館蔵資料の紹介 2019年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2019年 > 春野七草考
北野鞠塢(秋芳)撰 鈴木蠣潭 他 画
木版墨摺 縦24.2×横17.0㎝ 1814(文化11)年
正月7日にセリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)という「春の七草」を食する「七草粥」は江戸時代に盛んになった。この風習のはじまりは、正月はじめての「子の日」に野山の若菜をつんで羹(熱い汁物)にして食べる遊びにあるという。
また、中国の古俗に1日から6日までは獣や家畜を占い、7日には人を占うことから7日を「人日」とし、この日に7種の菜を羹にする風習があった。このようなものが結びつくとともに、江戸幕府が正月7日を「人日の節句」と定めてから、「七草粥」は各地に広まった。
本資料は、1804(文化元)年向島寺島村に百花園(現在の向島百花園)をつくったことで知られる文人・本草家の北野鞠塢(1762〜1831)が、春の七草の由来や特徴を解説したものである。
開いた頁には、田平子(ホトケノザ)の若芽と花が咲いたときの図があり、本草書をふまえながら特徴について記されている。