館蔵資料の紹介 2013年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2013年 > 吉田松陰像 絶命詩
1幅 玉手梅洲模写画 晩香(賛)
絵本著色 軸布装
明治(頃)
縦116.0×横32.0cm
日本人が敬意を払う教育者として吉田松陰(1830−1859)の名を挙げる人は多いだろう。今回は松陰に関する所蔵資料を紹介する。
松陰は安政の大獄により、安政6(1859)年に江戸に送られた。この肖像は、その松陰を弟子で画家の松浦松洞(しょうどう)(1837−1862)が描いた「吉田松陰自賛肖像」を、後に玉手梅洲(たまてばいしゅう)が模写したものである。この肖像では、羽織を纏い、脇差しを差した松陰が端正な面持ちで和本を捲(めく)る様子が描かれている。松洞の「吉田松陰自賛肖像」には松陰自身が賛文を書き入れているが、本資料では松陰の絶命詩「吾今爲國死 死不負君親 悠々天地事 鑑照在明神」(我いま国の為に死す 死して君親に背かず 悠々天地の事 鑑照明神在(かんしょうめいしんにあ)り)が書かれている。
また、右下に「松陰神社寶物」の文字もある。山口県萩市の松陰神社が県社の社格をもって創建されたのを明治40(1907)年とすると、この肖像が描かれたのは、それ以降のことではないかと推察される。