館蔵資料の紹介 2004年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2004年 > 佐藤一斎添削作文稿 佗山之石可以為錯
石井修次郎(頼水?)筆
縦 28.7×横 38.9 cm 2枚
1839(天保10)年頃?
これは、江戸幕府の学校である昌平坂学問所の用箋に書かれた『詩経』の一節、「佗山の石も以て錯と為る可きならん(たざんのいしももってさくとなるべきならん)」の解釈を論じた文章で、後日になされた欄外の書き込みによると、学問所で出された課題作文で、文中の朱筆による添削は、林大学頭家の家塾塾頭を経て、晩年に昌平坂学問所の儒官となった学者、佐藤一斎(さとういっさい)(1772-1859)の手によるものという。
文章の作者であるが、駿河田中(現・静岡県藤枝)藩主本多豊前守の家臣で、昌平坂学問所に学んだ石井姓の人物には、後に藩校日知館(にっちかん)の助教を務めた折衷(せっちゅう)学派の儒者、石井頼水(いしいらいすい)(1820-1892)がいる。彼には修吉の通称があり、署名の主である石井修次郎と同一人物の可能性が高い。この文章は筆者数え年20歳のときのもので、頼水作とすると1839(天保10)年頃に執筆されたことになる。この年一斎は幕府儒官就任直前の68歳で、「添刪(てんさく)ハ佐藤一斎翁ナリ」の書き込みとも大きな矛盾はない。