館蔵資料の紹介 1998年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1998年 > 菅原道真と天神信仰
束帯天神像(綱座)
江戸後期
木版彩色
藤岡屋板
縦43.8×横16.0cm
澤柳政太郎先生は、ロンドン大学での講演『我国の教育』(明治43年)の中で「日本の神は古の偉人である。日本全国到る所に天満宮という神がある。或は天満像という。この神は今より千年ばかり前の人で、学者にして時の大臣たりし菅原道真公を祭ったものである。この神は日本に於いて学問の神として信ぜられて居る。この学問の神が日本到る所に崇拝せられるのは、日本人が学問を重んずる精神より出たものと見てよかろう」と述べておられる。
確かに全国に八万社以上ある神社のなかで、もっとも数が多いのは八幡さん、それに次ぐのがお稲荷さんと天神さんといわれている。ざっと数えても一万社近くあるという。江戸時代、寺子屋に祀られたご神像は、ほとんど天神さまである。手習いに行く子供たちは、まず天神さまを拝んで、読み、書き、算盤の上達を祈願した。天神さまは、今日においても「通りゃんせ、通りゃんせここはどこの細道じゃ。天神さまの細道じゃ」という童うたや受験のさいの合格祈願、全国各地の天神祭りや浄瑠璃や歌舞伎等の菅原道真の事蹟を主題とした天神記物によって広く人々に親しまれている。ここに掲げた天神像は、数ある天神像のなかでも、衣冠束帯の綱敷(つなしき)像の一種である。菅原道真が筑紫下向の途中、上陸地に休息の家もないので、帆綱を巻いて円座としたという伝説にもとづくものである。栄枯の人菅原道真は「生涯 定れる地(ところ)なし 運命 皇天に在り」で始まる詩文「叙事一百韻」のなかで「分(ぶん)は知りぬ 糾纒(きうてん)にあざなはれて交ることを」と、人間の分は禍福あざなえる縄のようなものであると述べている。この天神像は、左下の「改印」をみると、江戸後期安改元年以降のもので、版元は、山形にやの字が家標の藤岡屋慶次郎のものである。
天神像には綱敷像、渡唐像や上畳(あげたたみ)像、束帯立像、絵巻や版画等があり、当館には20点ほど収蔵されている。