館蔵資料の紹介 2015年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2015年 > 元田永孚(もとだながざね)筆蹟
紙本墨書 掛軸装
縦29.2×横54.8cm 明治時代
元田永孚(1818‐1891、号は東野(とうや)・東皋(とうこう)など、名は「えいふ」とも読まれる)は、熊本藩出身の儒学者である。維新後の1871(明治4)年から宮内省に出仕し、侍読・侍講・侍補として終生明治天皇の側近にあって儒学を講じたほか、天皇の信任厚く、しばしば重要事項に対し意見を求められた。
永孚は、儒教道徳的価値観に立つ徳の高い天皇による親政の実現を目指した。また、明治初期の知識偏重型の教育に批判的で、儒教的道徳を教育の中心に据えることを主張した。こうした永孚の教育観は、彼の執筆による教学大旨や勅撰の修身書『幼学綱要』に示され、さらに起草に関与した教育勅語に見ることができる。 ある年の3月末に、宮中の庭での花見に従っていた際、天皇が親しく桜を一枝手折って、老齢の儒臣である永孚に賜った。本資料には、これを一族の誇りと感激して、永孚が詠んだ七言絶句の漢詩が2首記されている。なお、推敲の跡があり、詩稿であったと考えられる。