱について調べたいと思
います。
授業で習いましたが、どこでどのような乱だったのかまではやっていないのでもう少
し詳しく調べてみたいとおもいます。 お願いします。
ゲンボー先生
大原 君へ
『承久の乱』は貴族の時代から武士の時代に移る大切な出来事のひとつです.乱がなぜおきたのかは教科書に書いてあります.しかし,君はそれをもっと深く追及しようという訳ですね・・・
ヒント1.関東地方と近畿地方の農業生産の違いを調べてみてごらん.
ヒント2.関東地方と近畿地方の『地頭』の地位の違いがわかるかな?(下地中分を調べてごらん)
ヒント3.関東の武士がどうして結束したのかを考えてみよう!(将軍と御家人の関係だね)
大原君,項目を立ててそれぞれを調べてみてください.きっと明確な答えが返ってくると思いますよ・・・ハ
玉川学園中学部 岩田
どちらの元冦を調べるか,決まったら知らせてください.
1回目にすることにしました。これからもよろしく お願いいたします
ゲンボー先生
岩田 君へ
1回目に書いたように,当時の御家人の生活,そして領地をいかに守り増やしていく努力をしていたか,武士の生活をとりまくいろいろな状況を良く知ることが大切ですね・・・
玉川学園中学部 前沢です ところで、ゲンボー先生2号、3号ってどなたのことですか?
えーっと、鎌倉幕府のスタックから抜き出したのと、社会の教室にある本から調べたことです。農業のこと、食事のこといろいろ調べましたが、食事のことについてが、調べやすかったです。
(まだおわってないけれど...食事のことについての本があったので)
もっとたくさんの資料をさがしたいとは思いますが...うまくいっていると思います。
ゲンボー先生
前沢 君へ
ゲンボー先生は一人ではありません.それ以外はヒミツです.学習が終了したら分かるかもしれません.
食事の内容が階層によってどう違うか,地域によって異なるか?がポイントです.このことによって当時の武士や貴族あるいは庶民の生活が読み取れます.また,地域の差は京都を中心とする貴族の勢力と,関東を中心とする幕府の勢力のありかたを農作物の観点から読み取れると思います.頑張ってよい資料を集めてください.
玉川学園中学部2年生の山本です。 テーマの発表が遅れてすいません。 つきましては僕のテーマは、武士と貴族と庶民の生活についてやりたいと存じますが、 どのようにしたら良いかと思いまして 参考程度でお願いしたいのですが、よろしければ返信をお願いします。 それでは!
ゲンボー先生
山本君へ
大変に面白いテーマだと思います.ただ漠然と調べたのではポイントがぼやけてしまうので,君が一番興味がもてそうなことにしぼったほうがよいと思います.例えば・・・
・一日の時間の使い方.(朝起きる時間,起きてからの一日,寝る時間.きっとちがうはずだよね)
・一年を通した行事(当時の人々にとって「行事」はとても大きな意味をもっています.これも各々違うと思います)
・服装の違い(生活の様式によって当然服装も変わるはずです)
※「食事」「建物」「宗教」はすでに他の人が決めているので重複は避けたほうがいいと思います.
※また,君のいう庶民ですけど,はっきり「農民」とした方がいいと思います.
良い資料(本)をさがすことです.それも一冊ではたりません.君が読んで分かりやすいものがいいと思います.歴史教室や図書室,近くの図書館あるいは大学の図書館でさがしてみてください.(町の図書館にはけっこう良い本があります)
こまったら,すぐ先生に連絡してください.
ゲンボー先生
沙織さん メールを有り難う.
中世日本の庶民といっても,職業によって大きく異なります.農民の場合は朝は日の出とともに起きて農作業を行います.特に田植えや稲刈りの時は大変なので暗いうちから準備をします.朝の作業が終わると朝ご飯.
ご飯を食べ終わったらまた農作業をします.暑いときにはお昼は休みますが昼食はありません.鎌倉時代の人々は一日2食なのです.しかし,重労働の時には3食から4食になります.普通の時も中食(ちゅうじき)といって軽く何かを食べることがあります.涼しくなったらまた農作業・・・ただし,戦争のあるときは農業をやらずに領主(武士)の家来として参加します.
