館蔵資料の紹介 2017年
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歌川国利 大判錦絵三枚続
縦36.0×横72.6cm 1886(明治19)年
学校教育における体操は、1872(明治5)年の学制発布で「体術」の教科が設けられ、翌年の「改正小学教則」で「体操」になって始まった。この錦絵は、小学校の校庭で体操をする子どもたちを描いた3枚組の錦絵である。
和洋折衷造りの校舎を背景に、手前は球竿(きゅうかん)という木製の体操器具を使って、柔軟性や姿勢を良くする運動を行う子どもたちが描かれている。その後ろには、亜鈴(あれい)というダンベル型の木製体操器具を持つ子どもたちがいる。亜鈴は運動にはずみをつけたり、球と球を合わせて音を出し、音のリズムに乗って体操したりするためのものであった。
よく見ると亜鈴を持つ子どもたちの中に混じって、棍棒(こんぼう)を持って運動をする子がいる。さらにその後ろには器具を使わない徒手(としゅ)体操、徒競走、豆を入れた袋を投げあう豆嚢(とうのう)体操、高い柱の上部の回転盤に4本の綱を取り付けた回転塔で運動をする子どもたちなども描かれている。当時の体操は健康や体力増強とともに、集団での規律性を高めることを目的に行われていた。