館蔵資料の紹介 2001年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2001年 > 千字文絵抄(せんじもんえしょう)
『千字文繪抄』大菱屋嘉右衛門梓
天保6(1835)年5月
22.5×15.9×0.9cm
千字文(せんじもん)は6世紀前半、中国六朝時代の梁(りょう)の名文家周興嗣(しゅうこうし)が、武帝の勅命を受けて編んだものと伝えられている。その際、1枚の紙に1字写し取った王羲之(おうぎし)の書1,000枚を、周興嗣が韻を踏み、なおかつ意味が通じるように一晩で並べ替えたとの伝説もある。
古事記には、第15代応神天皇のとき、百済(くだら)人で西文首(かわちのふみのおびと)の祖、和邇吉師(わにきし)が来日した折に、論語10巻と共に千字文1巻を朝廷に貢進したとある(日本書紀では王仁(わに)来朝は応神天皇16年2月)。しかし、記紀の記述をそのまま事実として受け入れることはできない。とくに日本書紀の年代を単純に西暦換算すると、千字文伝来は3世紀の末葉になるが、その頃にはまだ千字文自体が成立していない。また千字文請来の記事に登場する人物の活動時期の記述に、記紀と朝鮮半島や中国の史書との間で矛盾する点がある。このように千字文や論語(に代表される儒教)の日本伝来の記事は、年代の面では伝承の域を出ず、学説も一致した見解にはいたっていない。一方、これらを請来したのが朝鮮半島から渡来した、朝廷の記録文書の作成管理に携わった渡来系氏族の祖先とする点は、うなずけるものがある。
千字文は、「天地玄黄」から「焉哉乎也」まで、4字で1句としたもの250句で構成されている。1字の重複もなく合計1,000字になるため、千字文という。初学者が経書を学ぶ前に、まず漢字を習うテキストとして古代から採用され、江戸時代の寺子屋でも盛んに用いられた。周興嗣撰の本来もの以外に、後にこのスタイルを借りた『○○千字文』というものが編纂・使用されるなど、千字文は幼学書の代表格としての位置を占めている。
今回取り上げた『千字文繪抄(えしょう)』は、江戸時代に出された千字文の刊本の一つで、1字ずつその音訓と意味を附し、上部に字句を説明する図や語釈・短い歴史物語を加えている。また楷書だけでなく、篆(てん)・隷(れい)・草などの書体でも記し、辞・字典としても使用できるように工夫されている。しかしこのようなアレンジを施した者が誰なのかは、残念ながら不詳である。
なお本資料は正確には玉川大学図書館の蔵書であるが、教育博物館で常設展示しているため、本欄で取り上げることとした。