館蔵資料の紹介 1997年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1997年 > 注口付深鉢(ちゅうこうつきふかばち)
縄文土器の中には、土瓶や急須のように管状の注ぎ口の付いたものがあり、主に後・晩期に作られ、注口土器と呼ばれる。精巧な作りのものが多いことから、祭のような特別な場合に、酒などを酌み交わしたりするのに用いられたものと推定されている。
ここで紹介する資料は、東京都町田市常盤町の常盤台(ときわだい)遺跡から耕作中に発見・採集されたもので、縄文時代中期中葉の勝坂3式に比定される。先に述べた典型的な注口土器よりも時期的に古いもので、現在筆者の知る限りでは、この時期における唯一の例である。そのため通常の注口土器と区別する意味で、標題のように名称を注口付深鉢としている。
器形は頸部がくびれるキャリパー形を呈した深鉢で、内彎(わん)する口縁部に2つの突起があり、胴部は粘土紐貼り付けによる隆帯と、沈線及び陰刻による三叉(さんさ)文と渦巻のモチーフが施文されている。頸部には、一対の眼鏡状把手と注口が付されている。注口部のうち、外側に突出した部分は欠損していて本来の形状が不明なため、推定復原されている。口径12.7cm、器高23.9cmで、容量は注口部まででほぼ2リットルとなっている。
注口の付いた土器は、新潟県上川村の室谷洞窟(むろやどうくつ)から出土した草創期のものを最古とし、その後、関東地方の前期の関山式・黒浜式期の土器に、片口や注ロの付いたものが見られる。そして中期中葉の勝坂式期に本例が位置する。このように注口の付く土器は、典型的な注口土器が中期末葉に再登場して後期以降に盛行するまで断続的に出現したが、いずれも定着することはなかった。
中期末葉より古い注口付き土器の用途は、酒などを注ぐためではなく、日常生活の中で煮炊きなどに用いられたものと考えられる。縄文時代の主食の一つであるドングリ類は、アクが強くそのままでは食用にならないものが多いため、繰り返し土器で煮沸してアク抜きの処理をする必要があった。本資料は、中身のドングリを流さずにアクの溶けた液体のみを捨てるという作業を、効率的に行うために工夫されたものであると考える研究者もいる。とはいうものの、縄文時代とは様々な規制が働いた斉一性の強い社会であるから、本資料のように排水口としての注口を持つ土器が必要とされていれば、当然同時期に同様な土器が存在していても良さそうである。しかしそれが見当たらないということは、本資料(の形態)が何か特別の意味を持っていた可能性も考慮する必要があろう。
いずれにしても本例は、勝坂式期という注口を持つ土器の空白期における唯一のものとして、貴重な存在である。