玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 2000年

玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2000年 > 手島堵庵筆「戰戰兢兢」

手島堵庵筆「戦々恐々」

手島堵庵筆「戰戰兢兢」

紙本墨書
江戸中期
86cm×27cm


この文の出典は『詩経』で、時世は不明であるが、朝廷に仕える者が不当なる権力の前でのおののきをうたったものとされている。

戰戰兢兢  戦戦兢兢として
如臨深淵  深淵に臨むがごとく
如履薄氷  薄氷を履むがごとく

「人はいつも身を慎まなければならない。深い淵を臨めば落ちないようにするし、薄い氷を踏んで歩く時には気をつけるように」という意味である。

作者手島堵庵(てしまとあん)(1718-86)は江戸中期の心学者で、名は信、堵庵は号である。京都の商家に生まれ、18歳で石田梅岩(いしだばいがん)について心学を修め、44歳の時に家督を嫡男に譲り、心学の研究と普及に専念した。堵庵は人間の本質を、天から等しく与えられた「性」に求め、その存養を教化理念の柱にした点では梅岩の考えを継いでいる。しかし梅岩がもっていた社会批判の側面よりも精神修養を中心に考えた点が異なる。そのことで、梅岩のように権力者との間で摩擦を起こすことなく、広く民衆にその教えが受け入れられるようになった。さらに文字が苦手な人のために短い文言や絵を入れた刷り物を配ったり、子どもたちのために『新実語教』や『男子前訓』『女子前訓』などを編述するなどして、社会各層に教えを広める工夫も行っている。「戰戰兢兢」という書は、自己批判を精神修養に強く求めた堵庵の考えをよくあらわしている言葉と言えよう。

「全人」2000年12月号(No.630)より

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