館蔵資料の紹介 2001年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2001年 > 石棒
神奈川県相模原市磯部採取
縄文時代中期
現存長39.0×頭部径9.0cm
石棒(せきぼう)とは、縄文時代中期以降に何らかの祭祀目的で製作・使用されたと考えられている石器で、その形態は、男性器を彷彿とさせる。本例は縄文時代中期のものと推定され、まるい棒状の軸部と半球形の頭部を一体として形作り、表面を丁寧に磨いて仕上げている。現存長は39cmであるが、軸下部が折損しているため、本来はさらに長いものであったと思われる。本資料は、発掘調査によって発見されたものではないため、残念ながらどのような状態で土中にあったかは不明である。しかし遺跡からの石棒の出土例を見ると、住居跡の特定の位置から見つかったり、屋外の配石遺構に立てられた状態で発見されることがしばしばある。石棒は生業に直接関わる道具ではなく、何らかの呪術祭祀に用いられていた可能性が高いと考えられるのは、その形態と並んで、特定の場所における特殊な出土状況を示すことが多いからである。では、その祭祀とは、果たしていかなるものであったのであろうか。
縄文時代の呪具の代表格である土偶は、基本的に女性像で、生産・豊穣に関わるような「女性」的な祭祀に用いられたと推定される。これに対し男根を象(かたど)る石棒による祭祀は、エネルギッシュな活力や、その再生を求める勇壮な「男性」的なものであった可能性が高いと推定することができる。
石棒の中には長さ1mを越える大きなものもあるが、時期がくだるに従い、次第に小型化・精緻化する傾向がみられる。そして形態も多様化し、中には本来の石棒からかけ離れた姿にまで変化したものもある。これは、石棒の機能自体が次第に変化・分化していったことを示すものであろう。
現在でも、各地の祭礼や年中行事で男性器を強調した呪具を用いたり、人形を製作したりする例が見られる。また、夫婦岩や子宝石といわれるような男根や女陰に似た巨石を特別視したり、そのようなものを敢えて作り出したりすることもある。安易に系統関係を論ずるのは慎むべきではあるが、こうした性器崇拝ともいうべきものの起源は、縄文時代の石棒祭祀にまで遡る可能性も考えられる。