館蔵資料の紹介 1998年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1998年 > 軟玉製垂飾
この軟玉製垂飾(なんぎょくせいすいしょく)は、東京都町田市玉川学園構内にある本部台(ほんぶだい)遺跡を発掘調査した際、竪穴住居跡(六号住居祉)の床の上から見つかったもので、一緒に出土した土器から、縄文時代中期中葉・勝坂式の末期段階(約四千数百年前)のものと考えられる。若干茶色味を帯びた暗灰色で大理石のような文様をもつ軟玉質の石材を、丁寧に磨いて作られている。半分に折れているが、本来は切れ込みのある輪の形(C字形)をしていたものであろう。現存長4.3cm、完存していれば4.2cm程の幅があったものと推定される。厚さは2.5mmと薄い作りで、断面はレンズ状をしている。先端は切り込みを入れ、頭が3つになるように作られているが、そのうちの1つを欠いている。2カ所に孔が開けられており、外縁に接するものは片面から、中央の破断面にかかるものは両面から、摺鉢(すりばち)状に開けられている。
この資料は、玦状耳飾(けつじょうみみかざり)(古代中国の玦というC字形玉器に似た形の耳飾りで、耳たぶに開けた孔に通して装着する)の一種とも思われる。しかし勝坂式期の玦状耳飾の一般的な形態とは異なっており、当初からこの形に作られたのか、通常の玦状耳飾をさらに加工したものかは不明である。類例も見当たらないことから、用途は耳飾りとするよりも、むしろ孔に紐を通して垂れ飾り(ベンダント)として使用したのではないかと考えられるのである。いずれにしろ特殊な存在であったことは間違いない。
この垂飾は半分に折れているが、発掘調査した範囲内からは欠けたもう一方は発見されなかった。折れた状態で垂れ飾りとしていたとも考えられるが、廃棄ないし遺棄する段階で折りとって、一方を別の場所に運び去った可能性も否定できない。意図的に完全な形のものを壊したのであれば、呪術的意味合いなど、その理由について考える必要があろう。