館蔵資料の紹介 2001年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2001年 > ジョン万次郎と『英米対話捷径』
知彼堂蔵版『英米対話捷径』
和綴 38丁 1冊
15.3×11.0 cm
2001年は、日米開国の立役者ジョン・万次郎、日本名・中浜万次郎(1827-98)が14歳の春、天保12(1841)年に土佐の宇佐浦から漁に出て、海上で遭難し漂流して160年。また、沖縄糸満の摩文仁の浜に帰国して150年という記念すべき年である。
この間、さまざまな人が万次郎から直接話を聞き、彼の事跡について研究をし、文章に残した。また、万次郎の子孫と、彼を救助したホイットフィールド船長の子孫とのあいだで、5代にわたって親密な交流が続いているという。万次郎は「草の根」レベルでの日米友好のシンボルとして、日米交渉史の中では高く評価されている。
当館には万次郎が作った木版刷り、日本最初の英会話書『英米対話捷径』が収蔵されている。見返し右には、中浜万次郎訳と書いてある。訳といっても別に原本があるわけではなく、万次郎が作った英会話文に、彼自身が片仮名の発音と平仮名の訳文をつけたのでる。見返し中央に『英米対話捷径』と本の題名が記され、左上には、上梓が安政己未(つちのとひつじ)晩秋と書いてある。
安政6(1859)年のことで、その前年の安政5(1858)年には、日米修好通商条約が締結され、幕府は長崎など5港を開き、やがて条約批准書交換のため、日本の遣米使節団が渡米する運びとなり、英会話の必要性が生じてきた。日本における外国語が、オランダ語から英語へ移行する時期である。
この本には二つの版元があるが、当館の資料は知彼堂蔵版で、当時のベストセラーであったようである。
この本の特徴は、1)英語の発音を片仮名で書いたものであること。2)耳から入った英語であること。3)訳が返り点になっていること。構成は、アルファベットの紹介から始め、次いでおなじみの「ABCの歌」が載っている。英会話の本題に入り、安否類・時候類・雑話類・往来音信類の4項目にわたって書かれている。
生きた英語、相手に通じる本場の英語というわけで、西周、中村敬宇、福沢諭吉、大鳥圭介、尺振八、蓑作鱗祥、榎本武揚ら、当時の第一級の蘭学者たちが、万次郎に就いて英語を学んでいる。万次郎に教育された人たちが、明治維新以後、さらに日本の英語教育の中心として活躍するのである。