夕飯を食べ終わったら,・・・・電気もなく夜は暗いのであとは寝るだけ.この時代の明かりは今で言うとわずか4ワット.!!!
商人はどうかというと,農民よりはゆるやかな生活を送っていました.職業がら計算をしたり字を書くこともあったので,農民よりは知識もあったと思います.売り物の仕入れをしに他の町に行ったり,売る準備をしなければなりませんね.彼らも一日2食です.暗くなったら買いに来る人もいなかったので,明日の準備をして寝るだけです.
しかし,そんな彼らですが「楽しみ」もあったのです.鎌倉時代の遺跡を発掘すると「羽子板」「さいころ」「木のボール」などが発見されることがあります.
これは子供が遊んだだけではなく,大人も遊んでいたことが分かっています・・・・どんな時代にも,どんな階級の人にも必ず「あそび」はありました.また,労働の厳しい農民も収穫の秋にはお祭りがあって,朝からおいしいものを食べたり踊りを踊っていたり,おおいに息抜きをしていました.
あとは,沙織さんが自分が庶民になったつもりで一日のスケジュールを考えてください.面白いものが出来たら先生にも見せてくださいね・・何か分からないことがあったらまたメールをください.
ではお勉強頑張ってください.
ゲンボー先生より
室町文化で、【貴族や武士に楽しまれていた猿楽や田楽などの芸能では、観阿弥・世阿弥父子が能として大成し、】と言う文の能とは何ですか??教えてください。お願い致します。
ゲンボー先生
和則君.メールを有り難う.
能は猿楽や田楽とはちょっと異なります.猿楽や田楽は祭事や神事に関わる踊りです.つまり「無事に稲が育ちますように」とか「無事にお米が収穫できた感謝」の気持ちを神様に捧げるものでした.これらは庶民の中から生まれたものです.ですから田植えの時期や稲刈りの時期に,かねや太鼓で拍子を取って踊るのです.それには田植えや稲刈りという重労働を少しでも楽にするという意味あいも込められていました.同じく,猿楽もめでたいときに歌やはやしをバックに演じられるものです.
能はたしかにこれらの踊りと関係がないわけではありませんが異なるものです.猿楽の影響といえば「狂言」のほうが近い関係かもしれません.狂言は能のスタイルに似ていますが内容的には「物語」をおもしろおかしく演じるからです.
さて,能は観阿弥・世阿弥親子が2代にわたって作り上げた演劇です.演劇といっても今日のように役者が「話し言葉」で語り合うのではなく,動作も会話もバックの音楽も極端に簡素化され形式化されています.庶民的な狂言とは異なり,どちらかといえば朝廷の雅楽の舞の影響の方が強いと思います.
君もテレビで見たことがあるでしょう.ゆったりとした動作,つづみの「よ〜ッポン」という張りつめた音・・それは見て楽しむと言うより,動きの美しさとか,物語の内容を深くとらえ「人間の生や死」について感じ,考えるものです.こうしたことから能は武士に受け入れられました.
つまり庶民の芸能ではなく,質実剛健(しつじつごうけん)を重んじたり,いつ死ぬか分からない張りつめた生き方をしている武士のものだったということです.たま〜にテレビでやったり,時代劇の一場面でやることがあるので,気をつけて見ておいてください..
ゲンボー先生
ゲンボー先生
土岐君さん.メールをありがとう.
後鳥羽上皇が殺されなかったのは,上皇だからです.
つまり,幕府はあくまでも朝廷の一機関という位置づけの組織なのです.将軍の位や官位など,幕府に関わる全ての武士の位置づけは幕府の要望や意向で行われても形の上では朝廷から任じられたものになっていました.
これは鎌倉幕府だけではなく続く室町幕府も,江戸幕府も全て同じです.つまり天皇や朝廷の権威を利用したのです.だから家来である将軍が天皇や上皇を殺などということはできなかったのです.
ゲンボー先生
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