館蔵資料の紹介 2008年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2008年 > 白河楽翁(松平定信)筆蹟
紙本墨書
掛軸装
江戸時代後期
縦107.0×横29.3cm
松平定信(まつだいらさだのぶ 1758-1829)は、楽翁(らくおう)と号す。田安宗武の3男、8代将軍徳川吉宗の孫にあたるが、陸奥国(福島県)白河藩主松平家を継ぐ。白河楽翁の名は、これに因む。老中首座として断行した一連の幕政改革は、寛政の改革として知られる。文教面では、林家塾に対して朱子学以外の教授を禁止し(寛政異学の禁)、同塾を基礎に幕府の学校、昌平坂学問所を設立したほか、出版統制なども行った。定信本人は書画を能くし、学問に通じた教養人で、著書も多く、特に実例の調査と採図に基づいた事物の考証には、見るべき業績が多い。
本資料は和歌3行書で、下の句の一部の判読に疑問も残るが、「桜は(ば)な とてちりなくは(ば) のと(ど)けさの 春の 心を 何にみてにし」と読める。これは、散る桜の花に心を騒がせた在原業平(ありはらのなりひら)の歌「世中(よのなか)に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」(古今和歌集)を、本歌取りしたものと考えられる。