玉川学園
有力な武士は沢山の人を使っていました.これらの人は下人(げにん)とか所従(しょじゅう)と呼ばれ財産の一つと考えられていました.この絵では米俵を運んでいたり野菜を運んでいますが,戦のときには兵として主人に従いました.
その横では多分この家の子供達が遊んでいます.いつの時代にも子供は遊びの天才です.
当時の子供の遊びをみてみましょう(慕帰絵より)
そのほか「こままわし」や現代のホッケーのようなあそび「ぎっちょう」も盛んに行われていたと言われています.
主屋と馬屋と厨にはさまれた広場で40坪ほどあります.子供達の遊ぶ声や働く人々の息づかいが聞こえてくるようです.