館蔵資料の紹介 2013年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2013年 > 荻生徂徠肖像(部分)
望旭楼主人(ぼうきょくろうしゅじん)画
絹本著色
181.3×54.2cm 軸装
江戸時代
荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666‐1728)は、江戸前期から中期にかけて活躍した儒学者である。徂徠は幼い頃から読書が好きで、徳川吉宗の侍医だった父方庵(ほうあん)の蔵書を読みふけったという。儒学は林春斎(しゅんさい)、林鳳岡(ほうこう)から学び、柳沢吉保に仕えた。吉保の隠退後は職を辞して、日本橋茅場町に園(けんえん)塾をひらき、多くの子弟を育てた。
塾の名から徂徠の門流を園学派という。徂徠の思想は徂徠学と呼ばれ、古文辞(こぶんじ)学の方法をもって先人の思想を追究した点に特徴がある。また、儒学の使命を性理の探求ではなく、民のための政治の根本思想をつくることにあるとした。
徂徠というと、古文辞学という学問から堅苦しいイメージをもたれているが、実際は自由人だったようである。学びの姿勢や態度にうるさかった江戸時代に、徂徠は腹ばいになって読書しながら学ぶのもよいと著書に書いている。塾では、「人に短所はつきもので、長所さえ知れば短所は知るにおよばず」として、問題のある若者も受け入れて指導したという。