館蔵資料の紹介 2001年
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絵馬
53.6×33.4cm
長野県小諸地方にて採集
神仏への願いごとは、試験の合格や、家内安全、病気平癒(へいゆ)、良縁、安産、商売繁盛といったことであろう。そのほか禁酒や浮気封じもあるかもしれないし、ネガティブなものとして他人を呪うものも、目立たないが存在するはずである。こうした祈願の内容を神仏にアピールするためによく用いるのが絵馬であり、願いごとを書き記したものが、社寺の境内にたくさんぶら下げてある光景を、よく目にする。
そもそもは、神仏に願いごとをする場合の供え物として、あるいは、心願成就のお礼の奉納品として、生きた馬を用いていた。しかし馬を納めるのは無理という者が、代用品として馬の絵を板などに描いたものを献じたのが、絵馬の起源である。絵馬の歴史は古く、最古のものは平城京跡の左京二条三坊にあった藤原麻呂邸の門前、二条大路に面した溝の発掘をした際に出土した天平9(737)年頃に制作されたものである。
室町時代頃になると、絵馬の図柄に神仏図や風景図、風俗図、歌仙絵など、馬以外のものも採用されるようになる。また、大絵馬とよばれる、プロの絵師に描かせた大ぶりの、奉納することを主目的としたものと、民俗信仰と結びついて、奉納者自身あるいは名もない職人の手で作られた、願いごとに用いる小絵馬とに分かれてくる。
今日、我々が神社仏閣で目にする絵馬は、ほとんどがプリントによる大量生産品で、小絵馬に分類されるものである。
本資料は歌仙絵の絵馬で、平安美人の姿が色鮮やかに描かれ、額面右上方に「花の色は・・・」の歌が書かれていることから、像の主は小野小町であることがわかる。長野県小諸地方で採集されたもので、制作年代推定の決め手を欠くが、額を組み立てるのに洋釘を使用していることから、さほど古いものではないように思われる。
本例は、大絵馬といえるほど立派なものではないが、普通の小絵馬よりはずっと大きく、画題も歌仙であることなどから、個人的な願いごとのためだけでなく、他の参拝者が鑑賞することも相当程度意識して作られた、見せるための絵馬であると、考えることができよう。