館蔵資料の紹介 2003年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2003年 > 芝蘭堂新元会図
市川岳山画 大槻玄沢他賛
石版墨塗刷 軸装 118.8×112.9cm
福井信敏版
明治
太陽暦による最初の元旦を祝う宴が、京橋水谷町の蘭学塾芝蘭堂にて催された。参会者は、そうそうたる顔ぶれだ。芝蘭堂の主人で蘭学を広めた大槻玄沢。16歳で玄沢とともに杉田玄白の門に入り、玄白の養子となった杉田伯元(はくげん)。玄沢や玄白らに師事し、オランダ流の内科を興した宇田川玄随。玄白らと『解体新書』翻訳社中に当初から参加し、「天性穎敏(えいびん)逸群の才」と評された桂川甫周(ほしゅう)。甫周の弟で『蛮語箋(ばんごせん)』を著した森島中良(ちゅうりょう)。床の間の前中央で、ロシア文字が書かれた一枚の紙を手にしている、この宴席の特別ゲスト・大黒屋光太夫。玄沢の師匠である前野良沢。わが国最初の蘭日辞書『波留麻和解(ハルマわげ)』を刊行した稲村三伯。銅板画の洋風画表現に成功した司馬江漢。そして、この図の画師・市川岳山。彼らの肖像が個性豊かに描かれている。本来、『芝蘭堂会盟之宴・西洋元日』と呼ばれていたが、1873(明治6)年に大槻磐渓により『芝蘭堂新元会図』と改称された。
※本図の原画は、早稲田大学図書館が所蔵しており、上記当館所蔵のものは、明治時代に製作された石版印刷による複製である。