館蔵資料の紹介 2018年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2018年 > 頼山陽筆蹟 一行書
紙本墨書 縦135.3×横28.7㎝ 掛軸装
1814(文化11)年
頼山陽(らいさんよう)(1780〜1832)は、本名襄(のぼる)、儒学者・思想家・歴史家・教育者・漢詩人と、さまざまな顔を持っていた。大坂に生まれ、父の仕官に伴い広島で育つ。頼家は元は商家であるが、学者を輩出した好学の家系で、山陽も早くから学問の道に入った。少年期から文才を発揮したものの、若くして精神状態が不安定になり、家督を継げず、1811(文化8)年に京都に拠点を移した。以後はそこで著述に励む傍ら、多くの文人たちと交わり、またしばしば旅に出て各地で交友を広めた。1827(文政10)年頃に完成した源平以降の武家興亡史である主著『日本外史』は、幕末期の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えた。
これは、山陽による「還従雲氣望蓬莱」との一行書で、雲気に従(よ)りて還り蓬莱(ほうらい)を望む、と読み下せようか。1814(文化11)年の春に、京都の仮住まいにおいてと書き添えている。蓬莱とは京都市街から遥かに望む近江の蓬莱山のことか、あるいは山陽は京都東山の眺めを大変愛したといわれ、それを仙人が住む伝説の島、蓬莱山に見立てたのかもしれない。