館蔵資料の紹介 1997年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1997年 > J・レーティング キリストの十字架磔刑
油彩・カンバス
1864年制作
80×52cm
キリストの十字架磔刑の絵は、中世以降の多くの画家によって描かれており、キリスト教美術において最もポピュラーな図像である。しかし具体的な表現は時代や地域や画家個人の趣向により様々であることは言うまでもない。
本作品はたそがれ時のゴルゴタの丘で、背景は薄暗く、地平線のかなたに夕日がうすくさしているところに、あたかも上方からのスポットライトを浴びているかのごとく、イエスのはりつけにされた両手、肩から胸、白い腰布と大腿部、そして十字架ごとイエスの足を抱える聖母マリヤの右手と、とりわけマリヤの顔がくっきりと明るく浮び上っている。 茨(いばら)の冠を被せられたイエスの頭は俯いていてその死せる表情は定かではないけれども、眠れるがごとく穏やかである。マリヤの表情も、悲しげではあるが、悲嘆に慟哭(どうこく)しているわけではなく、画面を支配しているのは静寂である。かくしてイエスとマリヤの2人のリアリスティックな表現により、贖罪(しょくざい)と救済というキリストの死の意味が静かに語られている優れた作品と言ってよいだろう。
ところでイエスが十字架にはりつけの刑にされたのは、さらし者にするためであったから、実際には多くの人がこれを見守ったはずである。福音書のうち最初に書かれたマルコ伝では、十字架上でイエスが息絶えたとき、多くの女が遠くから見ていて、そのなかにマグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセの母マリヤ、それにサロメがいたとあり(15・45)、聖母マリヤがいたとは書かれていない。従ってこの作品のように聖母マリヤを描くのは聖書の記述から外れるわけだが、イエスの死を最も悲しんだ女は聖母をおいて他にない。なおイエスの頭上の罪票にINRIとあるのは「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」 (Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum)の意であり、右下に髑髏が措かれているのはヘブル語でゴルゴタが髑髏を意味する(ヨハネ伝、19・17)からだろう。左下には作者のサイン(J. Roeting)と制作年(1864)が記入されている。
レーティング(Julius Amatus Roeting. 1822-96)はドレスデンに生まれ、のちデュッセルドルフに移って1868年以降そこの美術学校で教えたドイツの歴史画家・肖像画家であり、その作品はドイツ各地の美術館に所蔵されているが、宗教画もよくし、この分野では19世紀初頭に中世の「聖なる芸術」の再生を志した「ナザレ派」の影響を受けているように思われる。