玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1998年

玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1998年 > 梁田先生をモデルとした映画「音楽教師」

梁田先生をモデルとした映画「音楽教師」

原資料 監督 今泉善珠、16ミリ映画、50分
昭和36年東映株式会社制作(VHSビデオで所蔵)
文部省選定、東京都教育委員会準特選、第7回教育映画コンクール銀賞受賞

「玉川の秋’98」の展示計画の過程で、玉川学園創立時の先生のお一人である梁田貞先生をモデルにした「音楽教師」という映画のことが、先生の愛弟子奥田良三先生(成城学園卒、玉川学園創立時の音楽の先生)の自伝『こころ、祈り、歌、わが人生』(芸術現代社)に記されているのを目にしました。過日、東映株式会社教育映像部にお願いをしてこの映画を見せて頂きました。多少の色あせや傷はありますが十分鑑賞に耐えられるものでした。

梁田先生は、明治45年に東京音楽学校を卒業、大正元年に東京府立第一中学(現在の日比谷高校)嘱託に就任されます。当時の中学校は、音楽が正課になったばかりで、実際に授業が行われていたのは半数くらいだったようです。先生と小原國芳先生との出会いは、成城尋常小学校(後の成城学園)で真篠俊雄先生が留学される後任として真篠先生に紹介された時で、以来、お二人の絶対の信頼関係が始まります。

梁田先生の音楽学校時代の同期には、小原先生が広島高師に勤められた頃の同僚山本寿先生や中山晋平先生がおります。

梁田先生は、経済的には恵まれたであろう歌謡曲の作曲者に誘われながらも、真の音楽の喜びを若い人々に伝える音楽教師を、また、当時、学校音楽の主流にあった西洋音楽亜流ではない日本の子供たちの歌の作曲の道を選ばれます。

先生は、玉川、成城など6、7校の講師を勤めておられましたが、時間の関係でしょうか映画の舞台は府立第一中学校にしぼられています。綿密な調査が行われており、小原先生が話され、学園で語り継がれているエピソードも多数盛り込まれております。学園は出てきませんが、先生の教育思想と生き方を伝える資料、その時代を学ぶ資料の一つとして、東映から特別の配慮を頂きビデオテープで収蔵、「玉川の秋’98」 の玉川学園の音楽教育の変遷をたどる展示の視聴覚資料展示コーナーで上映しました。

なお、梁田先生と玉川学園との繋がりを示すものとして、玉川大学出版部刊の『梁田貞名曲集』のほか、卒業生の協力によって城ケ島に建てられた「城ケ島の雨」の楽譜の冒頭が刻まれた碑や先生の郷里札幌に建てられた胸像があります。

「全人」1998年11月号(No.605)より

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