館蔵資料の紹介 1997年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1997年 > 洋灯(ランプ)
(左)釣りランプ 幅31×高43cm/(中)台ランプ 幅14×高53cm/(右)豆ランプ
ランプの歴史は江戸末期の開港と共に欧米から輸入されたと言われるが、文久3(1863)年版の「横浜奇談」には「何れも屋敷の門の上にギヤマンにて製造なしたる行灯の如きものなり」とあり、この時代は未だランプの名称が使用されていなかったことがわかる。しかし明治の初期には早くもガラス職人の優れた勘と技によってガラスのホヤが製造され、日本のガラス工業の発展はホヤの製造より始まったといっても過言ではない。
時を同じくして燃料となる石油が新潟県を中心に採掘され、ランプの普及は短い年月のうちに非常な勢いで広がり、明治中期から大正の初期にはランプの全盛期を迎えた。しかし、その後は電気の普及により衰退の一途をたどることとなった。
ランプの語源は元来、広く光源・燈下を意味し、日本にはランプに先立ってカンテラがあり、特定の燈下具を指したものではないが一般的には石油ランプのことを呼んでいる。
種類は非常に多く、形や機能によって分類することができ、本館では釣りランプ・台ランプ・豆ランプなど7点を収蔵している。
釣りランプ
釣りランプは天井から針金や鎖でつるして使用したところから釣りランプと名付けられたと思われるが、通常平らな布製の芯が使用されているところから、別名平芯ランプとも呼ぶ。
炎を覆うホヤ、傘、石油を入れる壷はガラス、鉉(つる)は鉄、口金は真鍮で出来ている。壷の中の石油に平芯を浸し、毛細管現象を利用して吸い上げて点灯し、口金の把手を回して芯を歯車で上下させ明るさの調整ができる。光の強さは弱いものであったが、石油の消費が少ないので長時間使用する家庭の茶の間や台所などで主に使用された。
また本館には同じ釣りランプでも、光の弱い欠点を補うため平芯を平行に二カ所、光の強弱を調整する把手も二カ所そなえた別名両芯ランプとも呼ぶランプも収蔵している。
台ランプ
台ランプは木、金属、ガラス製の台の上にランプ部分を置く。いずれも点灯する芯は円形をしており光が強く、ホヤの部分はガラス職人によって素晴らしい装飾が施され、倒れる危険が少ない客間や書斎で多く使用された。
豆ランプ
豆ランプは口金が真鍮以外はガラスで作られ、小型ではあるが光を強くするため幅の広い平芯を丸くした構造になっている。通常は寝るときに枕元などに置き、壷の部分には夜間手軽に持ち運べるように把手が付けられている。