玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1998年

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算盤

算盤

(上)教授用算盤 縦33.0×横112.0cm
(左下)尋常小学算術教科書
(右下)「珠算一」で上球1個下球4個の算盤が使用された


算盤(そろばん)が日本へ伝来したのは、中国(明)と交易に携わっていた商人によって室町時代に港町である長崎や堺へ伝えられたと考えられている。

全国に算盤が普及した要因は、江戸中期から幕末にかけて庶民が日々の生活や生産を営んでいく必要性から発達した寺子屋や私塾の教育で「読み」「書き」「算盤」が重要視され、商人のあいだにも広く普及したことによる。当時は1桁の数を合計して15になるように上球2個(1個を5と計算)下球5個(1個を1と計算)が明治初期まで使用された。その後は昭和初期まで上球1個下球5個が主流であった。本館の所蔵している算盤は上球1個下球5個と下球4個の2種、特別珍しいものではないが、教室で算盤の指導に使用された大型の教授用と、児童や商人が明治から昭和にかけて使用したものである。

現在一般化している上球1個下球4個の算盤は、本館所蔵の教科書を見るかぎり国定4期(昭和8-15年)の教科書「尋常小学算術」第4学年児童書下(昭和13年文部省発行)で加減の計算を算盤で指導することが義務付けられ、1桁の数が1から9までを表せばよい上球1個下球4個の算盤を使用させたことを機に普及したと思われる。しかし明治28年(1895)西川秀二郎が上球1個下球4個の必要性を説いて論争が展開されており、明治中期に現れたことも考えられ特定はできない。

日本をはじめ、中国・南北朝鮮や東南アジアの諸国で計算用の器具として使用されていたが、1970年以降はLSI(大規模集横回路)を使った電卓が急速に普及し、ほとんど算盤を見かけなくなったことは残念である。

参考文献 「国史大辞典」吉川弘文館発行 他

「全人」1998年7月号(No.601)より

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