館蔵資料の紹介 1998年
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『蒲刈誌』3巻
蘭嶋道人平煥自筆稿本
文化12(1815)年
23.7×16.5cm
広島駅から海岸線を走るJR呉線に乗り、三原方面へ50分ほど行くと仁方という駅に着く。仁方駅から海岸を目指して南に10分ほど歩くと仁方桟橋があり、ここからは2つの大きな島影が重なるような形で眼前に見える。この2つの島は仁方から約4kmの沖合にあり、東が上蒲刈島、西は下蒲刈島と言う。この地は古くから瀬戸内海の海上交通の要衝であり、江戸時代には西国大名の参勤交代や朝鮮通信使などの寄港地として利用された。下蒲刈島には福島正則が築いたと言われている長雁木(がんぎ)(石の階段がある桟橋)、御本陣跡、御番所跡、朝鮮通信使宿館跡などの史跡がある。
今回紹介する資料は蘭嶋道人平煥という人物が蒲刈島の動植物を中心に歴史、地理、民俗、伝承などをまとめた自筆の稿本である。序文によると文化6(1809)年に一度書き上げたが、満足できるものではなかったので、これを改訂し、さらに新しく後編を加え、両方を一つにまとめたとしている。完成したのは文化12(1815)年のことである。
内容は巻一が「序文」「凡例」、そして「総志」「蒲刈名義」という蒲刈島に関する地誌にはじまり、次いで三之瀬町(下蒲刈島)の歴史、民俗、動植物類、漁法などを詳細に図入りで示している。特に漁法、漁労具、魚介類、海草などにかなりの分量を割いている。巻二は一と同じく下蒲刈島の丸屋、下島、見戸代地区および下蒲刈島の南方に位置する笹島(上黒島、下黒島)について書いている。巻三は上蒲刈島の向浦、田戸浦、宮盛、大浦地区の地誌、産物を中心にまとめ、最後に礼儀と孝行についての話、記載できなかった諸物の目録および両島の地図が付けられている。
この本を書いた蘭嶋道人平煥がどのような人物であるかは今までのところ不明であるが、本草(ほんそう)学(動植物、鉱物などを実証的に研究する学問)に造詣が深く、高い学識を持っていた人物であることは内容から判断できる。
また、本書の特徴をあげれば、一つには、本草だけに限らず地誌、歴史、民俗なども含めてまとめている点にあるだろう。図も多く取り入れているため、江戸時代の島の風土をより克明に知ることができる。もう一つの特徴は著者が序文で述べているように、子どもが本草学を理解する一助になるように書かれている点にある。著者が教育にたずさわっていたのかはわからないが、文中のむずかしい用語などには解説をつけ、かなり読みやすくすることを心がけているのが興味深い。しかしこの稿本は刊行されていないため、人々の目に触れることがなかったのが残念である。