玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1998年

玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1998年 > 「中江藤樹画像」-万世の師の風格

中江藤樹画像

中江藤樹画像

中江藤樹画像(模写)
梅戸在貞画
高瀬武次郎讃
紙本着色
縦131.5×横52.0cm


中江藤樹は、1608年琵琶湖の西岸、比良ヶ嶽が近く、その影を鏡のような湖面に映している小川村に生まれました。名は原、字は惟命(これなが)、通称与右衛門、号は顧軒(こけん)。自宅の藤の木にちなみ門人からは藤樹先生と呼ばれました。藤樹の屋敷の前には、今でも清く美しい小川が流れ、村人たちが飼う緋鯉は、藤樹書院を訪ねる人たちの眼を楽しませてくれます。

藤樹26歳の元旦に詠んだ次の詩が遺されています。

羇旅(きりょ) 春に逢うて 遠く哀しむに耐へたり
緡蛮(めんばん)たる黄鳥(おうちょう) 斯(こ)の梅に止まる
樹静かならんと欲して風止まず
来者追うべし 帰りなんいざ

この詩の意味は「遠く旅先で正月を迎えて故郷のことがさびしく思いやられる。春を告げて楽しそうに鳴く鶯も小枝をさがしてとまるのに、自分はこれでよいのだろうか。樹は静かになろうとしても風は止まらない。親だっていつまでも待ってくれるものではない。過ぎ去ったことはさておいて、さあ母のもとへ帰ろう」というものです。藤樹は一人暮らしの母親のために孝行が何より大事と、大洲藩を脱藩して故郷の小川村に帰ってきました。そこで酒などを商ってお金を貯め「藤樹書院」という私塾を開きます。門弟には熊沢蕃山や中川権左衛らがいます。なかでも感動的なのは、鈍物ながら医者を志して入門した大野了佐に対する教育愛です。愚鈍な弟子のために書き与えたといわれる『捷径医筌(しょけいいせん)』という教科書が『藤樹先生全集』第四巻に収められています。当館の「中江藤樹画像」は、裃(かみしも)姿で端然と坐り、貌はやさしく和み、その視線は温かく人を見、思いやりのある言動と相手の話をよく聴く大きな耳が特徴的です。本図は、藤樹書院所蔵の原図をもとに梅戸在貞が模写したもので、讃は陽明学者の高瀬武次郎の書です。

「全人」1998年12月号(No.606)より

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