館蔵資料の紹介 2006年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2006年 > 古賀精里筆蹟
絹本墨書
掛軸装
享和3(1803)年8月
縦141.2×横31.5cm
古賀精里(こがせいり 1750-1817)は、江戸後期の佐賀藩儒で、本名は樸(すなお)。藩校弘道館で教えたが、後に幕府の命で江戸に出、昌平坂学問所の教授となった。松平定信による寛政の改革を、学問の面から支えた1人で、同時期の尾藤二洲(びとうじしゅう)、柴野栗山(しばのりつざん)とともに、寛政の三博士と賞された朱子学者であった。
これは、唐の李紳(りしん)作の『憫農詩』を書いたもので「耡禾日當午 汗滴禾下圡 誰知盤中飧 粒々皆辛苦」とある。田を耕すうちに太陽は中天に達し、噴き出す汗が作物の下の土に滴り落ちる。器に盛られた夕餉の一粒一粒が、皆その苦労の結晶であることを誰が知り得ようか、というのがその大意で、粒々辛苦という故事成語はここから生まれた。日々の糧食と、その作り手への感謝の念を吟じたものといえよう。食べ物が豊富な現代において、近年「食育」の重要性が指摘されているが、そこではこの詩の意味するところも、肝に銘ずべきであろう。