館蔵資料の紹介 1997年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1997年 > 日本語教授書 -麗しの島 台湾の初めての日本語テキスト-
『日本語教授書』表紙(左)と奥付(右)
明治28年11月台湾総督府民政局学務部発行
18.9×12.9cm
また一つアジアに新しい風が吹き出している。台湾において、中学教科書が大陸偏重から台湾本位に転換され、日本統治を指す用語が「日本の占領(日拠)」から「日本の統治(日治)」と改められた。当時の台湾総督府が進めた日本語普及策については、「台湾人は終始日本語を外国語とみなし、日本語を話すことで同化はなされなかった。だが、日本語は台湾人が現代知識を吸収する主な手段となり、台湾社会の現代化を促進した」と肯定的な記述に変わっている。そして年輩の方々を中心に美しい日本語を残そうという「友愛グループ」まで結成していると外電は伝えている。その台湾における最初の日本語テキストが、当博物館収蔵の外地教科書コレクションに完全な形で所在している。この『日本語教授書』は、明治28(1895)年発行だから、下関条約に基づく日本の台湾統治がはじまった年である。その年の6月、台湾にあっては明治、大正期の教育の面で明治文化の宝石のような人物伊沢修二(1851-1917)が、初代台湾府学務部長心得となり、7月台北の北郊の芝山巌という一丘陵に芝山巌学堂という小学校をたて、6人の学務部員を教師に台湾における教育を開始した。が、翌年1月1日に伊沢が帰京中に、「土匪」と呼ばれる盗賊に6人の教師は皆殺しにされた。本書はこの芝山巌学堂における教案を基礎として、古体漢文を解し得る青年を標準として撰修されたもので、無論、編纂者は「殉死」した六氏先生で、その中には長州(山口県)人で、維新の志士久坂玄瑞の甥の楫取道明がいた。本書は仮綴洋装本で柿色だが、一千部印刷して各地方に配ったといわれる。内容は「語学初歩」「日本文法」「字音変化」の三部からなる。
本書について台湾の日本語教育の第一人者といわれる台湾東呉大学外国語学院長蔡茂豊先生は、「この本は台湾における日本語教育の始めてのテキストであり、貴重な存在だが、今のところ見る影もなく、願わくば台湾のどこかにこの本が所蔵されていることを祈って止まない」(『中国人に対する日本語教育の史的研究』)とある。