館蔵資料の紹介 2008年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2008年 > 登天台山図
石川丈山(じょうざん)作
紙本墨画
軸装
123.7×28.7cm
江戸時代初期
京都市左京区にある国の史跡詩仙堂(しせんどう)は、洛北の名所として多くの観光客でにぎわう。この建物を建てた人物が、江戸初期の文人で、漢詩・儒学・書画・茶道・庭園設計などの分野において才能を発揮した石川丈山(1583-1672)である。丈山は本名を重之、のちに凹(おう)、通称を嘉右衛門といい、石徴君(せきちょうくん)、六々山人、四明山人、凹凸窠(おうとつか)、東渓、詩仙堂など多数の号(ごう)をもつ。
三河国(愛知県)に生まれた丈山は、徳川家康に仕え、のちに京都に移って藤原惺窩(せいか)から儒学を学び、1641年比叡山西麓の一乗寺村に詩仙堂と称した居を構えた。
画面上部に書かれている題名や漢詩にある天台山・四明山とは、いずれも比叡山の別称で、天台宗ゆかりの霊山である中国の天台山・四明山に由来する。画中の牛に乗って山を登る人物は丈山自身であろう。丈山は大坂夏の陣でまっさきに敵将を討ち取って功をなすが、軍律では先陣争いを禁止していたために蟄居(ちっきょ)の身となった。この掛軸は、洛北に移り住んだ丈山の心境を絵と詩で表したもので、歴史的にも貴重な資料といえる。