館蔵資料の紹介 2013年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2013年 > 算法最上流(さんぽうさいじょうりゅう)元祖及門人図(がんそおよびもんじんず)
1幅
寛融画 佐久間庸軒賛 絹本著色
掛軸装
明治21(1888)年
縦119.2×横42.2cm
学者の集合像には、師の学問が正統的に継承されていることを示す意味もある。本図は、和算最上(さいじょう)流の師弟の肖像である。
一番上の会田安明(あいだやすあき)(1747−1817)は、出羽最上(もがみ)地方出身の算学者で、当時主流の関(せき)流算学に対し論争を挑み、その論戦は20年以上も続いた。その中で自ら算学の一流派を興し、出身地とベストの意味をかけて、最上流と称した。
次の渡辺一(かず)(1767−1839)は、会田の高弟で陸奥二本松藩士である。
3人目の佐久間朴斎(ぼくさい)(1786−1854)は、陸奥三春の出身で、渡辺に入門する。天保2(1831)年に自宅を稽古所とし、算学教育に当たった。
最後の佐久間庸軒(ようけん)(1819−1896)は朴斎の子で、同じく渡辺に入門し、さらにその後洋式数学も学んだ。万延元(1860)年に三春藩士となり、藩校講所(明徳堂)の教授役として算学を教えた。廃藩後は自宅に庸軒義塾を開いて教え、その門人は延べ1,500人にも達した。
作者の寛融(かんゆう)の経歴等は不詳であるが、三春周辺の在地の絵師かと思われる。