館蔵資料の紹介 2008年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2008年 > 中沢道二像
水田探叔(みずたたんしゅく)画
絹本著色
軸装
80.0×29.2cm
寛政10(1798)年
中沢道二(1725−1803)は江戸中期の心学者である。京都の西陣織の家に生まれた道二は、41歳で家督をゆずり、仏教の教えを学んだのち、手島堵庵(てじまとあん)に入門して心学をおさめた。55歳の時に、堵庵の指示で江戸に行き、日本橋に心学を教える参前舎(さんぜんしゃ)を設立した。以来、活動は江戸を中心として関東一円におよび、中部や関西の諸国にも遊説を行っている。
心学は神・儒・仏の三教を融合させ、教旨を平易な言葉と通俗的なたとえで説いた学問である。その講話を「道話(どうわ)」というが、道二の道話は評判よく、松平定信をはじめとする諸侯も彼の道話を聞いたほどであった。人の道は主観的な心でありながら、客観的な規範でもあることを説き、笑いを交えて教えを語る手法を確立した。
この肖像画は道二73歳のときに水田探叔が描いたもので、「我身(わがみ)には つとめもせすに 人のみち 説(とい)てまわるは あふか ほんほん」という画に添えられた詩は道二の筆による。自分自身あまり努力しないでいるのに、人の道を教えているのはおかしなものであるという彼独特のユーモアあふれる内容である。