館蔵資料の紹介 2008年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2008年 > 八丈富士山頂祷雨図
江川坦庵(たんあん 太郎左衛門)作
紙本墨彩
軸装
105.0×42.6cm
弘化年間
八丈島の北西部を占める八丈富士(西山)は、標高854.3メートルの火山である。約1万年前から幾たびかの噴火を繰り返し、山頂部が井戸状を呈した複式休火山となった。この絵には江戸後期の雄大な八丈富士の風景が、薄墨を駆使して描かれている。
作者江川坦庵(享和元-安政2年、1801-55)は、名を英龍(ひでたつ)といい、坦庵は号である。江川家は代々韮山の代官で、坦庵は天保6(1835)年に代官職を継ぎ、太郎左衛門と称した。海防強化を唱えた坦庵は西洋砲術を学んで、幕府砲術師範になった。また韮山に塾を開き、多くの人材を輩出するとともに、反射炉を築造して砲の鋳造にも尽力した人として知られている。坦庵は学問を佐藤一斎(いっさい)、書を市河米庵(べいあん)、詩を大窪詩仏(しぶつ)、絵を大国士豊(しほう)、谷文晁(ぶんちょう)に学ぶなど、当時最高の教育を受けた。画題にある「山頂祷雨」とは、「山頂で雨を祈る」こと、つまり山頂での雨乞いの意味である。画面を見ると山頂部に赤い炎が描かれているが、これは山頂で火を焚き、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らして大騒ぎをする雨乞いの儀式のものである。