館蔵資料の紹介 2001年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2001年 > 二宮金次郎像
作者不明
ブロンズ
47.0×40.0×98.0cm
製作年昭和(不詳)
相模国栢山(現、小田原市)に生まれた二宮尊徳は通称を金次郎、実名を尊徳(たかのり)、後人はソントクと呼ぶ。江戸時代末期の農村振興指導者として世に知られたのは、報徳運動よりも、薪を背負い読書に励む少年時代の二宮金次郎像であったともいえる。
本館には石像とブロンズ像を収蔵し、本号で紹介する少年時代の二宮金次郎像は左手に書物を持ち、そこには「一家仁一國興仁 一家讓一國興讓 一人貧戻一國作乱其機如此」(一家仁なれば一國仁に興り、一家讓あれば一団讓に興る・・・云々)の文字が彫られている。
像の原型は、明治24(1891)年に幸田露伴が日夜勤労と勉学に精進した日々の生活を、薪を背負い読書しながら歩む姿で表現し、創作したとされる。日本ではじめて小学校に像が建てられたのは大正13(1924)年、愛知県宝飯郡前芝村(現、豊橋市)の前芝尋常高等小学校といわれ、少年時代に両親を失い家業を助けながら勉学に励み、勤勉・向上に努めたイメージを修身教育で行う必要性から、その後全国の小学校に、校内でも一番児童の目に触れる場所に建てられた。
しかし二宮金次郎像も第二次世界大戦が激しさを増すと、金属資源として供出され、その姿はほとんど消えた。また終戦直後に修身教育の授業停止により教科書から二宮尊徳も教材としては姿を消した。
〔参考文献〕國史大辞典 吉川弘文館発行