館蔵資料の紹介 2008年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2008年 > 子供遊 春の出初
一登斎(歌川)芳綱
大判錦絵3枚続
36.3×74.4cm
嘉永5(1852)年
新春恒例の消防出初(でぞめ)式のはじまりは、4代将軍家綱の時代にさかのぼる。明暦3(1657)年の大火の後、万治2(1659)年1月4日、老中稲葉伊予守正則が、定火消(じょうひけし)4隊を率いて、上野東照宮前で出初(でぞめ)を行って気勢をあげた。また享保年間に設置された「いろは48組」と本所・深川の16組を合わせた64組の町火消も、定火消と同様に出初(町火消の場合初出といった)を行い、木遣(きやり)歌や梯子(はしご)乗りを各町内で披露した。
図の錦絵には、江戸の町を鳥瞰した構図に、出初のための纏(まとい)・梯子・鳶口(とびくち)をもち、火消装束(しょうぞく)の子どもたちの列が巧妙に配されている。「子供遊(こどもあそび)」と題する錦絵は幕末から明治にかけて多くつくられ、内容的には純粋に子どもの遊びをテーマとしたもの、子どもの遊びをもとに時世を風刺したもの、大人の風俗を子どもに置き換えた遊び絵などに分けられる。この錦絵はどちらかというと大人の出初を子どもの姿で描いた遊び絵と考えられる。作者芳綱は歌川国芳の門人で、武者絵、風俗画を得意とした浮世絵師である。